なぜネットはリバタリアン化するのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」

pikarrr2007-07-08

なぜウェブは資本主義を越えていくのか


池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」ISBN:4822245969)を読んだ。本書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。

資本主義社会の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96

これによってITの世界では、資本家と労働者を区別している「資本」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれない。貨幣を媒介にしないで生産物を交換するオープンソースなどの「生産手段の民主化の先には「非金銭的経済」が出現する。・・・資本が経済システムの中心であるという意味では資本主義の時代は、終わりつつあるのかもしれない。P100


池田信夫 「ウェブは資本主義を越えていく」

ムーアの法則のような計算・記憶能力の画期的な向上は、生産物の貨幣としての価値は低下する。これは、なぜネット上では、様々な情報、サービスがただで手に入る「非金銭的経済」であるのかを説明するだろう。




「なぜネットはリバタリアン化するのか」


またこのような説明は、「なぜネットはリバタリアン化するのか」にも繋がるだろう。ネット上のように生産物の貨幣としての価値がさがった世界では、自生的秩序がうまれるような自由度を高めることが求められるためだ。

池田は2ちゃんねるネットイナゴ批判で知られている。「ウェブは資本主義を越えていく」でも手厳しい2ちゃんねるひろゆき批判が行われている。しかし彼のリバタリアンな姿勢をみると、彼の批判は2ちゃんねるの運営のまずさであって、ネット上の自生的秩序としての2ちゃんねる的なもの」ではないことがわかる。たとえば以下の文章は、2ちゃんねる支持意外のなにものでもない。

2ちゃんねるから学ぶべきことが一つだけある。それは、ウェブでサービスが軌道に乗るにはシステムの自由度を高めることが必要条件だということである。オープンソース「ユーザー生成コンテンツ」を支えているのは、金銭的なインセンティブではなく、ユーザーが情報を提供するモチベーションである。・・・多様な目的を許容する自由度が高いほどモチベーションをあげやすいということだ。だからなるべくオープンにして参加の障壁を下げることが不可欠である。自由度を上げると、ノイズも大きくなるが、母集団が大きくなれば、フィードバックも大きくなる。・・・この場合に重要なのは、間違いをおかさないことではなく、ちょっとぐらい間違えてもシステム全体に影響を及ぼさないよう冗長性を持たせ、過渡的間違いは許容することだ。P45


ウェブの参加型サービスの場合には報酬はなく、情報の生産・交換そのものが目的だから、・・・参加するユーザーがサービスの中に目的を見いだすように仕向けるしかない。・・・制度設計でもサービスの設計でも重要なのは、なるべく意志決定をユーザーにゆだね、自由に改造できるようなにすることだ。・・・2ちゃんねるのようなアナーキーに転落しないように最小限度のルールを設定する必要はあるが、その場合も重要なのは自生的秩序を尊重し、目的を設定しないことだ。ハイエクが強調したように、自由とは「〜を禁止しない」という消極的な概念であって、特定の目的を達成することではないからである。P106-108


池田信夫 「ウェブは資本主義を越えていく」




2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」


そして同じ時期にひろゆき2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」(ISBN:4594053882)が発売された。これを池田本と読み比べると、2人の考えが多くの点で近いことがわかる。ひろゆき2ちゃんねるでめざすスーパーフラットとは、自生的秩序を生み出すための自由度の高い場ということだろう。

加速度的に進化しているインターネットに対して、法律が追いつけない状態があり、インターネットによる問題を解決するため、新たな法律を作ったとしても、また新しいアーキテクチャーが生まれてきてしまうのです。それならば、どうやって対処するのか?という問題が出てきます。

著作権などの研究者であるスタンフォード大学ローレンス・レッシングがこう言っています。「世の中で人間が行動を決める要因は、道徳と法律と市場とアーキテクチャーの4つである。」と。・・・僕はインターネットによって引き起こされる問題の対処は、市場が決めることだと考えています。・・・最終的には、売れるかうれないかの市場原理でコントロールする以外、方法がないのではないでしょうか?・・・確かに、そこまで突き詰めてしまったら、自由に最大の価値を置く個人主義的な考えを持つリバタリアンのような、新自由至上主義だといわれてしまうかもしれません。P151-155


ひろゆき 2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」

この大規模な母集団に集まった大量の情報の中から玉を拾うには、どうしたらいいのか?そこで、大衆が集合知を作り出すと集合愚だったということを防ぐために、公共性のある人間が決定権を持って集合知の部分を決めればよいという意見がでてくると思われます。

そのためのは、「質の高い情報を拾い上げる母集団を作る別のアーキテクチャーを作り、硬度にすれば、2ちゃんねるで情報を拾い上げる仕組みもできる」ということも言われました。しかし、2ちゃんねるの場合、逆に質の高い情報を拾い上げないことが価値になると思っています。

スラッシュドットにしてもはてなブックマークにしても、情報を誰かが操作するという意味では、ヒエラルキー構造があります。・・・そういった構造が完全にでき上がったとき、無名な誰かが発言した面白いことというのは、抹消されてしまう。・・・2ちゃんねるは・・・今までいろんなことを言ってきたジャーナリストであろうと、ぽっと出の面白いことを言う人であろうと、同じフィールドで発言する。その中で、面白い発言に対してユーザーがレスをするという・・・ヒエラルキー構造が作られない完全フラットな場所なのです。P177-179


ひろゆき 2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」




なぜ人々がネットへ向かうのか


しかし池田、ひろゆきにおいて、なぜ人々がネットに、そして2ちゃんねるへ向かうのかは説明されない。そこに大量の人々のアクセスという需要があるから、スーパーフラットであり、自生的秩序を望むリバタリアンが成立するのである。

以下の池田の経済学的なネット分析が、なぜ人々がネットへ向かうのか、に繋がるのではないだろうか。情報が過多な社会では、稀少なものは「人の関心」である。一日は24時間であり、睡眠、労働など拘束を除けば、人が自由に「関心」を引きつけられる時間は限られている。

情報生産においては、資本主義の法則が逆転し、個人の時間を効率的に配分するテクノロジーがもっとも重要になったのである。だからユーザーが情報を検索する時間を節約するグーグルが、その中心に位置することは偶然ではない。資本主義社会では、稀少な物的資源を利用する権利(財産権)に価格がつく。情報社会では膨大な情報の中から稀少な関心を引きつける権利(広告)に価格がつくのである。P97


池田信夫 「ウェブは資本主義を越えていく」

しかし情報社会では、「人の関心」は価値があるだけではない。人々は価値があると「せき立て」られている。この商品を消費してほしい、こっちに関心を向けてほしいという過剰な広告の中で、消費者は、王様のように持ち上げられる。それとともに、この貴重なわずかな時間も楽しまなければと、せき立てられる。たとえばこの休日という貴重な時間を何をするか。ショッピング?ビデオ?ケータイ?そこにはなにかをしなければならないという強迫的に「せき立て」がある。

そしてこのような「せき立て」において、ネットは貨幣経済的にほぼただで、そして時間経済的に素早く、楽しむことができるというすばらしい場である。通勤などのちょっとした空き時間でも、アクセスすれば楽しめてします。だからネット上で重要なコンテンツは、すみやかに楽しめるという時間効率がよいものである。




なぜ2ちゃんねるにむかうのか


2ちゃんねるが成功したことにもこのことがあるだろう。2ちゃんねるとは板、スレと興味に分類された場にすみやかに到達し、耐えず誰かがいてすみやかにコミュニケーション可能である。ケータイメールが爆発的に普及したことからもわかるように、コミュニケーション、簡単には「おしゃべり」は基本的なゲームである。「欲望とは他者への欲望である。」ゲームは基本的には他者とのコミュニケーションを元にしているといっても良いだろう。

あるいは、最近ではYouTubeにも、効率的に楽しめる特性を見いだせるだろう。しかしここにも他者へ向けてというコミュニケーションの構造があることは見逃せない。だからネット上で重要なコンテンツとして、効率的に高速に欲望を充足するようなコミュニケーションが上げられるのだ。この場合の効率化とは情報が適切に伝達されたという意味ではなく、逆に適度に失敗すること、そこにコミュニケーションの楽しみが生まれるからだ。

グーグルが求められるのは、効率的に望む場へ到達する時間の効率化であることで補助的なものであり、ネットの原動力は、効率的に高速に欲望を充足するような、ケータイメールや2ちゃんねるmixiなどのコミュニケ−ションメディアである。このような原動力を生み出す場として、スーパーフラットであり、自生的秩序が望まれ、ネットはリバタリアン化するのだろう。

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