経済とはいかに不確実性を生きのびるか 贈与交換から投資交換へ

pikarrr2009-04-14


1)未開社会では不確実性は神との贈与交換によって回避する


たとえば贈与関係は神を中心に組織される。呪術的な供養は、神を自分たちの贈与関係に引き入れて仲間とするためにある。そして神からの贈与(自然の恵み)を分配する形で、助け合い(贈与関係)は掟をもって秩序を形成する。


2)資本主義では「投資」によって贈与交換への代替が可能になった


貨幣交換は商品を見合ったお金と等価交換する。その場、その時に負債を残さない無時間な交換である。贈与関係によって長期的な信頼関係を構築しつつ、貨幣交換で必要な商品を手に入れる。これが長い間の人間社会にあり方だった。

貨幣交換でも無時間性を長期へと補完する方法がある。それが貸借、証券、為替などの「投資」である。投資は、原理的に無時間である貨幣交換を、空間、時間を越えて可能にする。

貨幣交換が投資として成立するには、時間を越えるリスクに対するリターンを必要とする。これによって投資は贈与関係という長期的な信頼関係に代替する可能性をもつ。


3)商品集積というコンベンショナルな環境が不確実性から守る


貨幣は貯蓄され、融資され、また投資されることで、時間、空間を越えて、そして増幅される。それによって人々は商品を購入し、生活を囲む。そして規格化され合理的に積み上げられた商品集積によって世界は一気にフォーマットされる。商品蓄積は予測可能性の防御壁となり、土着の贈与関係から離脱しても生活を保障する。


4)リスクによって民主主義と資本主義が成立した


ここにおいて重要な点は、リスクは誰にも平等に降りかかるということだ。すなわちチャンスは誰にも等しく訪れる。これこそが人々が資本主義に魅力させられる理由である。


5)投資は現代の贈与交換であり権力関係を生み出す


リスクは本当に誰にも等しく訪れるのだろうか。まずリスク管理において、単純にそのように考えることは難しいだろう。リスク管理技術の面から、資本は多い方が優位である。少ない元手では一度の失敗が立ち直れない大きな躓きになるが、元手が多ければ、リスクを分散できる。本質的にそのはじめから金利交換は資金に余裕がある「投資家」が行うものである。

多くの人は資本を多く持つ強者に近づき、おこぼれに預かりたいと思う。そこには強者の私的談合なコミュニティが生まれる。さらに決定的であるのは、ゲームのルールにはいつもグレイゾーンがあり、変化し続けている。そして強者のコミュニティが発揮する権力はルールが生まれるその現場へ働く。

そして強力な権力に参加し維持するには、長期的な信頼関係が継続させる贈与関係は切り離せない、と言う以上にまさに最終的な勝敗は贈与関係にかかっているといってもよい。

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参照

1)ケインズ経済学と「投資家」


ケインズ経済学の新たな視点は、いままで生産者(企業家と労働者)と消費者しかいなかった経済学に、投資家を登場させたことだろう。

供給サイドは生産者が主導し、需要サイドは消費者が主導する。この均衡で経済はできていた。しかしケインズはここに新たに投資家を登場させる。投資家の役割はなにか。需要は消費と投資でできていることから、需要サイドにおいて消費者のもう一翼を担う。

共有サイド→企業家、需要サイド→消費者、投資家という構造で経済が均衡することになるのであるが、この中でケインズは投資家の影響力の大きさを強調する。

企業家、労働者は実働的な生産に、消費者は生活に密着することで、変動が少ないのに対して、投資家は生活と切り離された浮遊資金であるために、変動しやすい。特にケイインズは投資家の動向を流動性選好(貨幣愛)という心理作用として表す。投資の変動は単に投資だけの問題ではない。乗数理論によって、倍増されて経済へ影響を与えることを示す。このために、政府によって投資部分の調整が必要であることを提唱する。


2)クルーグマンQWERTY経済学」によるコンベンションの偏在


クルーグマンQWERTY経済学」として示すのはコンベンションが偶然性による偏在するということである。さらに政治的な誘導の可能性があるという。

保守派が何よりも信じていることは、経済活動を組織するとすれば自由競争市場がもっとも効率的だということである。

QWERTYキーボードのエピソードは、・・・経済学に対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである。つまり、この考え方は、市場経済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済に結果はしばしば歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出しようとするかもしれないという意味で、この帰結は政治的な含意に満ちているのである。P317-318

経済地理学では経済的帰結を左右する歴史的偶然の役割が、しばしば重要な役割を果たす。・・・第一に、産業局地化は規模に関する収穫逓増の重要性を示唆している。・・・(ロンドンの金融街である)シティーの交通渋滞やシリコン・バレーの不動産高価格は、収穫逓増の原理が重要であることを証明している。

第二に、産業局地化は収穫逓増の原理が個々の企業レベルをはるかに超えたレベルで働いていることを示している。シリコン・バレーに集まって来ている個々の企業は決して大きくはないが、それら企業の集合体は個々の企業を単に足し合わせたものより明らかに大きいのである。経済学用語を用いれば、規模の外部経済が働いているのである。P319-323


ポール・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々」 (ISBN:4480092072

*1:ここまでの元記事*[まとめ]生存様式としての資本主義 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090210#p1