小さな権力闘争による創発性という「ジャングル化社会」

pikarrr2006-02-11

ぴかぁ〜

「商品」というものの交換を成り立たせているものが「上から二冊目の本」性、すなわち物神性だとマルクスはいっています。それも資本論のはじめはこの欲望論からはじまっています。なぜならそれが資本主義の根源的な問題だからです。

商品の物神性とは賭けであり、「神だのみ」です。商品交換そのもののこのギャンブル性が必要以上の交換にむかわせるという交換に隠された欲望をマルクスは暴露したわけであり、ケータイはこのギャンブルのみが消費されているわけです。そしてこの物神性が無垢性です。

かつては生存するためには危険な賭けでも参加しないと生きていけない、いや巻き込まれており、むしろ危険すぎて生きるのが大変でした。しかし現代は賭けから逃げて生存できます。危険な賭けに巻き込まれる前に、他者との交流をたつ。さらには引きこもる。そして安全な賭けで間に合わせる。安全に引きこもるために、むしろ無垢欠乏症になります。安全な場所から小さな賭けをして「生き生き」するのです。*1

むじんくん
社会での上層に行くための手段が見えにくくなってきているので、今まで以上に学歴に拘ったり、あと、教育がかなり階層化していると聞いてます。一方で、もう全く諦めムードの人たちがいたりする。

どちらかというと学校で勉強をし、成績がいい者から有名企業へ就職ができ、終身雇用を前提とした中での出世競争という、「賭けの無い」世界が壊れてきており、誰もがギャンブラーにならないといけない時代になってきているんじゃないか。

あと、賃労働に転落しているならば、基本的に自分を商品として売らなければならないので、賭けから逃げるというのは不可能ですね。他者からの逃避をするには蓄財が必要です。

ぴかぁ〜
「誰もがギャンブラーにならないといけない時代」とは、ボクが言う「ジャングル化する社会」ですね。そして問題は、充足するために賭けられているのはなにか、ということでしょうね。
ぴかぁ〜
下部構造という意味では、ボクはテクノロジーを考えています。フーコは規律訓練権力と生権力をあげます。規律訓練権力は、教育などで、人の内面にイデオロギーの植え込み、自立的な主体とする。それに対して、生権力は生(身体)をコントロールする。

東はこの生権力から現代の下部構造として環境管理権力と言います。前にあげたマックの硬い椅子であるとか、グーグルなどで検索するときに素朴にネット上全てのページを検索しているようで、実は知らない間に様々な作為が入っています。広告料を払った企業ページが優先してヒットするとか、エロページの排除、さらにあるイデオロギー的なところはヒットしないような作為も問題なっています。このような環境管理権力の特徴は権力の透明化ですね。見えないところでコントロールされる。

しかしこれを、黒幕的な権力構造とは違うんです。かつての規律訓練権力の場合、イデオロギーを教育するなど、意図的な大きな組織が必要とされます。しかし環境管理権力は個人が自分のホームページの閲覧を規制をかけるとか、あるいは家に監視カメラをつけるなど、小さな権力として行われるのです。

このように現代は、小さな権力闘争の場であって、大きな黒幕というとらえ方では見えません。そしてこの小さな権力闘争の場の成立は、物質的な豊かさが前提にしないと考えられません。ジャングル化する社会とはそのような意味であり、サバイバルもそのように考えないといけません。

むじんくん
フーコーの話なんかは僕は面白いと思うんですけど、やはりそれは上部構造の話なんです。系譜学的な記述は意味あると思うし、凄く面白いとも思いますけどね。例に出しているマックの椅子の話なんかも、そうやる理由は都市化しているからであり、人々に内面的抑圧が不可能になってきているからですが、そもそもそれは資本主義的生産様式の上に私有財産制が機能しているから必然的に発生するわけです。

内面の管理→身体の管理、はい終わり。では説明にならないわけで、そうせざるを得ない社会というものを考えなければならない。

テクノロジーの変異というのは、当然社会の物質的基盤として考慮すべきですが、しかし一方で全く変わらず鉄の意志で動き続けている構造がある。経済的下部構造とはそういうものですね。見た目がいかに変わろうとも、資本主義社会は資本主義社会です。

ぴかぁ〜
政府でもよいですが、「大いなる意志」でコントロールできるうちはまだ良いのです。ボクがジャングル化する社会でいっているのは、勝ち組、負け組がでるだろうが、底にあるのは、小さな権力闘争の、「意志」なき創発性というジャングルだ、といっているのです。

むじんくん
借金返済のために何かをするのと同じってことですよ。例えばマックが借金していて、それを返済しなければならないので、顧客の回転を早くしたいと考えたときに、椅子を硬くするという方法などがある。これが小さな村であれば、そうしなくても構わないかも知れないが、都市部ではそうするしかない。そして、裏側で働いている借金返済という動機は同じなのです。

M.ウェーバーがどこかで書いてたと思いますが、資本主義社会が浸透するときに見られることは、借金をさせるということなんですね。これがかなり難しい。だから、植民地ではまず、借金せざるを得ないように現地の生産関係をズタズタにするのです。貨幣を欲しがるようにしなければならない。

ぴかぁ〜
ボクは資本関係が作動していることも、経済的勝ち負けがさらに広がることも否定していません。勝つものが勝つ、負けるものが負けるのでなく不確実になる。だから単純なブルジョアプロレタリアートの静構造はない。さらに混沌とするのは、確かに経済ゲームはベタにわかりやすいゲームだから残るが、経済的勝者が勝者だという幸せさえ混沌とする。それがジャングル化社会です。このような混沌をいかに生き抜くか、単に豊かではだめで「生き生き」しなければならない。その方法を3つの知として示したのです。

*1:ネット依存の快楽 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060210