なぜブロガーはジレンマを抱き続けるのか?その2 少数派ブロガーの淘汰

pikarrr2005-08-31

面白いとはなにか?


しかしこれまでの内容は決定的に重要なことが欠けている。それは、「面白いとはなにか?」という問題である。たとえば、本のランキングの上位はそんなにおもしろいだろうか。ボクは、本をランキングで買ったことはない。むしろボクの面白いと思う本はランキングとはほど遠い。しかし音楽、映画、あるいはTVの視聴率はどうだろうか。

すなわち面白いとは個人の嗜好であり、ある分野について掘り下げれば、掘り下げるほどに、最大公約数的な基準=ランキングはつまらないものになる。価値の多様化した社会では、「ランキングほどつまらないものはない」のである。しかしボクたちがランキングが好きなのは、価値が多様化した社会という情報の海では、なんらかの指標がないと泳げないからである。だからある分野に深く興味を持ち、そのランキングに物足りなくても、また他の分野では、ランキングを活用しなければならない、のである。

このような意味でボクはいまのブログはまだまだ物足りないメディアであると考えている。たとえば2ちゃんねるの板、あるいはスレッドのランキングがあっても、まったく興味がないだろう。2ちゃんねるにアクセスするとき、自分の興味があるスレッドにいくだけである。

2ちゃんねるに求める多様性には、ランキングという基準は意味をなさないのである。それに比べて、ブログはまだまだ多様性を可能にしていないように思う。




ブロガーの孤独


たとえば2ちゃんねるや、掲示板では、少しの時間があれば、訪れてレスをすることができる。そしてノイズが多すぎるという問題があるが、すでに集客力があるために、コミュニケーションが展開される可能性が高い。

しかしブログで活発なコミュニケーションをするためには、定期的にメンテナンスをして、人々を引きつけていかなければならない。そのような労力を保持できる人は、ある意味で、学生?、独身?などの「特殊な人」に限られているだろう。

しかし労力をかければ、それだけで「反響」があるというわけではない。たとえば2ちゃんねるの哲学板から名の売れた?コテなどがブログをはじめたが、ほとんど成功していない。その理由は反応が少ないためである。哲学的な言説など読む人はそういないのである。

このように多くのブログーはまず反応がないという障壁にぶち当たるのではないだろうか。あくまで一例であるが、「186(fold_wh)」はてなについての話 その79 - 1 はてなアンテナで調べた場合」http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20050828/rd_79_1)での被アンテナ数のランキングを元に調べると、全162837件中、被アンテナ数が10件では5.5%、100件では0.28%、300件では0.05%でしかない。




「ブロガーのジレンマ」ふたたび


では、反応を求めるためには、どうするか。多様性よりも、ブログ界隈というムラ社会的に受ける内容=ランキングされるような内容を書いていくことではないだろうか。そして再度、「ブログのジレンマ」に回帰するのだろう。それは、反応を求めることと、自分の書きたいことを書くということの板挟みというジレンマである。

では、「見られたい人」とは誰か?ブログをするということは「ブログ」という記号コミュニティへ帰属することである。だから他のブログは気にかかる。そして他のブログとの相対化によって自己位置がより明確になる。これを
たとえば、飛雄馬は、さらに野球がうまくならないといけないのである。でなければ飛雄馬がなにものであるかわからなくなるからである。「見られたい人」とは、「私である他者」であり、私が何ものかを、より複雑に明確にしてくれる他者である。そのような出会いによって、私は私であるという充実感を得ることができる。

ブログはなぜ書かれるのか  http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040713

反応を求めるためにムラ社会的なランキング指向の記事を書くと、人が集まるかもしれない。しかし人が多く集まっても、「見られたい人」はこないのである。なぜなら「見られたい人」とは「私である他者」、自分の書きたいことに興味をもっている人であるからだ。




ブログは少数派を救えない


ネット全体にも多数派な話題、少数派な話題というものはあるだろう。たとえばネットやPC関連、オタク、サブカル関連などの話題は多数派である。しかし2ちゃんねるでは、少数派もカテゴライズされた板、スレッドというシステムで、ゆっくりと継続される。

それに比べて、ブログでは多数派が決定的に有利な傾向があるだろう。そのためにブログに積極的な労力をつぎ込んでも反応が少ない少数派は、「淘汰」される傾向にある。いまのところ、ブログは少数派を救えないシステムであるように感じる。そして、これからブログが多様性を持つ可能性はあまり高くないのではないかと、思っている。

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