プラトンの禁欲主義とニーチェの反禁欲主義と日本人の素朴な信仰

プラトンの禁欲主義


プラトンの思想の後世への影響は哲学においても、宗教においても、根深い。プラトン以前は、真理は人間の英知を超えたものだから神へ祈るしかなかったが、プラトンが示したのは世界は数学や幾何学のような神の言葉でできている、ということだ。すなわち真理は形而上学として理解できるものだ。哲学においても、宗教においても、ここから人の真理の探求がはじまる。ようするにいくら神に関することでも、客観的な論理を語ることが重要になる。

ここでいう数学や幾何学は現代人が考えるように、倫理とは関係がない無機質なものではなく、ピタゴラス派が考えたように、正しさを示す倫理的なものだった。すべてにはイデアという正しい役割があるという倫理的な核心である。靴屋靴屋の正しい役割があり、軍人には軍人の正しい役割があり、政治家には政治家の正しい役割があり、そしてこれらの正しさの核心を知っている者が哲学者であって、哲学者が支配者になることよい、となる。

そして重視するのが、まず正しいことがあるのだから、育てる過程で歪まないように刺激を排除する。ここに禁欲主義が現れる。そしてキリスト教の中の論理=神学として組み込まれて、ローマ帝国の国境化とともに広まっていく。またここにのちの、ウェーバーが資本主義の精神としたプロテスタンティズムの天職概念を見ることができる。

A・N・ホワイトヘッドの有名な表現によれば、西洋哲学史は、要するにプラトン哲学に対する一連の脚注にすぎない。宗教思想の歴史においても、プラトンは同様に重要であり、古代後期、とくに四世紀以降のキリスト教神学、イスマーイール派の霊知、イタリアのルネサンスなどはすべて、程度の差はあるもののプラトン派の宗教的なヴィジョンの痕跡をとどめている。

プラトンが、ときにはイデアの世界を現実の世界のモデルとして語り、またときには、感覚的現実の世界がイデアの世界に「参与する」ことを認めたりしたことは問題にならない。しかし、この永遠のモデルとなる世界がいったん正しいものと仮定されれば、人間がいつ、どうやってイデアを知ることができるのかが、説明されなければならない。プラトンが、魂の運命に関するオルフェウス派的」ピタゴラス派的理論を踏襲したのは、この問題を解決するためにほかならない。・・・みずからの体系にあわせて、魂の輪廻と「想起」アナムネーシス)の理論をとり入れた。

プラトンは、知ることは、要するに思い出すことに帰着すると考えている。地上での生と次の地上での生とのあいだに、魂はイデア観照し、純粋で完全な知識にあずかる。しかし、転生の過程で魂はレテの泉から水を飲み、イデアを直接観想することによって得た知識を忘却する。しかしながら、この知識は転生した人間に潜在化しており、哲学の働きによってよびもどすことができる。P265-266


世界宗教史3 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085637




ニーチェの反禁欲主義


道徳の系譜のように、ニーチェキリスト教的禁欲主義の不純さを負け犬根性と非難した。それに自立した強さとして「超人」を対立させる。これがニーチェの基本の構図で、悲劇の誕生では、アポロン的とディオニソス的を対立させる。静的、禁欲的、道徳的な社会秩序と、動的、欲望的、力の思想の対立。当然、プラトンの禁欲主義も前者になるわけだが、おもしろいのが、プラトンもまたピタゴラスも、ディオニソス系のオルフェウス教」の影響を受けている。ニーチェが非難する禁欲主義ももとをただせば、ニーチェが信仰するディオニソスから来ている。禁欲的と欲望的は同じ根を持つ。

正しい対立は、素朴さと禁欲(反禁欲)だろう。この素朴さとは、簡単に言えば、土地に根ざした農耕生活にもとづく。豊作を祈る土着的で素朴な信仰。宗教と言っても日々の生活慣習や豊作の儀式(呪術)と密接に結びつき、個の精神性を求めるような強い禁欲さはない。強く一人の神を信仰するのではなく多神教で、他の宗教にも寛容。これと対立するのが、強い1神教。ユダヤ教キリスト教、仏教、(宗教ではないが)儒教。土地、農耕、生活慣習と切り離され、明確化された人間主義的で、禁欲的な教義、強い1神教。他宗教への不寛容。

これの強い宗教がどのように生まれてきたのかは、いろいろ説はあるが、土地から切り離されて、社会の流動性が上がったことによるだろう。土地から切り離されて、社会の流動性が上がるのが、民族対立、民族征服だろう。ユダヤ教に強い戒律を生まれたのは、バビロン捕囚のあとと言われる。戦争に負け、捕虜としてつれられ、またバラバラになり、どこにいてもつながっているために強い1神教、強い戒律が求められた。キリスト教は、ユダヤ人を超えて、都市層の流動民を取り込むことで広まっていった。

このような強い禁欲主義の一方で、ディオニソス的な強い欲望の信仰も求められる。もともとディオニソス的な信仰は、日本でいうハレのように、土着的で素朴な信仰の中で、豊作を祝う祭りとして生まれたのだろうが、それが禁欲主義的宗教と同じように、土地から切り離され、比較的裕福な都市層の中で一つの強い宗教になったのではないだろうか。このような意味で、禁欲と欲望的の対立を超えたところに、素朴な信仰と強い宗教の対立がある。そしてニーチェの批判は、強い宗教の中からでていない。

強い宗教(禁欲 VS 反禁欲) VS 素朴な信仰




日本人の素朴な信仰


ボクたち日本人には宗教がないといれるのはまさにこの「強い宗教」を信仰していないためだ。たとえば江戸は人口、高度な文明化において、世界的に有数であったのもかかわらずに、日本人がすごいのは、強い宗教を持たずに、素朴な信仰のままで江戸時代まで生きてきたこと。こんな民族は他にないのではないだろうか。普通は、土地に根ざした素朴な信仰の民族は、どこかで、強い宗教の民族に征服される。なのに日本人は辺境島国故に、征服されずにきた。ならば普通は辺境民族として原始社会をとどめるようなものだが、ラッキーなことに中国という世界最先端の文明が絶えず輸入されてつづけた。この奇跡的な環境が、高度に文明化するのに、素朴な信仰のままという、世界的にめずらしい文明を生みだした。

日本でも強い宗教の仏教は早い段階から輸入されたが、鎌倉仏教までは、僧や知識層の勉学や祈祷術などで一部の普及にとどまった。鎌倉仏教で民衆に広まるわけだが、困ったことに庶民は本来の強い宗教としての禁欲主義や精神的な高い理想を理解せず、現世利益を求めて土着の信仰と融合させるにとどまる。新たな支配層の武士は武士道として禁欲主義な禅宗などを信仰するが、その理想とは別にどこまでまじめに取り組んだかは怪しい。

日本人がもっとも、禁欲主義的な強い宗教のエートスを受け入れたのは、明治以降だろう。強い宗教を信仰することはないが、近代文明の中に忍び込まされたプロテスタンティズム的な精神性はいやがおうにも、日本人に浸透していく。これで一気に日本人は禁欲主義化する。

キリスト教の影響が一番わかりやすいのは性に関してだろう。キリスト教は、アダムとイブの始めから性への禁欲主義にとくにうるさい。それまで人前で行水したり、セックスに関しても寛容だった日本人が、一気に性倫理に敏感になる。少しでも肌が見えているとヒステリックになる180度の変わりようだ。

それでも、いまも西洋人から見ると日本人は性倫理が低いと非難される。最近とくに、うるさいのはオタクなどの幼児性愛的な表現である。この当たりに日本人の性への寛容さが残っているが、キリスト教文化ではあるまじきことだ。結局、キリスト教的禁欲主義だろうが、ニーチェ的な反禁欲主義だろうが、西洋人は子供の頃から信仰者として育てられて強い宗教は大変らしい。日本人には宗教、思想がない、優柔不断ではっきり意見を言わないとか、非難されるが、日本人の素朴で適当さは貴重である。




日本人の役割社会とプラトン全体主義


世界的に、家系、血族を重視する文化は多いが、日本人のように、血よりも家業(家督)を重視する文化は珍しい。通常、民族的に侵略されると家業の継続は難しく、それよりも宗教や血を重視した結束をもとめるだろう。社会の中の役割を重視する日本独特の文化だか、おそらく日本人の辺境島国なのに高度文明という特殊な環境によるだろう。

多民族による征服を知らない日本人は、擬似的な単一民族感覚を継承し続ける。その象徴が天皇だろう。天皇がたえず政治的に強い位置にいたわけではないが、擬似的な単一民族感覚が継承されていることを象徴しつづけた。そしてこのような擬似的な単一民族感覚の中で、日本人は誰もが日本人全体のためになんらかの役割を担っていることを求められた。武士はもともと貴族の護衛をするなどの職業であるが、武士が支配層になろうが職業としての武士は継承される。武士は支配する上流層以上に、警察、行政、政治の職業を担う人だった。将軍もまたしかり。

このような日本の役割社会は、全体主義的にも思えるが、江戸時代までは国民国家という強い思想はなかったし、また庶民は素朴な信仰のもとにあった。農民でもその役割は支配層の武士に強く管理されたわけではなく、決まった年貢さえおさめれば、職に関しては、村の自治に負かされて自主的である。西洋の封建社会の農民が領主に強く従属されていたのに対したのとは対照的である。

日本人が早くに近代化を達成しえたのは、日本人的な役割文化がプラトンから継承されたプロテスタント的な天職概念と結びついた面がある。そしてその延長線上に、日本人の全体主義的な面も現れたのだろう。

禁欲主義的理想を除いては、人間は、人間という動物は、これまで何の意義も有しなかった。地上における人間の存在には何の目標もなかった。「人間は一体何のためのものか」−−−これは答えのない問いであった。人間および地上には意志というものが欠如していた。あらゆる大きな人間的運命の背後には、それよりも更に大きな「徒らに!」が折り返し文句のように響いていた。何物かが欠如していたということ。人間の周囲に一つの巨大な空隙があったということ、このことをこそ禁欲主義的理想は意味するのだ。−−−人間は自己自身を弁明し、説明し、肯定するすべを知らなかった。彼は自己の意義の問題に苦しんだ。彼はそれ以外にも苦しんだ。彼は要するに一つの病気の動物であった。

しかし苦しみそのものが彼の問題であったのではない。むしろ「何のために苦しむか」という問いの叫びに対する答えの欠如していたことが彼の問題であった。人はそれを欲する、かれはそれを求めさえもする。もしその意義が、苦しみの目的が彼に示されるとすればだ。これまで人類の上に蔓延していた呪詛は苦しみの無意義ということであって、苦しみそのものではなかった。−−−そして禁欲主義的理想は人類に一つの意義を提供したのだ!それがこれまで唯一の意義であった。何らかの意義を有するということは、全く意義を有しないということよりもましである。わけても禁欲主義的理想は、確かにこれまでに存在したかぎりでの優れた《間に合わせ》であった。苦しみはその中で解釈を得た。

巨大な空所は充たされたかに見えた。門扉はすべて自殺者的ニヒリズムの前に閉ざされた。この解釈は−−−それには疑いを容れない−−−新しい苦しみを持ち来たした。それは一層深い、一層内的な、一層有毒な、一層生命に喰い入るような苦しみであった。この解釈はあらゆる苦しみを負い目の見地のもとに持ち来たったのだ・・・・・しかしそれにも拘らず−−−人間はそのように救われた。彼は一つの意義をもった。それ以来、彼はもはや風の中の木の葉ではなくなった。無意義の「没意義」のお手玉ではなくなった。彼は今や何物かを欲することができた。−−−彼が差し当たり何に向かって、何のために、何によって欲したか、というようなことはどうでもよい。意志そのものが救われたのだ。

禁欲主義的理想によってその方向を与えられたあの意志全体が、もともと何を表現しているかを包み隠すことは絶対に不可能である。人間的なものに対する、それにもまして動物的なものに対する、それにもまして物質的なものに対するこの憎悪、官能に対する、理性そのものに対するこの嫌忌、幸福と美に対するこの恐怖、あらゆる外見や変化や生成や死滅や願望や欲求そのものから脱がれようとするこの欲求−−−それらはすべて、これを敢えて概念的に一括するならば、無への意志であり、生に対する嫌忌であり、生の最も根本的な前提に対する反逆である。しかし、やはりそれが一つの意志であるということに変わりはないのだ!・・・・・・そこで、私が最後にもう一度繰り返すならばこうである。−−−人間は欲しないよりは、まだしも無を欲するものである、と・・・・・P207-208


道徳の系譜 ニーチェ (岩波文庫