ヘタレたち <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その9>

pikarrr2005-11-17

繋がり系ヘタレ 2ちゃんねらー


かつてのような反体制運動へ向かう大きな物語もなく、「小さな物語」の世界で「動物」としてまたーり暮らしていくはずだった。しかしめまぐるしい価値の転倒は、「安心という反復」へ引きこもらせ、小さな檻の中で無垢が欠乏していく。そんなとき、あらわれたのがネット世界だった。安心に無垢を楽しめる場所。新世界(フロンティア)。

世界にむかって懸命に叫んだ。「ってどうよ?」オマエモナー」。返答があった。体に血が戻る気がした。ぬくもりを感じた。生きてるんだ。「もまいらサイコー」繋がること、かまってもらうことを欲望した。ヘイトスピーチで悪ぶってみせるのは受けた。そして究極が「祭り」だ。ネタはなんでも良かった。「祭り?キターーーー!」そしてみんな仲間だと安心する。

のまネコ問題は、「ヘタレの逆襲」だ。「動物」「エリート」のまネコなどに興味がないだろう。しかしそれは僕たちの「居場所」をかけた戦いだった。「居場所」とは、安心して反復し、差異(無垢)を生みだし、主体であることを保証してくれる場所だ。エイベックスは完全に馬鹿にしていた。「たかが2ちゃんねらーごときが。」もしここで負けると、僕たちが作り上げてきた2ちゃんねるという「居場所」が崩れる。ただの負け犬になれば、多くの人たちが去っていくだろう。僕たちの共有財産モナーは守らなければならない。そして勝たなければならないのだ。

電車男をまたーりオタクの世界に生きていた「動物」が恋をして、普通の人に再帰する物語と読んではいけない。きっかけは、エルメスとの出会いではなく、2ちゃんねるでかまってもらえたことなのだ。2ちゃんねる「もまいら」と繋がり、居場所をみつけたこと、すなわち「動物」「ヘタレ化」した物語である。だからエルメスは繋がりを継続するネタでしかない。

そして電車男に多くの人々が感動したのは、「動物」たちの中にある「ヘタレ」=本当は繋がりたいんだ、という欲望と共鳴したんだろう。映画、ドラマでは描かれないが、エルメスと成就したあとも実際の電車男「ヘタレ」でありつづけるために醜態をさらしたのは有名だ。




セカイ系ヘタレ  理系オタク


いまどき哲学に興味があるなんて「ヘタレ」の極みなわけ。さまざまな思想はポストモダンを通過してアイロニカルになっているが、理系の素朴な科学主義がいまだにベタなのに驚く。人生にひねりなく、学校教育の経済至上主義に根ざした素朴な唯物論のままに生きてきたのだろう。

理系がもてないのもこの辺りにあるじゃないだろうか。女性はもともと空気読みに長けて、アイロニカルだから、ベタな理系は馬鹿にみえちゃう。

それでも「動物」としてまたーり生きてる分には問題ないんんだろう。しかしあるきっかけで、生きる意味、世界の成立、社会の不完全が不安になたったとき、素朴な科学主義からファンタジーへ転倒する。生活世界と唯物論的ファンタジーの短絡が、セカイ系をうんでいるんだろう。




下流層ヘタレ


社会には確実に下流層が必要になる。頭が悪く、もの言わずもくもくと働き、搾取される労働力。しかし情報化社会ではみなが知恵をつけ、賢く立ち回ろうとする。ではだれがこの船を漕ぐのか?

しかしヘタレ化は単に搾取する資本家/搾取される労働者という単純な構図に回収されない。本来搾取する側までヘタレ化している。金持ちであるだけで、満足できずに、ヘタレ化する。

製造業大国日本としては、いわば理系頼みである。彼らは素朴な唯物論を信仰し、仕事一筋で「動物」として日々生きている。彼らが世界に競争力あるものをもくもくと開発してくれればよい。彼らは、社会の裏をよんだりしない。それに比べてヘタレときたらどうだ。口を開くと、あーいえばこーいう。ヘタレず、手を動かせ。




居場所系ヘタレ  引きこもり


豊かに苦労しらずにまたーり生きてきた子供が突然社会の洗礼を受ける。すなわちオレって全体の一粒?生きる意味ないじゃん?動物からヘタレへの転落し、突然不安にかられて世界の全体性を欲望し、わかったふりをして、社会の矛盾への不満を自分の不安と短絡させるしゃべり場「思春期セカイ系

会社の歯車として仕事なんかしてる場合じゃない。自分の意味をみつけないと、昔なら放浪にでもでたんだろうが、いまは物理世界の移動より情報世界の方が刺激的だし、生活には困らない。といいながら引きこもってみたものの体力、気力は減退し、どうでもよくなる。しかしどんなにまたーりしても不安は回帰してくる。

2ちゃんで議論し、祭りで騒ぎ、ブログを書いても、砂の一粒の不安からは抜けられないし、逆に引きこもる自分がなさけない。こんな自分にしたおや、社会が悪いという被害者という居場所のみが自分の意味だ。




企業というヘタレ回収装置


本来は「ヘタレ回収装置」として宗教があるんだろうけど、日本は宗教アレルギーだから、作動しない。ボクの友達に小さい頃から親に連れられて仏教系にかようヤツがいるが、ほんとうにいまどきめずらしく、真面目でベタで、堅いと敬遠されがちだが、ベタでもオタクとは違い、信念を持っている。宗教は上手く回るとやはり魅力的な装置だなと思う。

日本の代表的な「ヘタレ回収装置」はなんと言っても企業だ。その企業が不況から、回収装置機能が弱体化させ、ヘタレ難民が社会にあふれいる。

フリーター、ニートなど、もはや仕事に生き甲斐を見いださない、といわれるが、それも怪しいのではないだろうか。やはり仕事は生き甲斐である。ただ年功序列傾向が強い日本では、「おもしろい仕事」をリストラを回避した既得権者が独占し、若手に回ってこない。「つまらない仕事」ばかりおしつけらえて、居場所として機能しなくなっているんじゃないだろうか。

しかし景気も良くなりつつあり、また数年で団塊の世代の大量退職時代に入るので、正常に作動し出すのではないだろうか。そうなると今の無職群は取り残された人々になるかもしれない。後輩が正社員で就職し、仕事に居場所を見つけて、無職群はフリーターとして使われる立場になるからだ。




思想なき世界のヘタレ


ヘタレとは「全体性」を希求してしまうものです。すなわち世界とは?とか、生きる意味は?とか、問わずにはいられない者たちです。サイゼでハンバーグ定食くって、ローソンでカールのチーズ味買って、ツタヤでコウダクミのベストと最終兵器彼女を借りて、モー板で雑談して、またーり生きれば良いものを、ヘタレは突然発作のようにやってきます。「オレ、なにやってんだ・・・」

ヘタレ化を考えるときにまず動物化を考えないといけない。なぜなら多くのヘタレが素朴だからだ。多くにおいて動物だからだ。豊かな家庭で、悩みなくのほほんとすごし、なにかのきっかけでつまずく、そして初めて距離をもち自分をみて、短絡する。「こんなはずでは・・・」

日本ではこのようなつまずきのためのアイテムがない。思想、宗教は嫌われ、親、先生自体が経済至上主義で生きてきているから語ることばをもちえていない。与えられた懸命に働くことが正しいという価値のみもち、挫折した負け組決定として、引きこもるしかない。