なぜ稲垣早希のブログ旅はおもしろいのか

pikarrr2010-07-20

人とふれあうことを嫌がる旅番組


ロケみつ桜・稲垣早希の目指せ!鹿児島 西日本横断ブログ旅」http://www.mbs.jp/888/blogtabi/)おもしろいですね。連休暇なのでウェブで過去分から番組見ていました。その面白さはなんといってもサイコロを振ることであられる天と地の差でしょ。でもなんで貨幣がもらえることが天で、もらえないことが地なんでしょ?

通常この手の旅番組は人とのふれあいを物語として見せることをめざすものではないでしょうか。ならば大金がもらえて他者とふれあわないことは物語を消してしまうものです。現にスタッフ(作り手)はよいサイコロの目がでて、早希ちゃんが大金を持つことで、物語が生まれないことを嫌っています。

なのに早希ちゃんは大金をもつ事をめざすわけです。それはお金がないこと、すなわち人にお世話になり触れ合うことを嫌がるわけです。泣いて叫んでそこまで金が無いこと、人との関わることをいやがるか。仮にも旅番組だろう!と、思わせてしまうほどの「リアリティ」が視聴者を引き付けている。これっていままでの旅番組にはなかった画期的な番組ではないでしょうか。




現実上の障害の他者とネット上のコンビニエンスな他者


ローカル番組でB級タレントだから、町の人はみごとに冷たい。「田舎に止まろう」的な田舎の親しみはありません。

それ以前に、この番組では旅番組につきものの人との出会いそのものはもはや重視されていません。だから出会った人が語る人生物語がほとんどできていません。興味はそこにはなくいかに他者という障害がクリアーされたか。すなわち他者とはTVゲームの難所のようなものでしかないのです。

人のやさしさは出会った人よりもブログコメントというネットを通して現れます。ネットの向こうの匿名の他者たちとは決して深くかかわることがなく、必要以上に干渉してくることもない「コンビニエンスな他者」たちです。彼らはコメントするという簡単な行為でそれぞれわずかな貨幣を与える。この程度の関係こそが実際に触れ合うよりもありがたい。




早希ちゃんが貨幣依存=他者回避社会を暴露する旅


貨幣があることで魔法のようになんでも簡単にはできてしまう貨幣の快楽。それに対して貨幣がないことで他者に頼まなければいけない精神的苦痛。貨幣があれば「ハイウェイ」であり、貨幣がなけるば「ぬかるんだ道」。そしてこの天と地の差はたいした額ではない。一日数千円です。しかし天と地の差なのです。

早希ちゃんは白痴的素直さから、屈託なく、金を使うことの快楽と人と触れ合うことの苦痛との対比をみごとに表現します。早希ちゃんが旅するごとに日本中どこにいこうが貨幣依存=他者回避社会である日本の現実が次々と暴露されていくのです。

そしてその暴露がエヴァのコスプレで行われることはなんと滑稽なことでしょう。だってそれはエヴァ的な世界そのものではないでしょうか。そして視聴者が共感できる現実です。
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