「現実とはなにか」 これまでのストーリーは・・・2

pikarrr2008-05-01


その1〜3


パースは、演繹(ディダクション)、帰納(インダクション)に対して、仮定(アブダクション)を導入する。これは、推論として帰納の拡張である。これらをベイトソンのコミュニケーション学習論に位置づける。さらにはヴィトゲンシュタインが日常会話研究において、言語コミュニケーションを言語ゲームの成立を無意識として見出し、3つに分類し、再度、ベイトソンの図式に対応させる。

メタ言語(制作)図式」 (◎はコミュニケーション、◇は制作)


オブジェクトレベル0 (学習0) 
   ◇演繹(ディダクション)・・・論理、アルゴリズム、数学(イコン、インデックス)
   ◎先天的な生理構造、生物反応(コミュニケーション)

オブジェクトレベル1 (学習1) 
   ◇帰納(インダクション)
   ◎条件反射(パブロフの犬

メタレベル1 (学習2) 
   ◇仮定(アブダクション)・・・仮説検証、シンボル

メタレベル1.5 
   ◎言語ゲーム・・・ヴィトゲンシュタイン的な無意識

メタレベル2 (学習3) 
   ◇創造的仮定(アブダクション)・・・天才的な閃き
   ◇修辞(レトリック)・・・アイロニー、詩、物語り、お笑い、脱構築
   ◎ラカンの言語論(無意識)




その4〜6

オブジェクトレベルが、<言語記号>=<概念(意味)>という結びつきに対して、メタレベルとは、裂け目を入れることであることを示す。<言語記号>−<裂け目(解釈項)>−<概念(意味)>

解釈項は、コンテクスト分析においては、ドラマ(劇)、ゲーム、テクストというようなとらえ方がある。そしてドラマ(劇)というより大きな文脈で捉えるときに、そこに信頼という超越論(大文字の他者)が必要とされる。

マルクス貨幣論をもとに超越論の構造を示す。構造主義的な超越論において、貨幣は「裂け目」を隠蔽する「超越論的シニフィアンと呼ばれる。そして「断絶」を超越論的に乗り越えようとするとき、このような否定神学的な主体が浮上する。そしてこのような主体において、コミュニケーションはメタレベルでしかない。オブジェクトレベルは存在しない。

なにか買いたいからお金がほしいということではなく、貨幣そのものが強く欲望される。ここに(神的な)「転倒」がある。もしかすると「掟」はかつてそうすべき理由があったかもしれない。しかし「転倒」後においては、「掟」を守る事が目的化する。それは無意識に、盲目的に行われる。そこでは構造を維持するために「掟」にしたがうのではなく、人々はただ「掟」を守ることで構造が維持される。




その7〜9


人工知能「フレーム問題」は認知系の限界、<言語記号>−<意味(概念)>に開いた裂け目の問題に対応する。ではなぜ人はなぜ人工知能のような「フレーム問題」に陥らないのか。人工知能ではまず認知して解をもとめ、それから行為する。だから認知(計算)において無限後退(フリーズ)する。しかし人間は認知と行為は切り離せない。だから「フレーム問題」は起こらない。

オートポイエーシスシステムを例に示した行為の世界とは、絶えず環境との調整を行い、そして、切れ目がない連続した世界である。(行為系の連続性と可塑性)これに対して、認知系とは、<観察者>の位置にたち、連続した行為世界に言語によって切れ目を入れて、名付ける。これは、行為世界が先行し、それに言語が切れ目を入れるのではなく、言語によって、言語化されないものは存在しないという言語認知系の世界が制作される。そして人は連続的な行為世界と、非連続的な認知世界に住んでいる。だから人工知能のような「フレーム問題」に陥らずに、なにも考えずとも自然に振るまうことができる。

しかし認知世界が強く先行するとき、(たとえば緊張した場面、慣れない場面など)、どうして良いかわからなく、フリーズすることがある。人は考えずに自然に体に任せることは難しい。このような場合に考えられるのが、先の超越論的な解決、「せき立て」という他者との合意をめざす運動が起こる。あるいは、人へ訴えかける物語、詩など芸術的な表現方法などの創造的な行為は、あえて裂け目を開示することで「せき立て」という運動を生み出す。

人工知能が陥る無限後退という「外傷的な現実(リアル)」は覆い隠され、「社会的現実(リアリティ)」が共有されているように振るまわれる。なぜ人間には「フレーム問題」は起こらないのか、ではなく、「フレーム問題」こそが人間の現実(リアリティ)の成立条件になっているということだ。「現実(リアリティ)」は認知系側にある。




その10


先に、メタ言語(制作)図式」において、人のコミュニケーションにおけるオブジェクトレベルの意味とは、メタレベルの<裂け目>を抑圧し、<言語記号>=<意味(解釈)>と信じることで、行為をより的確に同調させ、より強い力を手に入れる。メタレベルが言語の力の生まれる場とすれば、オブジェクトレベルへの遡行は「権力」が増幅される場である。このように神という解釈項は、裂け目を隠蔽し、オブジェクトレベルの信仰によって人々の動員してきた。すなわち<言語記号>=<意味(解釈)>は真理を意味する。

このような「強いオブジェクトレベルへの遡行」に対して、近代という状況では、真理を放棄し、「弱いオブジェクトレベルへの遡行」帰納法、仮定法をめざすことで、より強い力を生み出すことを可能にした。科学技術で成功したように、経験と描写(行為と認知)の<裂け目>が差延する隙間として働くことで、ダイナミズムを与える。

近代における人口増加による都市化、印刷技術、交通手段などの発達によって、コミュニケーション環境が飛躍的に発展し、これによって帰納法における経験と描写(行為と認知)の反復は促進される。描写は高速で拡散伝達されることで、同様な行為(実験)を様々な場所で多くの人々によって追試され、再度描写される。そしてそれらが再度拡散伝達されるというダイナミズムを加速される。

このようなダイナミズムを表すメタファーがアダムスミスの「神の見えざる手」である。近代における経験主義的な方法論の成功は実際に経済的な豊かさを生み出したという実績と切り離せないだろう。
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