なぜ日本のネット空間は「2ちゃんねる的」なのか

pikarrr2011-01-26

日本のネット空間の2ちゃんねる


日本のネット上のコミュニケーション空間に独特なコンテクストがある。特に2ちゃんねるに特徴であるが、実社会への皮肉、若者世代論、オタク、ネットリバタリアンなど傾向が強く、「実生活」のコミュニケーション空間と比べると独特である。

ブログをやっていると、このネットコンテクストの強制力をすごく感じる。ネット上のコンテクストに同調するような強者叩き、若者応援、オタクネタなどはとても受けがよいが、コンテクストにそぐわない「あたり前のこと」を書くと反応か少なく、「つまらない」となる。




ネット空間は暇人がつくる


このような独特なコミュニケーション空間はネット技術に依存しているだろう。匿名性によって言いたいことが言いやすい。また暇人ほど多く発言でき、同じ人が発言しても匿名なので一発言が一投票のような錯覚により、暇人の発言が影響力を持ってしまう。

そしてネットコミュニケーションは暇人の世界ということだけではなく、そこにコンテクストが生まれることで暗黙の強制力をもってしまう。ネットコミュニケーションに参加するだけで、2ちゃんねらーのように振るまってしまう。おそらくネット上の自分が「実生活」の自分といかに違うか自覚している人ほとんどいないだろう。




西洋人の「政治的な」場としてのネット空間


しかし2ちゃんねる的コンテクストが日本特有であることは、このようなネット技術だけでは説明できない。日本においてこのような独特な言語空間が生まれたことには、そもそも日本に論理的なコミュニケーション文化が乏しいことによる。

最近日本でもブームになったサンデルの政治哲学講義にみられるように西洋文化には、「正義」を言語によって論理的に示そうという長い歴史がある。だからネットコミュニケーションというテクストのみのコミュニケーション場において、西洋人は自らの主張を論理的に表現したいという匿名を越えた顕名「政治的な」場を生み出す。

それに対して、日本人は正義を言語によって論理的に示そうというような文化はなく、正義は集団的な調整によって生み出す文化をもつ。集団的な調整とは一つは上下関係による「上からの声」による調整、もう一つは「空気」による暗黙の同意である。




日本人の「空気」による同意を目指すネット空間


ネットコミュニケーションはフラットな空間として設計されているために、基本的に「上からの声」はない。すると「空気」による暗黙の同意を目指すことになるが、テクストのみのネットコミュニケーションでは「空気」は伝わりにくいというフラストレーションが絶えず、日本のネットコミュニケーション空間に生まれ続ける。

日本のネットコミュニケーションは絶えずいかに「空気」を伝えるか、「空気」を操作するか、を元に作動している。空気は論理的な一発言では伝わらない。コメントが連続することで生み出される。それも論理的であるよりも感情的、刺激的なコメントによって。このために匿名の暇人が大量にレスを繰り返すという、2ちゃんねる的」コンテクストへと成熟する。だから日本のコミュニケーションは「祭り」が目指される。

最近はこのような傾向は、ネットコミュニケーションだけではなく、「実社会」の言論空間でも表れている。ネット上のフラット化の影響が「実社会」にもおよび、「上からの声」で納得しない人々は「空気」による暗黙の同意を求めて、「祭り」へ向かう。そして一頃バッシングして騒ぐことで「空気」を共有して落ち着き、また次の「祭り」へ向かう。首相が短期間で替わることにもこのような傾向が現れており、日本国の運営にも支障を来しているという笑えない状況がある。




ツイッター「実生活」のコミュニケーション空間と近い理由


日本のネットコミュニケーションで成熟した2ちゃんねる的」コンテクストを、嫌う日本人は多い。「実生活」のコミュニケーション空間の延長上の穏やかで生産的なコンテクストを求める人々がmixiツイッターへ向かう。

mixi「足跡」として閲覧でさえ顕名にすることで徹底的に匿名性を排除するよう設計されている。互いに目を見て監視し合うことによって「空気」が伝わりにくいというフラストレーションを排除する。

ツイッターは、140字という字数制限と、他人とのコメントの連続性を断ち切ることで、徹底的にコンテクストを分断し「空気」の発生を潰す。それとともに結果的にツイッターの正義を支えるのは「上からの声」の機能である。

2ちゃんねるで有名人が発言がむずかしいのは、フラットなコミュニケーション空間の中に埋もれてしまうことと、2ちゃんねる的コンテクストが「上からの声」を排除するためである。それに対して、ツイッターでは有名人は優位である。「一般人」よりもフォローが集まりやすく、コンテクストの連続性を支える役目として発言権をもち、小さなマスメディアとして作動する。擬似的ではあるが、「実生活」のコミュニケーション空間と近い状況であると言える。

マスメディアにおける、2ちゃんねるがタブー視されるのに対して、ツイッターが取り上げられやすいのはこのような小さなマスメディアとして管理しやすい面をもつからだ。
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*1:画像元 拾いもの