「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか その6 2ちゃんねるの社会的な判断機能の可能性

pikarrr2005-10-15

エイベックスの駆け引き


よくテレビ番組の苦情が何百件着たとかでさわがれるが、何百万人の視聴者のうちの何百人などどうでもいいのではと思うが、それは相対的な価値なのだろう。すなわち日頃何百件もこないから、着たときは大きな反響ととらえ、その裏に多くの不快に感じた人たちがいる、と判断される、のだろう。そのような価値の中で、今回ののまネコ騒ぎは大きな騒動といえるだろう。

おそらくエイベは株価や不買などによる経済的ダメージは受けてはおらず、その弊害をはかりかねているだろう。なぜなら彼らは、2ちゃんねるの反響はいままでの場合よりも、より過剰にでやすいことをしっているからである。それは、エイベックスはある意味で2ちゃんねるにとても近い位置いるからだ。

エイベックスは2ちゃんねるに謝罪したわけではなく、「ユーザーおよび関係者」に対して謝罪したのである。すなわち経済的な印象を保つことが重要であり、その駆け引きを行っている。だから2ちゃんねるでの犯罪予告が平行してもちだされる。騒いでいる2ちゃねるはこんなひどいところなんですよ、というわけだ。

これは汚いやり口だろうか。これを汚いというのはナイーブな子供の発言である。営利企業として当然の駆け引きといえるだろう。しかし2ちゃねるで騒いでいるのは経済性を抜きにしたところのある種の純粋さである。今回の件で2ちゃねらーは汚されたと思っているのである。




「闘争的コミュニタリズム」


今回の2ちゃんねるの反応に対して、日頃著作権を無視しているのに、急に権利を主張するのはおかしいというのがある。実際エイベックスも楽曲をただて使わせてあげているのだから、これはコラボだという思いはあっただろう。それが急に2ちゃんねる側だけ権利を主張するなんてというわけだ。これは、「のまネコ」問題がこじれたのは2ちゃんねるとエイベックスの近さにあることを示している。


これを2ちゃんねる側からみれば、ネット上のものはみな共有財産だ、的な考えなのではないだろうか。だから誰かがそれを独占する、利益をえるのは許しがたいこととなる。これは2ちゃんねるに特別というよりもコミュニタリアニズム共同体主義)的であり、内部における平等という意味で一般的である。2ちゃんねる帰属意識のたかい内部として作動しているのである。

ボクはコミュニタリアニズム共同体主義)といったか、ここには中央はない。漠然と価値が保たれ、信じられている。ひろゆきがなんといおうと2ちゃんねるで価値を生んでいるのは祭りである。このアジテーションがエイベックスへの恐怖となる。そして2ちゃんねるは祭りによる社会への影響に味をしめはじめている。市場の原理で利益を確保しようとするエイベックスと祭りで社会への影響力を誇示しょうとする2ちゃんねるの闘争がある。北田はこのような傾向を「闘争的コミュニタリアニズムと呼んだ。

闘争的コミュニタリアニズムのほうですが、これは、コンテクストを共有しやすい言論集団を構成し、コンテクストを共有しない外部に向けて「コンテクストの政治学を仕掛ける、といった方法論です。たとえばこれは、サンスティーンがサイバーカスケードと言う場合に想定しているものですね。「外部」を定めたうえで、ダッーと雪崩をうつように「祭り」状態になる2ちゃんねるや、ブログのコメントスクラムなどの動きを想定してもらえればいいと思います。・・・この闘争的コミュニタリアニズムは、内的にコンテクストの共有性・凝集性を高め、対外的にコンテクスト闘争を激化させる。あるいは、対外的な闘争を激化させることにより、内的な集団の凝集性を高めようとします。

ised@glocom倫理研第3回 ディスクルス(倫理)の構造転換 北田暁大
http://ised.glocom.jp/ised/05030312

そしてネット上でこのような「闘争的コミュニタリズム」が発生する原因を、「コンテクストの闘争」である、と考えている。

CMCにおいては、・・・時間的に急き立てられたコンテクストの政治学とでもいうべきものが、前面化せざるをえない。・・・「実はコミュニケーションとは内容やメッセージの伝達ではなく、あくまでそれを解釈するコンテクストをめぐる闘争なのだ」という身も蓋もない真理をあらわに表面化させてしまったともいえます。ここにおいてはマスメディア的な実定道徳はおそらく失効してしまう。だからこそ、マスメディア・ジャーナリズムは「ネットの反道徳性」を強調して止まないわけです。

CMCは・・・「秩序の社会性」に対して、「繋がりの社会性」が前面化していく状況ともいえます。・・・どうもCMC上の炎上の経過を見ていると、「発火」したときには内容レベルでの対立であったものが、次第に「語り口」「作法」をめぐる闘争に変容するといった「自然史」があるように思えてくる。・・・状況構築の逐次的性格が前面に出てしまった結果、「内容」よりは「状況、コンテクスト定義」の方法をめぐる闘争が重要性を帯びてくるわけです。

ised@glocom倫理研第3回 ディスクルス(倫理)の構造転換 北田暁大
http://ised.glocom.jp/ised/05030312




2ちゃんねるという社会的な判断機能の可能性


エイベックスは二つのミスを犯したと言えるだろう。
のまネコに対して、2ちゃねらーが不快になる、不快になるような価値がそこにある、ということ。波風が立つことが予測できなかったというミス
②一部で、①は前例からエイベックスの一部では予測されていたとも言われるが、2ちゃねらーにそこほどの力があるとは思っていなかったということ。仮に波風が立つことは予測できても、これほど大きなものとは予測できなかったミス

2ちゃんねるに正義があるとか、エイベックスに正義があるとかではなく、「コンテクストの闘争」であるといえる。そしてそれが闘争たりえているのは、2ちゃんねるがエイベックスと闘争できるだけの力を付けているということである。

そしてその大きな力故に、2ちゃんねる内部のコンテクストが、直接民主制のような審判の「舞台」として機能していることを信じ始めている。法でもなく、通常の社会倫理でもないようなコンテクストを共有し、そして社会を裁くことができることを信じ始めている。イラク人質、あびる優、エイベックスなどの経験を得ながら・・・

この傾向は、2ちゃんねるだけのものではない。ボクはこれはネットの影響であると考えているが、社会的な情報能力の発達は、社会的なポピュリズム直接民主制ような審判」によって、コンテクストを生んでいる。小泉政権は、この「中心なき世論」へ訴えかけたのであり、それ故にパフォーマンス、劇場型といわれるのである。なぜライブドア、フジテレビ問題で、ホリエモンらは盛んにTVに露出したのか。そしていまの阪神問題では、村上氏らが懸命に「中心なき世論」を味方につけるべき懸命であるのか。

「祭り」はいままで愉快犯的に乗っかり雪崩式に膨らみ、よく言われてこなかった。しかしのまネコ問題は異なる顔を見せたのではないだろうか。内部として作動し、そこに2ちゃんねるなりの主張があり、交渉する。2ちゃんねるのコンテクストが一つの社会的な判断機能として作動する可能性を示したといえる。エイベックスという市場原理と交渉しえていることが、2ちゃんねるに駆け引きすべき社会的なコンテクストの浮き彫りに示しているのである。それはひろゆきではなく、あくまで創発的な動作から生まれている故に、不安定であるが。



のまネコ」商品化に関する当社グループの方針

当社は、標記件に関する当社グループの方針につきまして、下記のとおりお知らせいたします。

本年9月30日(金曜日)、当社グループのEC サイト「ショッピング・アリーナ」にて、「いわゆる『のまネコ』問題についての当グループの考え方」と題して、「マイアヒ・フラッシュ」を収録したCD等の商品の発売中止(廃盤)と有限会社ゼンに対する「のまネコ」の図形商標の登録出願(商願2005-69972)取下げの要請を発表致しましたが、その後も私達は、多くの方々のご意見・ご批判に耳を傾け、さらに当社グループ内部において検討を続けて参りました。

その結果、当社グループは、本日、「のまネコ」グッズ販売継続にあたり、当社グループが受け取る予定であった「のまネコ」の商品化に対するロイヤリティーを、ライセンシーより収受しないことを決定致しましたので、お知らせ申し上げます。

以下、当社グループがこのような決定に至った理由をご説明致します。そもそもこの件は、当社子会社エイベックス・エンタテインメント株式会社(AEI)がライセンスを受けているO-ZONE の楽曲「DRAGOSTEA DIN TEI恋のマイアヒ〜」にいわゆる「空耳」(主に洋楽で実際の外国語の歌詞の音が意味の上では何ら関連性のない日本語等に聞こえる場合のその日本語等)をあて、モナー等のアスキー・アート文化に影響を受けて作成されたキャラクターが音楽に合わせて動く面白いフラッシュ(オリジナル・フラッシュ)がネット上で公開されていることを私達が知り、これを皆様に楽しんでいただきたいと考えたことに端を発します(オリジナル・フラッシュは許諾なく楽曲を使用していました)。
そこで、私達は、フラッシュへの楽曲使用に必要な許諾を受けるとともに、オリジナル・フラッシュの作成者にこれを元にした新しいイラストレーションを起こしていただくよう依頼して、「マイアヒ・フラッシュ」を作成し、これをO-ZONE のCD に特典として収録し、販売しました(後にDVD に収録しCD とカップリング販売)。
そうしたところ、同フラッシュは、ネット・コミュニティーに参加されている皆様のみならず、一般のお客様にも大好評をいただき、当該CD は当社グループの当初の予想をはるかに上回る売れ行きとなりました。

このブームともいえる人気に乗って、私達は、CD 以外のビジネス展開として、「マイアヒ・フラッシュ」から新しく描き下ろした「のまネコ」のキャラクターを用いたグッズの販売を開始することとしました。
しかしながら、このビジネスは、「マイアヒ・フラッシュ」の人気に乗っているという側面が大きいものです。
同フラッシュは、モナー等のアスキー・アート文化をバックグラウンドとするという特殊性を有するものですが、モナー等は元々インターネット掲示板を中心としてネット・コミュニティーにおいてクリエイトされ誰もが自由に使うことのできるキャラクターとして親しまれてきたものでした。

にもかかわらず、私達は、モナー等のアスキー・アート文化を愛好されてきた方々や上記のような「のまネコ」キャラクターの誕生の過程への配慮が不十分なまま、「のまネコ」に関する商標登録の出願に関与し、通常のビジネスと同様に企業の論理を優先するなかで「のまネコ」のキャラクターを用いたグッズの営業展開を行ってきました。
その結果として、当社グループがモナー等のアスキー・アート文化を一方的に利用したビジネスをしていると多くの方々が感じられる事態となりました。このような状況に鑑み、また、当社グループが、自由な表現・創作活動に重要な価値を置いてビジネスを行うべきエンタテインメント・ビジネスに携わる企業であることに改めて思いを致し、冒頭のような決断をした次第です。
今回の件に関連して多くの協力企業の皆様及び関係者の皆様にご心配、ご迷惑をお掛けしたことを再度お詫び申し上げます。
そして、アスキー・アートなどの文化を育て、今回の件に関し非常に不快な思いをされたネット・コミュニティーに参加されている方々にもお詫び申し上げます。また、皆様から寄せられたご意見・ご批判を真摯に受け止め、当社グループは、ネット・コミュニティーにおいてクリエイティブな活動をされている方々と共に、新しい創作物を生み出すためのより良い環境作りや、その支援といったことについて積極的に検討することを決定致しました。
なお、9 月30 日以降、当社従業員並びに当社代表取締役社長及びその家族に対して度重なる殺人予告等がなされましたが、当社グループによる上記決定はこのようなことを理由とするものではございません。
当社と致しましては、かかる不法かつ反社会的な行為に対しては断固として適切な措置をとって参る所存です。

http://www.avex.co.jp/j_site/press/2006/051012.pdf