続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その4 自然主義的闘争

pikarrr2006-06-24

現代の自然主義的闘争

現代の自然主義的闘争の構図


内部(社会)・・・倫理
  心、形而上学(人類学機械)、互酬(贈与と返礼)、
  規律訓練権力、神話的暴力、固有名
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グレイゾーン(内部環境)・・・予測可能性、環境コントロール
  断絶(ファルス)、無垢、純粋略奪の快楽、神的暴力
  機械論・・・数字(科学)の作動、交換、資本主義システム、生権力、環境問題、帝国
  環境コントロール・・・身体(剥き出しの生)、労働力、資源、異教徒、植民地、マルチチュード
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外部環境・・・偶然性、コントロール不可能
  地震津波、隕石落下による大災害、エイズ、ガン、欲望、寿命、他者erc


人間と環境(自然)の終わりなき闘争において、近代以降、科学技術の発展が内部環境を開拓し、略奪することで内部の豊かさを保ってきた。現代はさらに内部環境が崩壊しないように、コントロールしながら略奪することが課題となっている。

ここでいう内部環境とは、環境問題でいうコントロール可能な、やさしくすべき自然環境である。内部環境がコントロール不可能な外部環境へと転倒し、破壊的な力を示す前に、コントロールするのである。

また内部環境には人間自身の自然としての身体も含む。それが労働力となる発展途上国の人、フリーターなどの下流の安い賃金の労働力である。

近代以降のグレイゾーンの拡大は、社会と自然環境という断絶から、人間内の心身二元論という断絶へ浸透する。倫理的なもの(内部)は、資本主義システム(貨幣重視)によって多様化し、溶解している。

より直接的には認知科学、医学、遺伝子工学の発展は、心と身体の境界が不明確にしている。そして追いつめられた内部(心)は価値の多様性の中で、島宇宙化し、孤立化し、対立を生む。

この複雑な状況の中で、「豊かな内部」として生き残るために、いかにグレイゾーン(内部環境)をコントロールするかが、現代の自然主義的闘争である。




外部は必ず回帰する


問題は「豊かな内部」とはなにかであり、その内部をいかに達成するかである。現代までの自然主義的闘争では「豊かな内部」はほぼ生存のための物質的な豊かさを意味していたために、問題はその「豊かな内部」をいかに達成するかであった。しかし現代においては、生存、豊かさは確保され、「豊かな内部」とはなにかという方向性が問題なっているのである。

この方向性の喪失が内部への閉塞、そして外部の喪失という現代論になる。しかし「いかにグレイゾーン(内部環境)をコントロールするか」という現代の自然主義的闘争では、内部/外部の対立構造において問題を考えなければ、本質は見えてこない。グレイゾーンの全面化は外部への闘争を動力に作動しているからだ。

予測不可能な外部とは大災害を上げるまでもなく、たとえば癌によって余命1年と宣告される場合、動物ではいられず、人間であることが純化される。ハイデガー的にも「死」とはまさに人間のみのものである。またマトリックスのカプセルのような、完全な充足を与える動物化システムは不可能である。運動しない身体は骨、筋肉が退化し、精神を正常に保てないだろう。この身体こそが、予測不可能な外部である。

ボクたちは動物化し充足などできないし、労働から解放されることもない。なぜなら外部は予測不可能性として、必ず回帰してくるからだ。充足を妨げ、生き残るための労働を強いるのである。そして人間の外部への闘争(純粋略奪の快楽)を止めることはできない。
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