ヘタレはネットで覚醒する <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その11>

pikarrr2005-11-19

マトリックス」と「電車男」の相似


映画「マトリックス」は、ヘタレの悲哀を描きました。動物化し、豊かさの中で日々楽しく生きるマトリックス世界で、本当の意味を求めて(ヘタレて)落ちた「現実の砂漠」。この構図が、世の隠れヘタレに共感を呼びました。豊かで安全な日常の中にある漠然とした不安、そしてそれに向かってヘタレる、そして覚醒(ヘタレ化)によって、マトリックス(動物の世界)を縦横無尽に暴れ回るというの神懸かりの能力を発揮するのである。

映画「電車男」はこのようなマトリックスの構造をそのまま再現している。電車男は、現実にオタクという動物であったが、2ちゃんねるでの人々との出会いによって、覚醒する(ヘタレる)のである。ここで重要なのはエルメスとであったことが、電車男を覚醒させるのではなく、エルメスに出会い、それを2ちゃんねるで報告し、「電車男」として名付けられることによって、すなわち独男板に居場所を見いだしたことによって、覚醒するのである。そして覚醒によって、現実世界(動物の世界)で超美女をゲットするという神懸かりの能力を発揮するのである。

すなわちこれらの物語は、日常に暮らす動物が覚醒し(ヘタレ化)して、日常(動物世界)で活躍する物語である。そこにボクたちのヘタレ性が共感するのだ。これは単なる現実の逃避だろうか。




現実(リアル)の在処


ジジェクは、対象aと現実(リアル)の密接な関係を指摘する。欲望することが現実感を与える、すなわち現実(リアル)は、動物側ではなく、いつもヘタレ側にあるのだ。現在、多くの人が日常に虚無感を持つのは、動物化し、欲望する対象を失っているからである。そして、電車男2ちゃんねるで本当の自分であるのは、2ちゃんねるでヘタレるからである。

現在において、現実社会が豊かさと安心から、無垢が消失し、動物化している中で、欲望を想起する無垢が移動しているネット上で、「本当の自分」が見いだされるのは、現実逃避ではなく、当然の流れなのである。そしてそこで覚醒された「本当の自分」が動物世界へ展開されることは、「電車男」だけでなく、今まさに起こっていることである。

ネット上で覚醒したヘタレたちが、動物化し虚無化した現実へ回帰し、活性化しているのである。これは単に出会い系ということだけではなく、誰でも多かれ少なかれそのような経験をしているのではないだろうか。




「革命」はネットに移る


もはや「革命」の戦場は、ネットにあるのだ。これはハッキングしろなどの、物理的な行為をいっているわけではない。たとえば、現在、リベラルを支えているのは、もはやかつてのような、道徳、規律ではなく、テクノロジーによる「環境管理権力」であり、権力は透明化しているといわれる。しかしそのまさに同じ次元に、ネットはあり、ヘタレは蠢いている。

思うぞんぶヘタレなさい。思う存分祭りなさい。思う存分、のまネコなさい。それが、社会へ浸食しているのである。それこそが、革命であり、ここが現実であり、戦場なのだ。

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*1:画像元 MATRIX RELOADED in TOKYO 6.29 4rd http://matrixinjapan.cool.ne.jp/Mareixreloaded4rd.htm