続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その5 大きな内部と小さな内部の共犯関係

pikarrr2006-06-28


現代分析

現代の傾向をポストモダン/環境問題/ネット社会に分け、内部(想像的、象徴的)、グレイゾーン、外部(現実的)として示す。







グレイゾーンの全面化


実社会の社会的な規範は希薄化する。さらに広がるネット社会は法さえも働きにくい領域として、内部の秩序(規範)が溶解し、数量化された価値(数字、貨幣)が重視されるグレイゾーンが全面化する。

環境問題への危機感から「資源」のコントロールがもとめられ、環境コントロールとしてのグレイゾーンの全面化をより促進する。さらに「資源」消費がすくないデジタル化(ネット)へむかう。人々の関係は、アーキテクチャによるコントロールに依存し、またその場その場での掟(空気読め)によって行われる。このような「グレイゾーンの全面化」とは世界の「帝国」化である。




対立する大きな内部と小さな内部の共犯関係


「グレイゾーンの全面化」の特徴である社会的な規範の希薄化は、人々を「自由」にするが、繋がりを希薄化する。それは「自由」故に閉塞感をもたらす。そして消失した繋がりはネット上に求められるようになる。無数の小さな内部が作られ、つよい繋がりが求められ、ムラ社会化する。そしてムラ社会不定的な祭りにより解放と結束が求められる。

「グレイゾーンの全面化」という静かな中で不確定に勃発するムラ社会「祭り」、それが現代の一般的な風景になる。ネット社会ではなんでもタダで手に入るという「無限贈与(無限に贈与される可能性は一人の負債感をないような小さなものとする)」が浸透し、資本主義社会の貨幣交換と対立する。

これらは大きな内部と小さな内部の対立である。しかしまた共犯関係も生まれる。ムラ社会「祭り」は帝国を安定に作動されるための息抜きであり、祭りがあるから帝国を転覆するほどの力は発生せず、帝国があるから祭りが可能になるという共犯関係になっている。このような傾向はネオリベラル」に見いだされるだろう。




搾取される「資源」/テクノロジーの暴走/環境問題


「帝国」論では外部の消失、内部内の外部化といわれるが、資本主義社会が作動するには、どこかに外部があり、内部と外部という自然主義的闘争は継続されている。

今でも後進国「資源(原材料、労働力)」を搾取されている。あるいは先進国においても格差社会は、良質で安い労働力が生み出されている。このような外部はもはや問題でないように隠されている。そこではテロリストをはじめ、小さな内部となり、抵抗がうまれるだろう。

さらに疑似外部をつくりだすために新たなテクノロジー開発は進む。たとえばネット技術のグーグルの世界政府、遺伝子工学のゲノム計画などのように、世界を管理したいという人の欲望は止まらないし、それによって資本主義システムは作動し続けることができる。

これらが疑似外部でありえるのは、それによって人間の中の外部(器官なき身体)へ出会い、それを管理することが失敗し続けるからである。たとえば遺伝子組み換えで人のコントロールを越えたウィルス(生の力)を引き出してしまう。SFという形で先行的に具現化されているが、外部環境からの反撃への潜在的な恐怖としてある。

また環境問題にも繋がるだろう。地球温暖化などのように外部環境からの「資源」の無謀な搾取は、人のコントロールを越えた環境の暴走を引き出してしまう。




自然主義的闘争という戦略


これは純粋略奪の快楽という資本主義社会のみならず、人類にとって避けることが困難な自然主義的な闘争である。ブルジョアジーが隠しているのでなく、大きな内部と小さな内部の共犯関係が隠そうとしている問題である。

もはや外部がないということではなく、ここには外部と対立した内部としての思想、倫理の再構築が求められるだろう。安易な外部環境との調和論でなくまた排除でもない。闘争とは人類がいかに「豊かに」生き抜くかのために、対立し、活用し、管理する戦略である。

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