セカイ系権力とグルーヴする言語ゲームの交差点としてのラカン

pikarrr2009-09-13

マネーというグローバルな象徴界の世界


世界はいまセカイ系権力」が台頭している。社会とは「グルーヴする言語ゲームである。という二つの知見を得た。するとやはりラカンへ回帰するのかと思っている。

たとえばこの金融不況にしても、ボクは数字の力を感じている。数字はほんとにすごい。文化を越える力をもつ。それはまさにグローバルネットワークを駆け巡る。確かに言語も伝達されるが文化的な差異があり遅い。その点、数字は文化的な差異を越える。すなわち数字とはマネーのこと。

これがラカンとどう繋がるか。これは象徴界なんだよ。レヴィ=ストロース構造主義は未開社会に隠れる数学法則からはじまった。ラカン象徴界の言語とは意味(シニフィエ)ときりはなされたシニフィアンであり、その法則性だ。現代はマネーというグローバルな象徴界の世界といえる。

ボクはマルクスの下部構造に近い考えを持っていて、そこに象徴界を重ねる。左派のジジェクでもこだわるイデオロギーいうものは上部構造で、近代以降は、数字(マネー)を基本として環境も作られていく。資本主義はそもそもイデオロギーではない。左派の社会主義というイデオロギーの差異として、あたかもイデオロギーがあるように資本主義と呼ばれた。




物象化、大文字の他者セカイ系


こう考えると、マルクスの先見性はやはりすごい。物象化論=人と人の関係が商品と商品の関係に代替されることで疎外されている。これは言い換えれば、現代の言語ゲームのリズム」は商品(マネー)の法則性に代替され、整流されていくということ。現代のリズム、そしてグルーヴは、マネーの法則と同期している。ここでフーコーの生政治(規律訓練権力、生権力)に繋がる。

さらには、マルクス物神性=人は商品(マネー)を確かなものと信じて神のようにフェティシズムをもつ。これが現代の欲望だ。マネーという数字(シニフィアン)の動きに大きく影響をつけている。資本主義が、富そのものを目的としているというよりも、数字としてのマネーの額を増やそうとするゲームであるということ。ラカンでいえば、意味ある目的に向かっているように信じるのは大文字の他者という形而上学的な幻想で、実は欲望は象徴界の法則性でしかないということ。

さらに現代は進んでいる。グローバル化=高速でマネーという数字が飛び交うことで、巨大になったマネーが、容易に偏在する。ある部分に巨大に貯まり、また流れていく。その流れはとても繊細で卑近な「想像的な関係」において、人の些細な思惑に直結し、そして一気に世界へ伝搬される。ある人の気持ちの振れが世界へ影響を与えるというセカイ系権力」が生まれる・・・

*1