続 なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか?

pikarrr2005-10-17

左翼系学者は2ちゃんねるを批判する?

考える名無しさん
のまねこ問題以前に2ちゃんねるは成果を挙げている。今回が初めてではない。電車男が映画、ドラマ化された。小林よしのりが火をつけた嫌韓も、いったん収まりかけたが、2ちゃんで再び注目されるようになった。大手メディアと対抗できるまではまだまだだが、無視できない存在になりつつある。

左翼系学者も2ちゃんを批判してるが、未だに、なんだかんだ批判しながら見てる。皮肉だ・・・自民圧勝も、メディアが、ポピュリズムとか、劇場政治とか、いろいろ言ってるが、小泉支持率は下がらない。つまり大手メディアより、2ちゃんねるのほうが世論に近いわけ。

考える名無しさん
便所の落書きという称号をいただく2ちゃんねるの中でちゃんと議論ができる人を見抜いて、スルーしながら対論を経て論を煮詰めて精製されて生まれた金の一粒のような正論は強力な象徴として機能し、識者達を動かし政治的なものとなると思う。

つまり2ちゃんねるのように、怪しい情報であふれてると、逆にそこから勝ち上がってきた意見は、メディアの中で普通に行われる主張よりも説得力がある。よって、多くの人を先導することになるんだろうな。ヘゲモニーを握るんだな、学者の言葉や政治家の言葉や社説よりも

ぴかぁ〜
勝ち上がってきたというよりも、立ち上げってきたという方が正しいだろう。「マスメディアが言ってくれなかった、ぼく達の意見がそこにある。」そこの特別性を感じるのは、2ちゃんねらーとしてのキミにとってでしかない。

ネットにおける責任は、「祭り」によって問われる。のまネコのように。たとえば、ブログのコメント欄の炎上、2ちゃんのコピペ荒らしも同様な構造である。そこにあるのは、闘争だ。だから当然、そこの正当性があるか、どうかは別問題である。そして多くにおいて、実社会的な規範、法とあわない。 意味ない盛り上がりか、意味ある盛り上がりか、それは誰にとってという問題でしかない。学者が問題にするのは、このような不確実性だ。

考える名無しさん
立ち上がってきた意見には特権性がないとして、では学者の意見に特権性があるかというと、ないわけです。少なくとも学者の意見も、2ちゃんねらーの意見も相対化されてる。左翼系の学者が、2ちゃんねるの言説を追っかけてる時点でどちらに勢いがあるかは明らか。単なる罵詈雑言なら、分析の対象にさえならないでしょう。

エイベックスが市場原理主義的な姿勢で2ちゃんねると闘争してる、というのはどうだろうか。2ちゃんねるがあろうがなかろうが、市場原理主義に、「他人の著作権を独占していい」なんて理屈はないわけで闘争という対立関係に持ち込まなくても、著作権を商業的に囲い込むのをやめましょうと、和解し、両者が歩み寄ればすむ問題。

闘争ではないマルクスじゃないんだから、闘争の枠組みで捉える必要はない。これは闘争ではない。

ぴかぁ〜
影響力ならわかるが、そもそも「特権性」とはなにを指しているのかな。

左翼系の学者という表現がよくわからないが、なぜ2ちゃねらーVS学者なのか、わからない。影響力、分析する意味があるだろうから、サーチするのは学者の大前提で、改めて言及する理由がわかない。いまどき、左翼系の学者?の発言に社会的な影響力がないのは、わかるだろう。誰を指しているのかわからないが、宮台でも、東でもどれだけの人が知っているか。

エイベックスの行為が、法に触れるなら、問題はもっと簡単だ。合法で、法で裁くことが困難だから、2ちゃんねーが自分たちの価値で、自分たちの方法で裁こうとしてのが、今回の問題だ。

考える名無しさん
左翼系の学者
北田あきひろ 2ちゃんねるにリベラルの花束を、とかいう題で稚拙な2ちゃんねる分析をしている
東浩紀  今月号のユリイカ2ちゃんねるには「悪口でつながる欲望」が中核にあるとこれまたバイアスがかかっている
宮台真司 小泉自民党圧勝をネットで分析していた 今回の選挙は自民と民主が得票数では拮抗してるのに議席数では自民が圧勝してる。つまり得票と議席が乖離してる小選挙区制度の問題。しかし宮台は、これは都市部の弱者、ヘタレ保守、の不安のポピュリズムだといった、これまた偏見に満ちた分析をしていた。

この3者を、私は左翼系学者と呼んだ。あと鈴木謙介も入れたほうがいいと思うが、左翼系学者を説明もなく使ってしまって、すいません。学者は嫌いではありません。この3者の偏見に満ちた分析が嫌いなだけ

私はあなたの意見が、東、北田、宮台、鈴木謙介といった人と似ていると感じたのでそれを前提に書き込んでいた。学者そのものへの嫌悪は、私の意見に入ってるかもしれないが、それよりも私は、2ちゃんねるは繋がりたいだけで対象は何でもいいとか、悪口でつながる欲望とか、そういった短絡は、おかしいと思う。そこまで単純化できるとはとても思えない。

ぴかぁ〜
世代論が大きいような気がしますね。こんな感じですか。

宮台真司 かつてギャル分析で、ネットには乗り遅れ
東浩紀 いまだにオタク分析で、ネットに乗り遅れ
北田あきひろ かつての2ちゃんねるニュー速のサヨ的)分析で、今も夢を持っている。
鈴木謙介 ネット世代。宮台、東に影響され、古い分析から抜け出せない。

考える名無しさん
あなたも充分その4者に対して、否定的ではないかw




便所の落書き「世論」になるとき

ぴかぁ〜
2ちゃんねるは繋がりたいだけで対象は何でもいいとか、悪口でつながる欲望とか、そういった短絡」というのうは、ised*1でも語られていますね。

ised全体の違和感は、環境管理権力に重きを置きすぎていることだと思います。まさにこれも東のオタク分析、動物化から来ているのですが。2ちゃんねらーは動物でなければならない、ということがあるように思います。2ちゃんねるの作動は、欲望であるが、本当が単なる快感だ、ということだと思います。

そのような面は多々ありますが、今回ののまネコ問題にしても、快感に短絡できないでしょう。北田は、そこに人間的な規範、アイロニーが働いているという意味で、ボクは賛同するのですが。北田の記事みましたか。短絡していないと思います。 むしろサヨ理想主義的です。

「激変するメディア環境――「便所の落書き」が「世論」になるとき」 北田暁大 http://books.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/ron/05/042/r05042BNA2.html

考える名無しさん
だが、独特の文法をもって展開されるコミュニケーションは、ときに世界に対する批判的/アイロニカルな態度を生み出し、マスコミの専横の下では不可能であったような《運動》を生み出してもいる。 世界を皮肉に眺め、そのアイロニー「パロディ」的に表現していくという方法論――大仰に聞こえるかもしれないが、それはたしかに新しいタイプの《社会運動》のスタイルといえるだろう。
重要なのは、こうした2ちゃんねる的《社会運動》、世論形成のメカニズムが、冷戦的なイデオロギー対立の図式(右/左)では理解できない、ということである。この「無イデオロギー的な力が、今後どのような方向に舵をとっていくのか、私たちは冷静に見極めていかなくてはならない。 それ(ブログ)は、匿名性の渦のなかでしばしば「パロディ/アイロニーの自己目的化」に陥りがちな2ちゃんねるとは、異なるタイプの情報空間を作り出していくかもしれない。

「激変するメディア環境――「便所の落書き」が「世論」になるとき」 北田暁大
http://books.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/ron/05/042/r05042BNA2.html
左翼系学者と言うのは、的はずれだった。反省。ただ彼はアイロニーと言うのをどうも、右・左の対立は超えるが、自己目的化に陥ると言った否定的な見方が中心にあるんだな。アイロニカルな自家中毒に警告しつつ、そこから展開していかないのが、彼の主張の欠点だな。アイロニーを肯定的に捉えたことがあるのか、彼は?アイロニーをパロディと同列に扱うのはどうかなぁ。

「無イデオロギー的な力の今後に注目してるようだけど、それもおかしな話。2ちゃんねるの論調は、あくまで正論、是々非々でしょう。そこにネタ、パロディーが補完的にあるだけで今後もこの調子で、マスコミ、中国、韓国、企業などを相手に、ネタを多分に含んだ正論を繰り返すだけだと思いますよ

ぴかぁ〜
アイロニーは肯定的に捉えているのではないでしょうか。北田は2ちゃんねるロマン主義シニシズムと言いましたが、むしろアイロニーシニシズムに転倒するときに、皮肉だけで楽しむことを否定しているのではないでしょうか。

先ほどの言いましたが、2ちゃんねる「正論」とはどのような価値観を元に「正しい」のでしょうか。今回ののまネコ問題にしても、あのようなことは企業間では日々行われているわけです。法的な手法を上手く用いて、自分の権利を広げるのが基本です。

たとえば社会全般でも、法というのは多くにおいて、不条理な結果を生みます。あの犯罪者が軽い罪になるなど。これは法だけではなく、規範にも言えるでしょう。ある人にとって常識は、、違う人には非常識ということは多々あります。




唯物論的、環境管理的世界への欲望

考える名無しさん
規律訓練的なものは信じていいでしょう。ただ、「権力に統治されていると自ら気付かない内に支配されている世の中」とか「副作用ゼロで人間を快活で愛情深い善人にしてくれる薬が開発された時、みながそれを飲むような社会でいいのか…」と言った、危機感があるわけで、規律訓練的な考えには、納まらないものがあるわけで。

人間の自由とか自由意志といったものは、規律訓練的に、他人のまなざしにさらされながら、自律的に出てくると言った考えにも、人間性への根拠なき信頼に支えられてるわけで

ぴかぁ〜
isedのストーリーはだいたいこんな感じですね。

ネットでは、規律規範が崩れている。

「祭り」などのように、欲望が自己組織的に秩序をつくっている。人間性への根拠なき信頼に支えられてる。」

あまりに不確実であり、信頼性に欠ける。

これを管理するのは環境管理権力しかない。

でもアーキテクチャーで厳しく管理しすぎて強力な権力として働かないか。

ここでのボクが違和感は、環境管理権力はそれほど強力なのか、ということです。環境管理権力の究極が遺伝子操作ですが、遺伝子操作しようが、生命という自己組織的不確実性は、それを乗り越えてしまうのではないか。ベタにジュラシックパーク的ですが。

さらには、「祭り」などの自己組織的秩序は、それほど危険か。不確実性にあまりに恐怖しすぎるのもいけないのでないか。この世界はしょせん、すべて不確実性であり、それを受け入れる、そのような環境を共存する、受け入れる姿勢が必要ではないのか。エコロジー的ですが。

不確実性の恐怖と闘うために、管理するために、知識はあり、学者は存在するわけですから、学者の議論が、不確実性を対立する方向に向かうのはしかたがない、それが彼らの存在理由なわけですが。

考える名無しさん
環境管理権力の究極は遺伝子操作じゃないと思うな。バーチャルリアリティーだと思うな自分の思い通りにならない世界よりも、思い通りになる世界が作られるようになれば、そっちに流れると思うな。究極の引きこもりともいえるね。引きこもりが社会に出てくる可能性は、今はまだあるけど、バーチャルな世界を作れるようになると、なくなると思う。

ブレードランナー見てないけど、あの映画って自分は人間だと思い込み、ロボットを人間かどうかテストしてたけど、最後に自分は実はロボットで、自分もまた命令に従っていただけだった、って言うオチでしょ(たぶん)。それが、これからの世界を暗示してるようにも見える。不確実性だと思ってたものは、実は、あらかじめ書かれていた単なるプログラムだった・・・

ぴかぁ〜
ブレードランナーも、根底はジェラシックパークと同じで、生命の不確実性をあつかったものですね。

ジュラシックパーク 遺伝子操作し去勢された遺伝子→生殖を開始し、暴走する
ブレードランナー 精巧に作られたはずのロボット→心が宿った?

マトリクスでいえば、身体があのような容器の中では健全な精神は宿りません。運動できない、身体の拘束は、精神をも疲弊させ、死に至るでしょう。すべてが管理される世界が訪れるというのは、幻想でしょう。唯物論的、環境管理的世界への欲望は誰もがもっていますが、この根底には、将来の不安へがあるのではないでしょうか。

考える名無しさん
ネットコミュニティの恐怖は【粘菌の増殖】に恐怖するのに近いのでは?見えないところでコロニーを成し、爆発的に増える。まなざしの及ばない対象は敵である。

ぴかぁ〜
自己組織性ですね。ただネットだけでなく、この世界そのものが、【粘菌の増殖】世界です。人は地球に巣くうウイルスなどと言われますが、環境、生命、社会はすべて、自己組織性であり、不確実です。

その不確実性を懸命に低減させように、人は文明を築いているわけです。そしてネットでは、情報伝達速度が速く、自己組織性が活発化しているのですね。そこでは、いままで不確実性を低減してきた、規範、法、技術で対応できなくなっているということです。

*2 *3

*1:情報社会の倫理と設計についての学術的研究 http://ised.glocom.jp/ised/

*2:本内容は、2ちゃんねる哲学板「まなざしの快楽 PART10 」スレッド http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1126142982/からの抜粋です。ただし内容は必要にあわせて編集しています。

*3:なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041204