試論:自然主義的闘争史観
マルクスは科学技術の発展とは資本主義存命の必然であり、下部構造としての経済によるものでしかないといった。それに対してボクが考えるのは、人間の歴史とは自然との闘争であり、自然主義的闘争を下部構造とした自然主義的史観であると考える。そして近代以降の技術革新、そしてそれを元にした資本主義社会は新たな自然との闘争方法としてある。そして自然主義闘争とは純粋略奪の快楽である。
社会形態 | 交換様式 | 宗教・技術 | 快楽(祭り) | |
自然崇拝の時代 | 未開社会 | 互酬 | 自然崇拝 (呪術) |
ポトラッチ |
自然隔離の時代 | 都市化、帝国 | 再配分 | 一神教 (キリスト教) |
戦争 |
自然略奪の時代 | 国家、資本主義 | 交換 | 科学技術 (産業革命) |
消費 |
自然管理の時代 | 地球環境 保護機構 |
交換 再配分(環境税) |
情報技術 環境管理技術 |
(ネット) コミュニケーション |
ルネサンス以降の科学技術革命は自然主義的闘争方法を隔絶から略奪に変え、資本主義システムのもとに地球規模で略奪をすることに成功した。しかしその反動として環境問題として自然の「逆襲」が始まっている。それにともない新たな自然主義的闘争形態へ移行する必要がある。その一つの成功例がオゾン層破壊物質の削減であり、それに続くCO2排出規制である。今後さらに地球環境保護の政治力は増し、「地球環境保護機構」のような動きは避けられなくなるだろう。そして資本主義は情報処理、環境管理技術の発展とともに、地球環境をコントロールすることを必然とする自然管理の時代へと移行するだろう。
環境問題、あるいは遺伝子操作の倫理なども含め、様々な問題は地球規模で影響を与えるために、保護主義的傾向が強まるのは否めない。資本主義システム、ネット上の情報交換などの創発的な動きと、それをコントロールする政治的な保護主義の対立の中で、世界はバランスを取っていくだろう。
人は生きるために自然と闘争するのではない。それが純粋略奪(暴力)の快楽だからむかうのだ。「他者」への暴力から負債感を払うことはできない。動物のようにただ殺すことは、「ホモサケル」であろうと完全には不可能である。ただ無限の未知である自然への暴力だけが負債感ない暴力を可能にする。
ボトラッチという自然への純粋贈与の本質は純粋略奪(暴力)なのである。純粋略奪の快楽の系譜はポトラッチから、野蛮人(異教徒)との闘争をへて、科学による自然征服へ至り、現在はネットという疑似フロンティア(自然)の開拓へもむかっている。月、火星という地球外自然の開拓ははじまるだろうが、本格化するのはさらに次の段階になるだろう。
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