「ブログ」はもう終わったのか ハイウエイ論3

pikarrr2008-05-08


ハイウェイとデータベース


アナログとデジタルの関係について。アナログとは連続的変化である。たとえばA〜Bというアナログの曲線があったとして、それを10分割し、それぞれの区間を平均した直線を並べると、曲線の近似線が現れる。分解能を上げて、100分割、1000分割、1万分割とすると、より曲線に近似する。これがデジタル化である。*1

だからデジタルは非連続的(離散的)である。しかしある段階を越えたときに「疑似連続的」となる。段階とは人がデジタルになめらかな連続性を感じたとき、人の認識能力を越えたときである。アナログの再現には、曲線自体を方程式化する方法がある。その方程式の汎用性が高ければ、異なるアナログの曲線を定数を変えるだけで表すことができる。

それに対して、デジタル化による再現はそのたびごとに、異なる曲線としてデジタル処理する必要がある。このためにデジタル化はさらにメタ-デジタルへ向かう。いくつかのデジタル曲線を離散的に用意する。すなわちデータベースである。これによりひとつの網が完成する。ハイウェイ化とはこのような離散的なネットワーク(網)である。

ユーザーの要求に対して、データベースからの選択を求めるのであるが、十分な選択肢によって、要求がそのまま満足されたような選択数を用意するような、認識限界がターゲットとされる。たとえばマクドナルト、コンビニあるいはランキングシステムなど。




ハイウェイからそれること


たとえば未踏の山への登頂をめざすことを考える。まず飛行機で現地へ飛び、列車で移動し、道路があるところまで車で移動する。さらに生活道があるところまで歩く。ここまでが「通路」である。そしてそこから未踏へ踏み入れる。未踏であるから、自らが「通路」を造り進む。いかなる危険があるかという情報もない。他者への協力を頼む場合にも、未踏であり経験がないために、様々な用意が必要であり、定額などなく、多大な費用がかかるだろう。先の通路は、すでにある通路である。通路は自らが自由に移動したのではなく、自由に「選択」したのだ。未開では、選択さえもなくなる。

たとえば車を購入する場合には、メーカーを選定し、車種を選定し、オプションを選定し、自分の好みを車に仕上げる。しかし仮に自分が一から設計した車がほしくなったらどうだろうか。それは膨大な費用がかかるだろう。普通はそのようなことは最初から考えない。自分だけの車とは、データベースからの選択なのである。

このようにハイウェイはハイウェイからはずれるときに存在意義が現れる。自由度が保証され、高度に発達したハイウェイでは、ハイウェイからそれることは忘れられ、ハイウェイ内の選択されることで自由がうまれる。




ハイウェイの特徴


ハイウェイの特徴としては以下が上げられる。

ハイウェイの特徴


・最初に目的地(正しさ)があり、自動的にすみやかに運ばれる。
予測可能性が高く、信頼、安全が保障される。
・安全を脅かさない程度の適度なイベント性を備える。
・自由であると思える程度の選択肢が用意される。疎外を感じさせないほどの高度な疎外論。(環境管理技術の重視)
・他者とのコミュニケーションがないわけではなく、関わりたいときに関わり、関わりたくないときに関わらないというユーザーにコンタクトの主導権がある。他者回避される(動物化)。

特に経済性を重視し、実際に物質的な通路として存在する。

ハイウェイという交通様式


・新たなハイウェイを構築するためには労力と費用がかかるという経済性から優位性が保たれる。このために維持費を捻出するための動員が必要になる。
・強いイデオロギーをもたず、安価で利用者を選ばない。(経済的リベラル
・集客のために品質の安定性とともに適度なイベント性を備える。イベント性がなくなれば陳腐化し動員が確保できない。
・経済的な淘汰(神の見えざる手)に管理される。計画経済よりも、自由経済の産物である。
・制作への労力と費用が優位性を保つようというように、物質性と自律した秩序をもつ。 



ネットとハイウェイ


ネットもまた情報インフラという物質的な通路としてのハイウェイを前提に成立している。しかし通常、既存のハイウェイが新たに構築されるためには労力が必要とされることによって優位性をたもつのに対して、ネットでは新たな通路の構築が安価である。このためにハイウェイの優位性は保てず、ロングテールのようにより多様な通路が発生することが予想される。

しかしそう単純ではないようだ。ネットではインフラの構築は容易になっても、多様性を処理する人の認識の方に限界が現れる。だからGoogle検索技術がハイウェイの役目を受け持つことになる。Google検索は検索上位ということで「正しさ」へとの通路を開くのだ。そしてこのような通路を支えるのが、Google独自の情報検索システムである。

資本主義社会の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。

情報生産においては、資本主義の法則が逆転し、個人の時間を効率的に配分するテクノロジーがもっとも重要になったのである。だからユーザーが情報を検索する時間を節約するグーグルが、その中心に位置することは偶然ではない。資本主義社会では、稀少な物的資源を利用する権利(財産権)に価格がつく。情報社会では膨大な情報の中から稀少な関心を引きつける権利(広告)に価格がつくのである。P96-97


池田信夫 「ウェブは資本主義を越えていく」 (ISBN:4822245969




「ブログ」はもう終わったのか

「一億総ブロガー」などと言われ、誰もが日記感覚で書く空前のブームが起きている中で、最近はブログを読むのがつまらなくなったとか、ブログなんか終わりだとか、そんな話を聞くようになった。

− いまも読まれているブログは、実名や正体を露出しているか、現実社会での専門性が読んでいてハッキリとわかる人のもの。現実社会で通用している人は、ブログ社会でも通用しているわけです。趣味を追究した内容や、実体験に基づいたことを書いたものならともかく、よくわからない人による「オレが、オレが」の論評ばかりでは読むほうもツライでしょう。


読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか 
http://www.j-cast.com/2008/05/05019744.html

ボクも一時期に比べて、「ブログ」はおもしろくなくなったと感じている。その一つの理由がメンバーが固定してしまって、新陳代謝が少ないためではないだろうか。

2ちゃんねるやブログなどは、コミュニケーションを目的とする単純な構造である。だからユーザーの世代は移り変わりながら、恒久的なニーズがあるのではと、思っていた。しかしどうもそうでもないようだ。2ちゃんねる、ブログ、mixから最近ではニコニコ動画、モバゲとネットにもシフトがあるらしい。その大きな要因として考えられるのが、技術変化と世代論だろう。

2ちゃんねるダイアルアップから常時接続が普及したときに、目的がないレスが溢れてレスの質が落ちたと言われ、2ちゃんねる終焉が盛んに言われた。実際、2ちゃんねるの初期には様々なプロが濃い議論を行っていたと言われる。

ブログが成功したのも常時接続へのシフトが大きいのだろう。そして光回線などの普及で、YouTubeからニコニコ動画などの動画サイトへと移っている。さらにニコニコ動画を支える自主制作動画投稿数の多さは、PC能力の向上や、動画、音楽制作ソフトの安価な提供が大きいのだろう。そして初音ミクのVOCALODソフトの開発、発売である。さらに最近の大きな流れは、PCからケータイへの移行にあるようだ。

読者の皆さんは、ケータイのどんな機能を使っているだろうか。通話、メール、電車の乗り換え検索、SNSの閲覧や日記の更新、ワンセグ、ゲーム……。せいぜいこのくらいではないだろうか。ある限定的な処理をこなす道具としてケータイを使っている印象だ。しかし、同じ質問に対し、10代の若者たちはまったく違う回答を寄せる。プロフにブログ、ホームページの更新・閲覧、ケータイSNSでのコミュニケーション、ワンセグ、ゲーム、音楽、小説、漫画の閲覧……。ケータイの利用範囲が実に広い。とくにケータイネット用コンテンツの利用率が高い。パソコンはあまり使わず、多くの行動がケータイ内で収まっている。このあたりはオトナ世代とはまったく異なる点といえるだろう。

大まかに言ってしまえば、パソコンからインターネットに触れた世代と、ケータイからインターネットに触れた世代とでは、ケータイへの接し方も、それを通じて垣間見る世界の魅力も異なる、ということになるようだ。

若者がケータイを多用する背景には、「パケ・ホーダイ」(NTTドコモ)などのパケット定額制の普及があることは間違いない。「モバイル社会白書2007」(NTT出版)によると、携帯電話のパケット定額割引利用者割合は、携帯ユーザーの33.4%だが、19歳以下だと57.8%にも上る。


ケータイネット世代のきもち PC世代が知らない、若者とケータイの密な関係
http://journal.mycom.co.jp/series/mobilecom/001/index.html




巨大な一極とフラット化の社会


ネットの特徴は新たな世代が新たなハイウェイに乗っかり、新たな遊びを見出す傾向がある。そしてそれは、Goolgeによる誘導以上に、ネットは一極集中する傾向がある。これらは大きく見れば情報インフラというハイウェイを下部構造にした新陳代謝であるといえる。

売れているものがメディアに取り上げられることで注目度を増し、さらに売れるというスパイラル現象。マーケティング用語でティッピングポイント、経済学では収穫逓増(ていぞう)と呼ばれる現象が起き、一極集中へとひた走る。そうした情報の流通環境を加速させているうえで大きいのは、やはりインターネット−−とくにウェブの存在だろう。

いまや誰でも何か知りたいことがあれば、パソコンや携帯電話で検索すればよい。億単位におよぶほどふんだんな情報が出てくる。しかも、情報を引き出す際には、より個人に特化(パーソナライズ)した絞り込みでセグメント(区分)することすら可能だ。・・・だが、どういうわけか、何かが起きる際には一極集中のような現象が見られる。そこにこの新しい時代の逆説的な傾向がある。・・・いま訪れつつある社会は、本当にフラットなのだろうか。もうひとつの大きな要素が見逃されているように映るのだ。・・・巨大な一極とフラット化の社会というべきか。P49-50


「グーグル・アマゾン化する社会」 森健 (ISBN-10:4334033695)

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