Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか 「ウェブ進化論」 梅田望夫

pikarrr2006-02-13

ウェブ進化論 


ウェブ進化論 梅田望夫ISBN:4480062858)を読みました。「本当の大変化はこれから始まる」という野心的な副題がついています。最近、グーグルが凄いという話を聞きますが、なにが凄いのかが、書かれています。

著者によると、「インターネットの可能性の本質」は、「無限大に限りなく近い対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積できたら何が起こるのか。」というところにある、ということです。そして「いま多くの人々のカネと時間を飲み込んでその混沌が巨大化していく。そしてこの混沌という玉石混交から「玉」を見出す試みがおこなわれている。」すなわちこの巨大な混沌から秩序を生み出されていく可能性、そしてそれを触発する技術が今後10年の「情報そのものに関する革命的変化」になるだろう、ということです。これらの試みの例として、以下の動きが紹介されています。

オープンソース現象」・・・リナックスなりウィキペディアなど、誰かが用意した大きな「全体」という場があって、そこに「個」がボランティア的に参加することで「全体」が発展していくという
Web2.0・・・「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくため技術やサービス開発姿勢」
wisdom of crowds(群衆の叡智)・・・不特定多数の意見をどのようなメカニズムで集積すると一部の専門家の意見よりも正しくなるか。
「マス・コーポレーション」・・・見知らぬ者同士がネット上で協力して新しい価値を創出する手法
「バーチャル経済圏」・・・ネット上の富をどう配分すべきか




グーグルの「民主主義」


この玉石混交問題(玉石混交から「玉」を見出す試み)の第一ブレークスルーがグーグルの検索エンジンであり、流れの中心にグーグルがいるということです。

世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランクアルゴリズムなのである。・・・これは、「知の世界の秩序の再編成」である。

グーグルがゴールとして目指しているのは、「グーグルの技術者たちが作り込んでいく情報発電所がいったん動き出したら「人間の介在」なしに自動的に事を成していく」世界である。・・・ヤフーは人、グーグルはコンピュータという言い方には少し違和感があるけれど、ヤフーは、人間が介在することでユーザー経験がよくなると信ずる領域には人間を介在させるべきだと考えている。・・・ヤフーはコンピュータが完全に人間の代わりができるとは思っていない。

消費者を主対象とするネット産業というのは、そもそもが「生活密着型サービス産業」と把握するほうが普通で、米国の、しかもグーグルだけがそれを「テクノロジー産業」だととらえた突然変異なのだ。・・・ヤフーとグーグルの競争には、サービスにおける「人間の介在」の意義を巡る発想の違いがある。

グーグルはアドセンスなど様々な革新的なシステムを成功させていますが、その根底に今までのIT企業にはない、強いヴィジョンがあるということです。「人間の介在」しないテクノロジーの作動によって、徹底的に事をなしていく」という「インターネットの意志」である「民主主義」を構築するということの可能性です。

すべての言語におけるすべての言葉の組み合わせに対する「最も適した情報」とは、どういう基準で順序付けが決定されるべきなのか。グーグルはそこに「ウェブ上での民主主義」を導入したと宣言する。・・・リンクという民意だけに依存して知を再編成するから「民主主義」。そしてこの「民主主義」「インターネットの意志」の一つだと、彼らは新奉しているのだ。

グーグルのミッション「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」

巨大な混沌から秩序を生み出されていく可能性、すなわち自己組織性は、特にグーグルなどのシステムとは関係なく、ネットに内在する特性です。たとえば2ちゃんねる「祭り」なども同様な現象でしょう。その「力」をいかに上手く管理し、活用するか。それによって、誰もが平等に知を活用できる環境が生まれ、そのような意味ので「民主主義」に向かうことが、インターネットに内在する「意志」だろう、ということでしょう。




グーグルの可能性


このような流れのおもしろさは二つ考えられます。一つはこの構想に含まれる可能性です。このようなネット上の平等思想の可能性は、グローバルビレッジ、スマートモブスなど、様々に語られてきました。しかしそれの難しさは、ボクも語ってきました。*1 *2 *3 *4

議論の中心の一つが、サイバーカスケードにいかに対応していくのか」ということです。サイバーカスケードとは、ネット上に起こったイラク人質事件への自己責任論のように、「小さな発言」が集まって自己組織的に大きな力として立ち上がってくるものです。それが、良い方向に向かうと新潟地震に対する救済支援活動のネット上での展開のように動きとなり表れ、創発と呼ばれます。しかしサイバーカスケード創発性はネット上に現れる自己組織化現象であり、コントロール不可能な両義的なものです。

ようは、「そのうごめきには不透明さと無根拠さがつきまとうハイパーポピュリズムとでも呼ぶべきもの」である2ちゃんねる的なものにどのように対峙していけばいいのか、ということになるのではないでしょうか。今回の議事録からも、知識人たちに広がるこのようなコントロール不可能性へのショック=2ちゃんねるショック」とでも言うものがあるように感じました。

なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041204

グーグルのおもしろさは、「人間の介在」なしに自動的に事を成していくという」思想です。彼らは、様々な文化人の言説とは異なり、実際に検索エンジンや、アドセンスなど様々な革新的なシステムによって、成功されてきている、ということです。まさにこの知的集団と大量な投資は、世界全体を網にかけて、このネットいう怪物を管理し、どこまで手なずることができるのか。いまこんな事は言えるのはIT企業だけでなく、政府も含めて、確かにグーグルしかいないのかもしれません。




グーグルの不可能性


もう一つは実現不可能性です。それでもこのような思想はどこかで必ず行き詰まるだろう、ということです。ヤフーのように人間を介在させて判断を曖昧に、臨機応変に行うのに対して、グーグルが限りなく「人間の介在」なしに自動的に事を成していくという」ときに、プログラム化できない残余が残るという。それは倫理的な、あるいは思想的な、政治的な問題、すなわち欲望の次元が残るでしょう。

たとえば、「テクノロジーで世界を語り尽くす」という欲望は、テクノロジーで語り尽くせないだろう。それはプログラム化するにして、誰かが判断するにしろ、その純化された「欲望」こそが「グーグル」である、ということです。グーグルのテクノロジー至上主義は逆説的に、いままでのIT企業の中でももっとも欲望的である、ということです。




「ネットいう怪物」の欲望


グーグルのこの世界民主主義という欲望は、ネオリベラル傾向に繋がります。このことの本質は、グーグルがネオコン化しているとか、ネオコンシリコンバレーの住人が結託して世界征服を企んでいるということではなく、ネットは急激に発展しつづけているという事実として「インターネットの意志」をみとめざる終えないのではないでしょうか。グーグルの欲望そのものが「ネットいう怪物」の欲望である、ということです。

グーグルしかり「グローバルビレッジという素朴さの裏面として、この「怪物」は世界は短絡しつづけており、様々な軋轢を生んでいます。それは、イラク戦争であり、イスラム圏との対立関係であり、あるいは、ナショナリズムが台頭などです。ネオコンがそれを利用しているとしても、この「インターネットの意志」がまさに最近のアメリカのネオリベ化の原動力になっているではないでしょうか。

これは、「ネットいう怪物」という超越的なものへ全てを還元しすぎるオプティミズム(楽天主義)」でしょうか。「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられているミッションなんだよね。」
*5

*1:なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041204

*2:[議論]続 なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか?  http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051017

*3:知識人はなぜ2ちゃんねるを嫌うのか? http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040806

*4:共同体幻想と2ちゃんねる(ノン-スマートモブズ) http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040427

*5:画像元 梅田望夫・英語で読むITトレンド http://blog.japan.cnet.com/umeda/