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なぜ平等であることは「自然」なことではないのか 環境×公平×正義 その1

謙遜の意味 人は他者へ転移する。他者が私であり、私が他者を指向する。このような力学において、人はそこにある差異を平準化しようとする力が働く。たとえば自分だけが幸せになるとあまりそれを全面に出すことははばかれる。この転移関係において、他者より…

若者がゲームからネットへ向かうのはゲームの不確実性よりも「他者」の不確実性の方がおもしろいからだ。

自由だけどマニュアルの外へでることが難しくなっている 「ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。」*1で言ったのは、ボクたちは自由なのに、なぜ閉塞するのか、ということだ。自由なようで、実はマニュアル化…

ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。

なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか 最近、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどチェーン店が爆発的に増加し、いわゆる「下町のお店」は廃れる傾向があります。このような傾向は「マクドナルド化(McDonaldization)」と言われ、効率最優先による人間…

なぜ「なぜ山に登るのか」と「なぜ女をものにするのか」は違うのか。

自然主義的闘争論 欲望の構図①外部と内部の境界を引く。②外部が無垢(いきいきした幻想)として表れる。(まなざしの快楽)③無垢(外部)への欲望(略奪衝動)が掻き立てられる。④開拓という「正義」の名のもとに、負債なき暴力(純粋略奪の快楽)が行使され…

なぜネットコミュニケーションは地球を救うのか 

シミュラークル化した社会 労働価値説におけて、労働とは自然から生産するという労働観に根ざしている。そしてこのような労働観には自然のもつ「無垢性(未知)」を開拓する快楽としてもあるのではないだろうか。近代以降、分業化が進み「労働」は自然と切り…

試論:自然主義的闘争史観

マルクスは科学技術の発展とは資本主義存命の必然であり、下部構造としての経済によるものでしかないといった。それに対してボクが考えるのは、人間の歴史とは自然との闘争であり、自然主義的闘争を下部構造とした自然主義的史観であると考える。そして近代…

なぜボクたちは「不条理な社会」という宙吊りを生きるか

倫理的な社会と不条理な社会 最近BSでチャップリン特集をやってますが、チャップリン映画をみるとあの時代の不条理がよくわかります。チャップリンが描くのは学なく貧しい弱者が社会で虐げられている姿です。たとえば今の下層なら当然の人権が守られていない…

なぜWeb2.0の本質はいかに抑圧するかなのか

CGM(ConsumerGeneratedMedia)とは ネット時代の新潮流――CGMとは http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/18/news024.html今、Web2.0のキーワードが注目を浴びています。その中に内包される概念としてCGM(ConsumerGeneratedMediaの略)が存在します…

なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか?

神話的暴力と神的暴力 「正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築」馬場靖雄 (http://www.thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html)を参照に、ベンヤミンの「暴力批判論」、デリダの「法の力」による暴力論を考える。ベンヤミン「暴力批判論」では法…

なぜ豊かさは快楽なのか

"他者"との「純粋な出会い」 世界は他者でできている。他者とは言語である。ボクたちは言語で世界を認識する。「痛み」は言葉であるし、「言葉にならない気持ち」も言葉である。言葉は他者の言葉である。そこには絶えず他者が介入し続ける。しかしそれでも「…

なぜ「物そのもの」は暴力的であるのか

カントの欲望論 カントの「物そのもの」は外部であり、それとの相対的に現象はあらわれる。しかし物そのものの本質はそれがあるか、ないかでなく、真理を考える上で必要とされる概念であるということだ。カントはアンチノミーを説明するための調停的な第三者…

なぜ柄谷には「外部」がないのか。 「世界共和国」と自然主義的闘争

id:mal_blueさんからの質問 「[議論]なぜ柄谷には「外部」がないのか」のコメント欄より http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060710 「哲学は神学の婢 2」も読んだけど、外部と未来の違いってなんですか?「なぜ「継続」こそが「正義」なのか」あたりを読み直…

なぜ贈与は暴力なのか

想像的な贈与 現代は貨幣による等価交換の世界であるといわれる。しかしそれでも贈与の世界でもある。一般的に贈与は親しい人の間で行われる。家族、友達、恋人ではお金のやり取りでなく、貸し借りでもなく、見返りのない贈与が行われている。最近ではネット…

なぜ限りなく「純粋な悪」は存在しえるのか

「負債の循環」という内部 「悪いこと」をするときにはほとんど自己正当化の心理が働いている。「本当の俺も悪いこととわかっているし、そんなことはしたくはないが、外からなんらかの圧力を受けたから、仕方がないんだ。」親が悪い、先生が悪い、社会が悪い…

なぜ純粋略奪は快楽なのか

落とし物は「純粋贈与」ではない (1)純粋贈与は、贈与の循環がおこなわれる円環を飛び出してしまったところにあらわれる。それは、贈り物が贈られその返礼の品が返されるという、モノの循環システムを破壊してしまう。(2)贈与では物質性を持ったものを受け…

なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか

「外部産出型」としてのセカイ系 「涼宮ハルヒの憂鬱」の最終回を見たが、なかなかおもしろいかった。最終回の前半まで退屈が描かれ、突如クライマックスが訪れる。ボクは「涼宮ハルヒの憂鬱」が「セカイ系」の構造があるといっていたが、最終回はまさにその…

なぜ「他者」は特別なのか 

1 他者志向性 2 他者の特別性 3 世界の他者化 <解説> 再掲載シリーズ第ニ弾。(掲載 2004.6.1〜2004.6.3)ここにはその後の思考の原型があります。ただ「他者志向性」は先天的であるのか。人は生まれながらに人を知っているのか。

2ちゃんねるはポストモダンを越えていく 

1 社会的コミュニティから記号コミュニティへ 2 オタクの自己制作性 3 ネットコミュニティの差異化運動 4 2ちゃんねるスタイル 5 2ちゃんねる/大衆 6 2ちゃんねるの二重構造 7 2ちゃんねるを遊星するプログ群 8 つながりへの欲望 <解説> 再掲…

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(後編)「死神」は内部を再生する

道具の呪術性(フェティシズム) さらにセカイ系の「戦闘美少女」の特徴に、道具性がある。「銀河鉄道999」のメーテル、「攻殻機動隊」の素子、「最終兵器彼女」は機械であり、「エヴァンゲリオン」のレイはクローンである。 その他「戦闘美少女」は兵器で武…

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(前編)「戦闘美少女」は享楽する

映画「デスノート」の虚構としてのリアリティ 映画「デスノート」を見た。マンガはコミックで読んでいたが、映画化はむずかしいのではと思っていた。名前を書くことで人を殺せる死のノートを手に入れるとどう使うかという「正義とはなにか」という大きなテー…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか(全体) 

1 環境問題という闘争 2 環境コントロールという下部構造 3 グレイゾーンという闘争の場 4 自然主義的闘争 5 大きな内部と小さな内部の共犯関係 内部(社会)・・・倫理 心、形而上学(人類学機械)、互酬(贈与と返礼)、 規律訓練権力、神話的暴力、…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その5 大きな内部と小さな内部の共犯関係

現代分析現代の傾向をポストモダン/環境問題/ネット社会に分け、内部(想像的、象徴的)、グレイゾーン、外部(現実的)として示す。 グレイゾーンの全面化 実社会の社会的な規範は希薄化する。さらに広がるネット社会は法さえも働きにくい領域として、内…

なぜ世界は数学で記述できるのか

数量化の限界 「アキレスと亀パラドクス」*1が示すのは距離を分割することの限界です。たとえば椅子に座る私がベッドに向かうときに、その空間を無限に分割可能ならば、同様に私はベッドへ到着できません。距離が量的に分割可能なら、無限回分割することも可…

続々 デジタル製品を買うとなぜわくわくするのか

テクノロジーの「確実性」と「高速化」 ある日ボクは昼下がりの小さな公園にいた。親たちが公園の隅で立ち話しを続けるなかで数人の子供たちがやっと補助車輪がとれたのだろう。やや危なっかしい操作で小さな自転車で小さな広場のまわりを懸命にぐるぐると走…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その4 自然主義的闘争

現代の自然主義的闘争 現代の自然主義的闘争の構図 内部(社会)・・・倫理 心、形而上学(人類学機械)、互酬(贈与と返礼)、 規律訓練権力、神話的暴力、固有名 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− グレイゾーン(内部環境)・・・予測可能性、環境コ…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その3 グレイゾーンという闘争の場

内部環境(グレイゾーン)の円滑なコントロール 「歴史の終焉」論、そして「動物化」、「生権力」、「帝国」などの現代論で示されるのは、外部の消失、外部の内部化である。外部は本当に消失したのか。内部化したのか。環境問題とは、近代の科学技術は外部(…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その2 環境コントロールという下部構造

環境との調和など存在しない 環境との調和など存在しない。自然は偶然性という名の無限の怪物である。だから食われないように闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたの…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その1 環境問題という闘争

環境への漠然とした恐怖 環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか、ということ。これはまだ証明されていない。地球上の二酸化炭素の多くの動きはいまだ不明である。また温暖化した場合になにが問題なのか、た…

なぜ数字で呼ばれると不快なのか

固有名という「強い名付け」と普通名という「弱い名付け」 住記ネットなど行政の管理がデジタルする中で国民総番号制へは強い反発があった。このような番号制の不快はなんだろうか。これは固有名の議論に繋がるだろう。たとえば1万匹の「犬」がいて、そのう…

なぜ人類は「断絶」を求めてきたのか?

「断絶(ファルス)」はどこにあるのか? 人は享楽を求める。享楽とは「外部」へ向けての負債感を持たない略奪(純粋略奪の快楽)である。人は享楽することによってこの世界に対して「リアリティ」を持ち続けることができるのだ。だから人類の歴史を語るとき…