なぜ日本は「知的労働力資源」を活性化させるのか プロフェッショナル(職業)=ナショナリズム その2 

pikarrr2008-07-05


「環境問題」の思惑


原油不足による世界インフレ。今さらかも知れませんが、ほんとに世界は小さくなったなと思ってしまいます。

地球環境はいつも時代も変化しています。ほんの1万年前は地球は氷河期であり、その後いままで安定した気候であることは人類にとって幸運なことです。たとえばある島が海に沈むことが数百年、千年単位でおこれば、生物のもつ新陳代謝、すなわち世代交代で対応できる。しかしそれが早すぎると対処できず、大量の難民を生むことになる。最近の環境問題で問題なっているのは、あまり急激に環境変化が起こるために対応しきれないということでしょう。

温暖化が進んだ場合には、被害場所には当たりはずれがあり、はずれは被害が発生してみないとわからない。さらにいえば、温暖化による熱帯化は自然を豊かにする可能性さえある。

もっといえば、そもそも現在の世界は一部の富裕層が多くの貧困層から搾取する構造の上にある。このような事実の上で環境変化でハズレクジを引くかもしれない人のためにいまの生活力の一部を奉仕するのか、という本音がある。このように「人類の未来のために」という美しいスローガンの裏には様々な思惑がうごめいている。




「資源問題」の慢性化


それよりも差し迫っているのは資源問題でしょう。資源問題は単純な資源枯渇の問題ではなく、世界で余った投機マネーが流入し相場を釣り上げていると言われます。しかしこれらの根底にあるのは将来的な資源枯渇への危機感でしょう。

BRICsなどの経済の急成長によって、将来の資源枯渇の不安を生んでいる。現に中国などは世界の資源の確保に走っています。またアメリカが原油にかわるバイオ燃料施策を進めることで、世界的な穀物不足であり、原油供給の保守化が起こる。その他、ロシアは豊かな資源を担保を世界戦略を考える・・・このような不安定さに短期的な投機マネーが乗っかっている。資源枯渇そのものは長期的には解消される可能性はあるが、このような資源をめぐる各国の駆け引きは慢性化するでしょう。

しかし逆に言えば、これで環境問題がリアリティある問題となる、という考えがあります。資源問題がインフレという形で世界の人々に「生きる」生活に直接に関係している。これによって、国は差し迫った問題としてエネルギー政策を考え、そして生活者は省エネを進める。結局、このように現前しなければ、環境問題対策は進まないのでしょう。




日本は「知的労働力資源」を活性化させ国際競争を生き抜く


経済は貨幣等価交換を基本とした平等な競争と考えられがちであすが、取引が大きいほど駆け引きになります。それが競買のような「自由競争ゲーム」ならばまだ良いですが、実際はなんでもありの「政治ゲーム」にです。「政治ゲーム」はその一回だけ切り離せず、強者は場そのものを支配する。それは例外状態において、強者がルールさえも作り出すことを意味します。政治とは場のゲームのルールを作ること、そして国際社会でのゲームのプレイヤーが国家ということです。

グローバル化してもマルクス主義的な「世界共和国」を考えるのは意味がない。むしろそれは地理的、民族的な差異を抑圧し、帝国主義化する。あるとすれば、むしろ国家間の軍事、経済競争における競争優位を考えたさらなる大国の分割でしょう。そのうえでの協力関係です。EUは決して国家ではなし、共和国でもない。

ネオリベラルなグローバル化の潮流は今後のかわらないでしょう。その中で世界各国には資源が豊かな国、労働力が豊かな国など、それぞれに特徴があり、有用な方法を模索するべきです。そして物質的資源の乏しい日本は、今後の資源時代にあわせて呼べば、、豊かな「知的労働力資源」を活性化させて国際競争を生き抜く、ということが重要になると思います。だから「プロフェッショナル(職業)=ナショナリズムです。
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