交換の基本式 W=W’+経済的リスク/リターン+社会的信用+国家制度

pikarrr2009-03-08


1)マルクス 「資本論
2)剰余価値とリスク
3)交換のリスクとリターン
4)贈与交換
5)交換の基本式
6)社会的な信用の重要性
7)独占的な剰余価値
8)独占の合法性
9)信用という不可欠な道具
10)社会主義国家の失敗
11)独占の経済的、社会的、政治的影響
12)資本主義がましなわけ




1)マルクス 資本論


マルクスは、「自然」な交換とそうでない交換を分けた。商品流通は、使用価値を手に入れることを目的とする「自然」な交換であるのに対して、資本流通では使用価値は手段であって剰余価値の増加という自己目的のためによって行われる。だから金儲けのために無際限に繰り返される。

商品流通 W−G−W’   
資本流通 G−W−G’ G’=G+Δg(剰余価値)  

資本流通を以下のようにあげているが、すべて剰余価値を増やすこと、金儲けを目的にする。

資本流通の形態

・商人資本 G−W−G’ 
・高利貸資本 G・・・G’
・産業資本 G−W(A労働力、Pm生産手段)・・・P・・・W’−G’




2)剰余価値とリスク


しかし資本流通は本当に自己目的化した不純なものだろうか。商人が海で商品を仕入れて山で売ることは、社会的に貢献している。ここで重要であるのは、剰余価値というリターンにはリスクがつきものであるということだ。

商人が海で仕入れて山で売っても、売れるという保障はどこにもないというリスクがある。さらに商品には市場で自己調整された相場価格があり、法外な値段をつけることはできない。商人はリスク管理のものと、社会的な労働を行っている。

これは、金貸しにも言えるだろう。金を貸すことには、利子というリターンとともに返ってこないかもしれないというリスクがともなう。そして必要な人に金を貸すことで、経済活動は活性化される。だから剰余価値はリスクと社会貢献に対する正当な報酬である。

コーベットは、G−Gすなわち貨幣対貨幣の交換ということが、商業資本のみならず、すべての資本の特徴的な流通形態であることを見ていないが、少なくとも彼は、このことを承認している。すなわち、商業のある種、すなわち投機の流通形態が、賭博と共通であるということである。・・・そして、売るために買うことは投機であり、したがってまた投機と商業との差異は、なくなることを発見する。「ある一人が、生産物を再び売るために買う一切の取引は、事実上投機である(マカロック)」P262-263


資本論(一)」 マルクス (ISBN:4003412516) 1867




3)交換のリスクとリターン


さらにいえば、このようなリスクとリターン(剰余価値)は、資本流通に特異なことではなく、交換行為そのものに潜んでいる特性である。W−W’でも、W-GやG−Wでも交換には必ずリスクとリターンが忍びこむ。求めているものが十分に手にはいるか、あるいはそれ以上か、または不十分でしかないか。いくら熟慮しても事後的にしかわからない。マルクスが交換を「命がけの飛躍」と呼ぶように、飛んでみないとわからない。

だから先の資本流通の形態は以下のように書き直せる。

・商人資本 G − W+(Ri/Re) − G+(Ri/Re) 
・高利貸資本 G ・・・ G+(Ri/Re)

Ri/Re:リスクとリターン(剰余価値




4)贈与交換


マルクス剰余価値を不純なものとし、「自然」な交換を望むのならば、商品交換ではなく、贈与交換を基本とするべきだろう。贈与交換は共同体に根ざした交換であって、歴史的にも貨幣交換より人間社会に根ざしている。贈与交換は共同体の集団的な円環に閉じた信用と助け合い関係である。

たとえばある共同体で畑を耕す季節には、共同体員が順番に各員の畑を耕すことを助けてまわる。ここではリスクと/リターンはタブーである。リスクは共同体員全員でカバーするし、リターンは共同体員で分け合う。もし誰かがリターンを独り占めすれば、贈与の円環は解体されてしまう。だから彼は共同体から排除されるだろう。

これを交換の式で表すと、以下のようになるだろう。贈与交換において「社会的」な信用が大きな位置を占めることで、「経済的」なリスクとリターンは小さくなる。

贈与交換 W=W’+(リスク/リターン)<<<信用




5)交換の基本式


これをもとに交換の基本式を示すと以下のようになる。交換は経済的なリスクとリターン、そして社会的な信用に関係する。

交換の基本式 W=W’+(リスク/リターン)+信用

これをもとに、再度、商品・貨幣交換を表すと、以下のようになる。商品等価交換では経済活動を補完する社会的な関係(=信用)は小さい。このために交換は誰にも同じリスクとリターンを持った自由と平等が維持される。この究極が経済学が目指す完全競争経済である。このような交換が「自己調整」市場を形成する。

・商品交換 W=G+(リスク/リターン)>>>信用
・金融交換 G=G+(リスク/リターン)>>>信用




6)社会的な信用の重要性


このような純粋は商品交換を考えると、経済学では簡単に完全競争というが、自由・平等といってもリスクとリターンに開かれていることは「命がけの飛躍」である。そこに人は生活を賭けることができるだろうか。現実には人は社会的な「信用」を担保しようとするのが普通である。

簡単にいえば、人は商品を購入するときに、一度成功した商品選ぶ。行きつけのお店にいく、お気に入りのブランド品、大手メーカーの商品を選ぶ、あるいは知り合いや信用のおけると思う情報源の薦めに従うなど。「命がけの飛躍」を避け、「信用」というはしごをかけようとする。

だから実際の商品交換は「信用」を小さくする自由で平等な競争を目指すと言うよりも、社会的な「信用」を担保にし続けて行われる。

・商品交換 W=G+(リスク/リターン)+信用
・金融資本 G=G+(リスク/リターン)+信用

商品交換は、「経済的」に商品にお金を払うことで閉じると考えられるが、「社会的」には閉じることがない。その商品の購入後に満足のいくものであったか、満足したならその商品、メーカーへの信用は増して、継続して購入するようになる。メーカーが広告に費用をかけて、そしてブランドを重視するのは、消費者との信用関係を築き、自社品の購買を継続させるためである。

ここには擬似的な贈与交換が働いているといえる。だから純粋な貨幣交換は存在しないといってもよい。だれも「命がけの飛躍」など行いたくない。現代でも経済は社会に埋め込まれているのだ。




7)剰余価値の独占


経済が社会に埋め込まれていることでもっと重要であるのは「資本主義」そのものにおいてである。

再度言えば、マルクスに反して、貨幣や資本の交換において剰余価値を手に入れることは、リスクに対する正当は報酬である。しかしこれは自由で平等な競争が行われている上でのことである。

しかし先に示したように、経済的な交換は社会的な信用と切り離せない。すなわちどのような交換を行うかは、経済学的、合理的、利己的な判断によって行われるのではなく、その人の社会的な関係が影響する。それは身近な者への優遇、好み、立場によって影響を受ける。

だから資本主義の問題は、マルクスがいうような剰余価値そのものにあるわけではなく、剰余価値の独占にある。資本を多くもっているという立場は、周りの社会的な「信用」を勝ち得る可能性が高い。そして信用はリスクを小さく、そしてリターンを大きくする。故に勝ち組はローリスク、ハイリターンに交換を行い勝ち続け、負け組はローリスク・ローリターンでかわれないか、ハイリスク・ハイリターンの一発勝負の賭けにでてほとんどの人が破綻する。そして必然的に格差が生まれる。

ここ、贈与関係に近い力学が働いている。すなわち強者たちは共同体として、弱者を排除する。

独占的商品交換 W=G+(リスク<リターン)<<<信用
独占的金融交換 G=G+(リスク<リターン)<<<信用




8)独占の合法性


大きな資本を動かすときに、少しでも安心を得たいと思うのは当然のことである。少しでも有用な情報をえるために協力関係を組むことも当然である。これそのものは違法でもなんでもない、当然の行為である。

インサイダー取引独占禁止法政治資金規正法など、社会的な「信用」関係を抑制する法律は様々あるが、どのような法律も絶えず改定され、合法的な抜け穴がある。富を増やすためには、グレイゾーンを狙うことになる。

上流の共同体によって社会的な「信用」を強化することで、上流/下流の差異を生み出す。あるいは上流共同体間の闘争を優位に進める。すなわち信用は権力関係に関係する。




9)信用という不可欠な道具


ブローデルが中世からの資本主義研究の中で、一般の人々による自生的な秩序の「経済生活」と、金持ちの「資本主義」を分けたことにつながるだろう。先の交換の式で表せば以下のようになる。

「経済生活」では信用の働きは小さく、人々はいちばなどの「自動調整」市場で生活する。それに対して「資本主義」では大商人や銀行家などが社会的な信用を活用し、ローリスク・ハイリターンの遠距離交易などで大もうけをしつづける。

経済生活 ・・・「自動調整」市場、市・大市  G=W+(リスク/リターン)+信用 
資本主義 ・・・投機、権力、証券・銀行  G=G+(リスク<リターン)<<<信用  

このような傾向はいまも変わらないのではないだろうか。現代の新自由主義では、自由と平等な競争が重視されて、大衆は社会的な信用関係から切り離され、「自動調整」市場による経済的なリスク/リターンな生活へ向かう。

しかし一部の富んだ勝ち組は、勝ち組という社会的な信用関係、ネットワークを駆使し、そして政治的にルールさえも優位に作り出して、ローリスク・ハイリターンに投資する。金融市場は現代の「遠距離交易」、すなわち金のなる木である。金融バブルの崩壊で世界中の人々が苦しむ中、一部の富んだ人々は困窮しているのだろうか。

資本家の成功は金に依拠している−このように言う場合、あらゆる企業に欠くべからざる資本のことしか考えていなとすれば、それは明らかに言わずもがなのことである。しかし、金は、投資能力とまったく異なった何ものかである。金は社会的に尊敬されることであって、その結果、一連の保証、特権、黙許、庇護が得られることにある。それは眼の前にあらわれる取引や機会のなかから選択する可能性であり、−そして選択することは、一つの誘惑であると同時に特権でもある−・・・王侯の恩寵と好意さえも獲得する可能である。最後に金は、さらにより多くの金を持つ自由である。なぜなら、金持ちにしか人は金を貸さないものだからである。そして信用は、ますます大商人にとって不可欠な道具になってゆく。P112-115


「物質文明・経済・資本主義―15-18世紀 交換のはたらき2」 フェルナン・ブローデル (ISBN:4622020548) 1979

われわれが問題にしている諸世紀について、われわれは大商人が、少数でありながら、最高度に戦略的なポジションである遠隔地交易の鍵を握っていたこと、彼らがニュースの伝搬が緩慢できわめて高価な時代においては比類のない武器である情報の特権を、自分たちのために持っていたこと、一般に彼らが、国家と社会の暗黙の支持を得ており、その結果、彼らがつねにまったく自然に、良心のとがめを感じることなく、市場経済のルールをねじまげることができたことを示す必要があろう。他の者にとって義務であったことが、彼らには必ずしもそうではなかった。P137

市を避けて通り、法律上もしくは事実上の独占によって競合を消滅させ、供給と需要の間に大きな距離をおいて、長い連鎖の両端にある市場の様子にただ一人通じている仲介者によってのみ交易条件が左右されるような状況を作り出したいと望む者に、遠隔地交易がどのような便宜を与え、どのように罰を免れさせるかを。これらの利潤の大きな回路に進入するための必要不可欠の条件、それは十分な資本、市場における信用、よい情報網と人間関係を持つこと、最後に行程の戦略的な地点において事業の秘密を分かちもつ協力者を有していることである。P157-158




10)社会主義国家の失敗


交換はどのような社会にも存在するわけで、このような格差は社会的な必然と言えるのかもしれない。社会の規模が大きくなればなるほど、富の全体量は大きくなり、そしてその中に生まれた富の偏在は、持つ者をより持たせ、持たざる者をより持たなくさせるように、交換は作動する。現に歴史的にある程度の規模の社会で、格差のない社会は存在しなかったといえるだろう。このように考えると、格差の問題はイデオロギー・社会制度の問題として「合理的」に考えることはむずかしい。

ソ連が崩壊したのは、権力が腐敗したためだと言われる。いまの北朝鮮にしろ、国家社会主義は中央集権が強く働き、社会的な信用を集約する独裁者を生み出しやすくなる。社会主義イデオロギーがいかようであっても、社会的な「信用」の集中を管理することがむずかしい制度であるといえる。

交換の式で以下のように考えられる。強い計画的な「国家制度」によって、経済的な(リスク<リターン)と社会的な信用は排除されて、安定した交換が行われるはずが、「国家制度」が中央主権の「信用」と変質することで、強力な独裁を生み出した。

社会主義的商品交換 W=G+(リスク/リターン)+信用<<<国家制度




11)独占の経済的、社会的、政治的影響


このような国家による影響は、どのような経済にもある。中世の大市は国家統制のもと秩序が保たれていたし、現代においても国家制度の影響は大きい。そしていつの時代も勝ち組の社会的な「信用」関係は国家権力と切り離すことはできない。そして国家制度と社会的な信用は密接な関係にある。

再度、交換の基本式を書き直せば、以下のようになるだろう。

交換の基本式 W=W’+経済的(リスク/リターン)+社会的信用+国家制度

この基本式から、再度独占を考えれば、独占という長期間において儲け続けることができる立場はいかのように可能になるのか。

資本の問題は経済的な資本の運動にあるわけではなく、資本が社会的に位置づけられたときに生み出す権力に関係する。資本が増殖するのは純経済的なものではなく、社会的な、そして政治的な運動としてである。

その根底には、なぜ人々は貨幣に魅せられるのか、という社会的な引力がある。マルクスが分析した貨幣の物神性に関係するだろう。貨幣という商品の特別な位置である。なんとでも交換することができるということ。そして、労働、土地も商品として交換することができることが、貨幣を大きな力を与える。

資本主義社会において、権力とは貨幣と切り離せない。貨幣とは力であり、資本とは力の増幅装置となる。巨大な資本を持つことは権力を独占する力となる。このように社会的な関係として考えなければ、資本の問題は見えてこないだろう。大きな資本の権力は、政治へとつながっている。そしてそれは国家的な制度へと影響を与えていく。成功した資本は、必ず国家との関係すると言って良い。

再度言えば、この働きは経済的、社会的、政治的三次元が複雑に絡み合っている生まれている。




12)資本主義がましなわけ


中国ではいまだに賄賂が一般化していると言われている。日本も以前にくらべて、独占に関する取り締まりが厳しくなったが、だからといって社会的な格差が解消されてはいない。法の抜け穴はいくらでもあり、潜っただけかもしれない。

それでも、資本主義における交換は、他のイデオロギーに比べて、社会的な「信用」は分散されやすく、経済的なリスクとリターンに開かれ、社会の富は流動しやすいと考えたい。だから世界に資本主義は拡散しているのだし、また社会的な信用関係が弱まってポストモダンな洗練された「孤独」文化が全面化している。

今日なお語られていることだが、もろもろの体制のうち、資本主義は最良と言えないにしても、すくなくとも悪性の度がもっとも低いものだし、財産に手をつけないのに社会主義システムよりも効率が高いし、個人の発意を大切にしているという(シュンペーターの語った革新者に栄光あれ!)。P321


「世界時間2」 フェルナン ブローデルISBN:4622020564) 1979


*1