非金銭経の済可能性 ダイジェスト

pikarrr2009-06-11

  • たとえば社会的な人間関係を大切にする、仕事とは関係がない技術を学習する、あるいは体を鍛える、さらには家族を増やすなども、非金銭経済の生産消費活動力=生活力の生産性を向上させる行為である。富には給料、貯蓄など金銭経済だけではなく、非金銭経済における生産技術力も含まれる。
  • トフラーは「第三の波」では金銭経済の一部を「生産消費活動の復活」によって非金銭経済が取り戻すだろうと考えたが、そもそも金銭経済の本質は非金銭経済と接する生活のレベルにあるわけではなく、「資本主義活動」という投資のレベルでどん欲に推進されている。
  • トフラーの「第三の波」は知識を分散化し、金銭経済と非金銭経済の境界を解体しつつあるが、むしろそこに新たな金銭経済市場=「開拓地(フロンティア)」が生み出されている。そこではむしろ生産消費者は利用されている面が強いのではないだろうか。
  • このように「経済」と「社会」の分断を繋ぐのは「政治の領域」である。いまや金銭経済が中心であることはかわりがない。保守派(中道右派)は金銭経済の自由な活動を重視し、そこに社会はついてくると考える。リベラル(中道左派)は金銭経済に任せることはできず社会側の積極的な活動が必要であると考える。
  • 結局のところ、Googleアーキテクチャのスタンスは、あくまで物言わぬ道具(武器)であり、リベラルな生産消費者となるか、保守派の創造消費者となるか、は使う人次第ということだろう。
  • アメリカ人にとってiPhoneは単なるコミュニケーションツールである以上に、知を分散・開放するモバイルなプラットフォームであり、「大きな権力」に対する「武器」なのである。
  • ネット上のアーキテクチャの特性は、Ver.1、2、3・・・と「経済性」を求めて容易に書き換えられていくことにある。
  • ここで目指されているのは、アーキテクチャ型の環境対策といえるだろう。消費者は普通に経済活動すればよい。「人が介することなく」設備が環境対策を行っている。
  • このように環境問題は国家戦略が交差しつつ、新たなイノベーションの領域、すなわち「資本主義活動」が寄生する開拓地(フロンティア)を生み出している。ここにあるのは、消費者・生産者レベルのアーキテクチャ型の環境対策と、政府・投資家レベルの新たな市場誕生というかわらない資本主義の階層である。
  • 政治をアーキテクチャのような透明なものと考えてはいけない。アーキテクチャはリベラル、保守派を溶解するようであるが、基本はマクロなコンテクストから設計されている。マクロなコンテクストは経済的効率を指向する。そこにあるのは「資本主義活動」の力学分布である。