ポストフォーディズムとしてのネットコミュニティについて


1) 第三次産業の効率化としてセルフサービスが広がる。
2) セルフサービスは生産と消費とコミュニケーションの臨界である。
3) 第三次産業では非貨幣経済が重要になる。
4) 自給自足が減少しつつDIY(Doityouself)が回帰するというパラドクス
5) ネットでは自立的に生産に参加することを求められる。
6) IT革命においてDIYは思想にまで高められる。
7) セルフサービスとDIYはポストフォディズムとして連続である。
8) ネットで起こっていることはポストフォーディズムの文脈で語りきれるか。
9) ネットコミュニケーションは感情労働のセルフサービス化である。
10) ネットを楽しむ個人でさえ貨幣経済活動と切り離せない。



0)サーバー空間独立宣言 

汚物にまみれた産業界と癒着した世界中の政府に告げる。醜く肥え太り正常な判断力を失った貴様等忌むべき独活の大木どもよ、私は魂の新世界、電脳空間からの使者だ。やがて訪れる未来の為に言う、我々に干渉しないでくれたまえ。貴様等は我々にとって歓迎すべからざる存在だ。この電脳世界に集う我々に対して貴様等は統治する術など持ってはおるまい。

・・・

貴様等の廃れゆく情報産業は、亜米利加及び他の国々において自らの主張を押し通すべく至る所で情報産業界を永続させる為の法律を作らんと目論むだろう。そしてその法律は発明などを銑鉄と変わりないある種の工業製品だなどと抜かして利権を発生させるだろう。電脳世界では、人間の精神が生み出すものならば如何なるものであろうと限りなく無償で再生分配することができる。思想思考の地球規模の伝達が意味するところはただひとつ、最早貴様等の旧式極まる工場など必要ないということだ。

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我々は電脳世界に魂の文明を造り上げる。それはきっと貴様等が造り上げた世界よりはるかに人間的で素晴らしい世界となるだろう。



一九九六年 二月 八日 ジョン・ペリィ・バァロウ サイバー反体制派 電子フロンティア財団共同設立者
http://www.asyura.com/2003/dispute6/msg/284.html



1) 第三次産業の効率化としてセルフサービスが広がる。


労働は第一次、第二次、第三次産業と遷移してきた。農業人口が減ったからといって生産量が減ったわけではない。品種改良、肥料、機械などにより効率が向上したのだ。第二次産業も同様である。だから現代の問題はサービス業の効率化である。しかしサービス業は勝手が違う。なぜなら対象が人だからだ。

自動販売機など機械化が進むが、サービスという人相手には限界がある。それよりも進むのがサービスのマニュアル化である。マニュアル化によって効率化を図り、また誰でもできる仕事にすることでバイト、パートなど安い労働力を使う。

それとともに進むのがセルフサービスである。農作物も工業製品も家畜も機械化に対応する。人は機械化を嫌うがまた自らサービスを生産する能力をもつ。価格を下げるかわりに自分でできることは任せることで、サービス業の効率を上げる。セルフサービスというとマックなどを想像するが、第三次産業が発達して現代では深く広く広がっている。




2) セルフサービスは生産と消費とコミュニケーションの臨界である。


「サービス(service)は、経済用語において、売り買いした後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財のことである。第三次産業が取り扱う商品である。(wiki)」

サービスはその始めから消費者にそして社会コミュニティと深く関係するだろう。その意味でサービスは商品として閉じることは不可能である。だからセルフサービスという言葉は矛盾である。サービスとはセルフを残さずにはおれない。すなわちセルフサービスは生産と消費とコミュニケーションの臨界である。

たとえばマクドナルドのセフルサービスは、料理を受けとり運び食後かたづける、だけではない。あの独特はマクドナルド空間。近接しても儀礼的無関心を保つ居心地の良い場所はある種の公共圏であり、客がお互いにセルフで作り出しているのだ。

パソコンはそもそもセルフサービスが前提に作られている不完全な、そして開かれた商品である。パソコン関連商品のサービス対応の悪さはそのためだろう。自ら(セルフ)で使いこなすことを前提としている。そしてそこに情報交換のコミュニティが生まれる。さらにはセルフなソフトが交換される。

このようなアメリカで発展したパソコンのセフルサービス(公開)性は情報処理のコストダウンによって成長し、思想(武器)へと昇華されている。パソコンからネットへと脈々と続き、いまでは国家戦略スマートグリッドまで支えている。




3) 第三次産業では非貨幣経済が重要になる。


たとえばあなたが陶芸が趣味で自分がつくったものを人々に贈ろうと思う。自らの労働は良いとしても、材料費、場所使用量、梱包、運送費などかかってしまうので、贈るだけで赤字である。しかしネットから道具を落としてソフトを作り贈る場合には経費はほぼゼロである・・・ということ。

職業は?ブロガーです。お金は稼いでいないけど人々の生産性に間接的に関与しています・・・というのは正しいだろうか。セフルサービスの労力はGDPには現れない。間接的には生産性を上げているだろうが、そのものは対価を生まないからだ。このような非貨幣経済は一般に産業を計る尺度からは抜けていく。しかし非貨幣経済は人々の暮らしを確実に豊かにしているのだ。

第一次、第二次産業の機械化による効率化の先の第三次産業の効率化は機械化ではなく、セルフサービスからDIYへとむかう非貨幣経済が重要になる。




4) 自給自足が減少しつつDIY(Doityouself)が回帰するというパラドクス


農耕は自給自足を基礎としていたが、工業化により分業となり自給自足は貨幣交換へ移る。それでも家事など多くのことは自らの労力で行ってきた。労働が第三次、サービス業により深く貨幣交換へシフトした。

主婦が食事を作る自給自足から食堂、レストランでの貨幣交換へ。さらに機械化とサービス業の発達でファーストフード、ファミレス、コンビニなどにより安価で多様な食事の提供で貨幣依存を深める。そこでDIY(Doityouself)が回帰する。自給自足が減少しつつ、DIYが回帰するパラドクス。

この違いはなにかといえばかつての自給自足は家族、地域の助け合いの中にあった。最近のDIYは貨幣と個人に関係する。金があればサービスを受けられるが安くあげるためにセルフサービスする。

最近のDIYは貨幣を越えて好きだからやることに向いている。それにしても自分の趣向が重視される。同じように自給自足でも貨幣により整流されることで大きくかわっているのだ。ではネット上のDIYはどうか?




5) ネットでは自立的に生産に参加することを求められる。


たとえばオタクなどの二次創作物は広義のセルフサービスといえるだろう。すなわち広義のセルフサービスとは生産と消費の境界を解体する。プロが生産した作品で完結せず、二次創作として自ら補完する、さらには拡張していく。さらに情報化社会はセルフサービス社会と言えるだろう。

ネットでは生産と消費という境界がなくなっている。そして対価なく生産され、ただで消費する。かといってネットにおいてもただ乗りは歓迎されない。もしかするとお金を払えば容易に手にはいるかもしれないが、自分でググり、情報をえて、それによってセルフサービスすることが求められる。

ネットは単に助け合うだけの社会ではなく、それぞれが自立的に生産に参加することを求められる。だから生産した人は神として敬意がもたれるのだ。そしてまさに第三次産業の効率化とはこのような自給自足的な非貨幣経済へ向かうといえる。




6) IT革命においてDIYは思想にまで高められる。


情報機器は不親切である。家電製品がワンタッチ操作に比べるとパソコンの操作はなんと難しいか。多機能、インテリジェンスからいえば当然ともいえるが、それだけではなく、パソコンにはセルフサービスが暗黙の了解としてある。

情報機器はセルフサービスである以上に、セルフサービスを楽しむことが目的であり、またそれは使いこなすを、こえて自ら使い方を拡張、創造することを含む。属に言うDIY(ドウイットユアセルフ)が前提とされている。

だからネットは不完全で不便である。大量の情報から必要ないものを捜し出す。他者から聞き出すなどには技術と慣れと必要である。多くの人はむしろこの不便利さが楽しいのだろうが、そうでなければ不完全なサービスである。

ケータイと比べてiPhoneの魅力はまさにセルフサービスですね。iPhoneのセルフサービスの魅力はそれがDIYにつながり、創造へつながることにある。しかしケータイの便利さから言えば難しい、不便、趣味の世界である。

iPhoneの魅力はDIYにあるが、さらにそれは趣味である以上に思想である。ハッカー文化からカリフォルニアイデオロギーという知の解放思想がある。ケータイは道具であるがiPhoneは武器なのである。




7) セルフサービスとDIYはポストフォディズムとして連続である。


セルフサービス…自らのサービスの一部を行うことで商品価格を下げる。受け身だけでなく、他者回避の快適、速度アップなどからより自主的に求められている面あり。ファーストフード、コンビニなど。あるいは手間そのものを楽しむ。

DIY(ドゥイットユアセルフ)…サービスをこえてより積極的に生産部分に関わる。生活の補助以上にプチクリと言える。たとえばバソコン、ネットは商品に前提とされている。さらに生活を犠牲にしてまで行われる。

セルフサービスとDIYを連続性で繋ぐのは、DIYが自給自足の生活の糧でもまた単なる趣味ではなく、非貨幣経済でありつつ貨幣経済と密接に結びついた生産活動の一部を担っているためである。たとえばそれはポストフォーディズムと呼ばれたりする。

「美しすぎる〜」流行りであるが、訳さないと「〜にといういままでのイメージからすると美しすぎるだろう」ということだろう。そういうひとは昔からいただろう。なにが受けているのか?すなわち商品でない美人探しのセルフサービス、DIY「ネット界隈学園のボクたちのマドンナ」




8) ネットで起こっていることはポストフォーディズムの文脈で語りきれるか。


ネット上で起こっていることを、ポストフォーディズムの文脈や、市民社会の文脈では語りきれないのはなぜか。なにかはみ出していくか。それは本質的な問題か。抹消の問題か?

ポストフォーディズムの文脈とは、生産物が知的価値になり、労働と生産の境界が解体する。企業は正社員のような労働者の時間的な拘束を緩め、結果を求める。労働者は生活をかけて自主学習する。雇用は流動かする。この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それは趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。

この先にDIYがある。固定された労働条件から解放された労働者は自由に労働を選べる。それは趣味のようなものでもよい。それは将来の労働学習でないとはいえない。ここには労働の解放と、企業の都合のよい労働形態の獲得がある。たとえばフリーターは自由か利用されているのか。




9) ネットコミュニケーションは感情労働のセルフサービス化である。

つまるところ私たちは、情報経済の頂点にあるサーヴィス部門を動かしている非物質的な労働の三つのタイプを区別することができる。第一のタイプは、工業生産に含まれたものである。工業生産は、その生産過程そのものを変容させるような仕方で情報化されており、コミュニケーション・テクノロジーを組み込むようになっている。製造はサーヴィスとみなされ、耐久消費財を生産する物質的労働も非物質的労働へと向かい、それを混合されている。第二のタイプは、分析的でシンボルを扱う作業という非物質的労働であり、それ自体が一方では創造的で知的な操作に、他方ではシンボルを扱ってはいるがルーティンの作業に分裂していくものである。最後に、非物質労働の第三のタイプは情動の生産と操作を含むもので、(仮想的または現実的な)人間的接触、身体的様式における労働を要求するものである。これらがグローバル経済のポストモダンを推し進めている、三つのタイプの労働である。

情動にかかわる労働が生み出すものは社会的ネットワークであり、コミュニティの諸形態であり、生権力なのである。ここでもまた経済的生産における道具的な行為が、人間関係におけるコミュニケーション的行為と結合されてきていることがわかるだろう。P378


「<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」 ネグリ=ハート (ISBN:4753102246

ネグリによる情報化における労働の3変容。1.すべての商品をサービス・情報商品へかえる。2.創造的労働とルーティン的労働に分裂する。3.感情労働化する。

これらはセルフサービスと切り離せない。二次創作、総創造社会、ネットコミュニティ・・・ネットコミュニティは、反資本主義経済で語られることが多いが、情報型資本主義の形態、ポストフォーディズムの延長線上そのものにある。ネットコミュニケーションとは、感情労働のセルフサービス化である。




10) ネットを楽しむ個人でさえ貨幣経済活動と切り離せない。


ネットの特徴はポストフォーディズム的に解放されDIYの世界以上に生産手段そのものが解放される。情報処理速度の画期的な向上により、生産流通販売がほぼゼロになり徹底的に生産と消費が解体される。従来の企業のアドバンテージはなくなる、あるいはマイナスになる。現に新たにベンチャーに溢れる。

しかしこれらはポストフォーディズムの文脈と離れていない。貨幣価値求めた営利目的である。グーグルも広告業者である。その意味ではニコニコは当然、そして2ちゃんねるでさえ営利を抜きに運営されているわけではない。またオープンソースもポストフォーディズムの文脈では非営利とはいえない。ネット上ではフリーはりっぱなマーケティング戦略である。より徹底しているのはWikipediaなどのように寄付による運営することで非営利な活動による公平性が存在意義に根ざす限られた場合だけかもしれない。

ハッカーたちは決して金儲けのために働いているわけではないが、金儲けを否定しているわけではない。現に多くの金銭的成功者が生まれ、讃えられている。彼らが求めるのは営利活動にしても広い(消極的な)自由、リバタリアニズムである。

ネットを楽しむ個人でさえポストフォーディズムの文脈では貨幣経済と切り離せない。オタクの二次創作はオタク関連経済を活性化している。単に消費者ではなく生産消費者(プロシューマー)として。彼らは単に繋がりたいからだけで集うと言うのではなく、生産活動に従事したいのだ。