ヘタレイズムについて

pikarrr2005-11-20


ヘタレ化にはまっている今日この頃です。それはいままでの思考が「ヘタレ化」に集約するからです。今までの主なテーマ「神話なき神話の時代」2ちゃんねるポストモダンを越えていく」「まなざしの快楽」「溢るる汚物」「無垢への欲望」などなど*1は、結局、人々のヘタレ性というものを描写してきたといえます。

「ヘタレ」とは、「意味を欠いた動物的生の反復に飽きたらず「全体性」を希求する人たち」*2です。なにが不満なのか、わからないが、「漠然とした不安」あるいは、「なんのために生きているんだろう」という問いが回帰してしまう、というとっても「人間」的なことです。社会が豊かにそして安全になるほど、強迫的に回帰するような状況が起こっています。

ヘタレ化は、どんなに豊かになっても欲望は止まらないという「(もてあました)生の力」のようなものであり、それが社会変化の原動力でもありました。特に、いまでは、ネット上の「繋がりたい」という欲望によって、活発化しています。それが悪い、良いということでなく、全体像はだれにもとらえられないまま、何かが起こっているのです。

特にボクは、ヘタレ化とテクノロジーに注目します。テクノロジーによる応答性の加速化が、ヘタレ化の強迫性に繋がっていると考えるからです。ヘタレは、主体として精神分析的な(パラノな)主体像として、とらえることができるでしょうが、テクノロジーの加速下では、器質的な(スキゾな)主体、その場合には、ドルゥーズ的な群としての特徴が現れるでしょう。まさにヘタレとは、世界の急激な変化に対応する多様性、柔軟性そのものでもあるのです。




ヘタレ化するポストモダン