なぜ日本のサービス業の生産性は低いのか 「日本人的なもの」の抵抗

pikarrr2011-05-14

日本の「コンビニエンスなサービス」


近所に風邪を引いたときにいく行きつけの病院がある。街の病院だか外科、呼吸器科などあり、入院施設もある中規模病院である。そこ以外行くことがないので世の中のレベルはわからないか、サービスの悪さはまるで別世界に来たようである。長く待たされるし、愛想はないし、医者はいつもやるきなさげだし。日本でこんなサービスが悪いのは、病院か、役所関係ぐらいだと思う。しかし逆に考えると、一般のサービスレベルが上がって、病院や役所関係が取り残されているのだろう。だからたまにいくと驚いてしまう。

現在の日本の快適なサービスは決して「至れり尽くせり」のサービスが向上したのではなく、マクドナルド化によるだろう。サービスがマニュアル化されて、いつも安定した対応が期待できる。待たせない処理、待たせてもどれぐらいかかるかの的確な情報伝達など。このような、「コンビニエンスなサービス」が標準的に浸透して当たり前になりつつある。

しかしマクドナルド化アメリカ発祥としても、アメリカの方が進んでいるということではない。アメリカは土地も広く隅々までいきとどかない、さらには機能性を重視し大雑把である。日本のサービスはマクドナルド化の中に、日本人がもつ「至れり尽くせり」のサービスを取り入れ、機能性にきめ細かいサービスという独自の進歩をとげている。




世界に誇る日本の「コンビニエンスなサービス」


このようなサービスは、単にサービス業という枠でおさまらず、すべての商品、さらには「英知」として環境全般に埋め込まれ、清潔で、秩序立った、機能的な生活環境を可能にしている。

いま日本が不景気と言われるのは経済成長が滞っているからだ。景気が悪くても環境に埋め込まれた「英知」は、短期的な景気変動とは別に豊かな生活のベースとしてなっている。日本で下流と言われる人々も、途上国の普通の人々と比べてずっと豊かな生活が送れるのはこのためである。

ボクたちはそれが当たり前になっているが、このような新たな日本の「コンビニエンスなサービス」環境は世界に誇れる文化として育っている。

日本の良さが若者をダメにする レジス・アルノー
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php


・・・18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。

日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。

・・・日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。

だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。「素晴らしくて孤独な国」という道を選ぶというのであれば別だが。




「日本人の運命共同体的なもの」による抵抗


日本の国内産業の6〜7割がサービス業に移っている。しかし日本のサービス業の生産性はアメリカの7割程度しかないと言われる。それだけではなくもはや広義のサービス(効用や満足などを提供する形のない商品)を付加価値として提供しない商品はないと言ってもいいだろう。今後の日本経済の躍進にはサービスの生産性の向上が不可欠と言われる。

サービスの生産性を向上させるためにはアメリカの成功を例にすると、日本型の過剰サービスからセルフサービスへの転換、およびセフルサービスによってユーザーが創造性を発揮して創発的価値が生み出す仕組み作り、ということになる。そしての特性としてセフルサービス、開放性、創発性が組み込まれているIT技術の活用がポイントになる。

すなわち日本のサービス業の生産性が低いのはそれらができていないということだ。その理由を考えると「日本人の運命共同体的なもの」が浮かび上がってくる。そして「日本人の運命共同体的なもの」がサービスの生産性向上、およびより高い付加価値を生み出すことを妨げている。

もはや先進国では地域的な差は小さく、世代差の方が大きいと言われ、「日本人の運命共同体的なもの」は幻想だと言われた。しかし今回の震災で世界を驚かせたのは、危機においても集団秩序を重んじ、従順な姿である。それは、高度消費社会、グローバル化の中でも深く潜航していたある種の古い日本人像だ。




1)セルフサービス化 → 情報格差への抵抗


セルフサービス化を進めると表れる問題は情報格差の問題である。セルフサービスへの移行は、情報操作に長けた者と疎い者の格差を生む。さらにセフルサービスから創発性が生まれ、動的に変化していくことは情報強者には楽しいことだが、なおさら情報弱者は落ちこぼれていく。このような情報格差の問題は、デジタルデバイドと呼ばれて、アメリカでは情報機器の入手や教育の費用となって貧富の差とも深く関係している。

日本の過剰サービスには、やりすぎて複雑になっている面があるが、情報弱者のことも考えてわかりやすいサービスを目指した結果でもある。ここに「日本人の運命共同体的なもの」が表れる。そのためにサービスの生産性は落とさざるをえない。




2)サービス業への転換 → 製造業中心主義


日本人の産業観は製造業中心主義である。明治以降、国家主導で一丸となって世界に追いつけ追い越せで製造業を発展させてきた。これは「日本人の運命共同体的なもの」ナショナリズムとして作られてきた過程と一致する。

このために新たな付加価値の高いサービスの「遊び」的な面は、好きな人がやるもの特別な労働と考えられてしまう。だから政府による公的な支援が行われず、また労働環境が悪くても自業自得で仕方がないと考えられがちだ。そして問題は部外者がそのように考えるだけではなく、従事する人々が自らの産業に劣等感をもち、製造業にかわって日本の将来を背負う産業に成長させるという自覚が少ない。




3)新たなサービス産業の創出 → 共同財産、嫌銭


セフルサービスの創発的な世界では、消費者と生産者の境界が曖昧になる。そして情報強者たちは創発的な価値をつかって新たなサービス産業を作り出す。まさにアメリカのIT革命とはこのような現象だ。

しかし「日本人の運命共同体的なもの」は、創発的な価値をみんなの共有財産で一部の人が貨幣価値化して儲けることに抵抗がある。日本のネット文化の嫌銭傾向に表れている。そこから新たな文化が生まれることを楽しむが新たな産業へと育てる意識は低い。




4)雇用の流動化 → 終身雇用傾向


サービス業は機械化が難しく製造業に比べて人件費比率が高く、人の機械化=マニュアル化が求められる。またサービスは流行に影響されやすく、その変化に合わせて必要な労働量が変わるために、時間単位で調整され、非正規雇用化しやすい。このようにサービス業の生産性を上げるためには、製造業以上に雇用の流動性が求められる。アメリカが雇用の流動性を許容するのは弱者にステップアップのチャンスがあるからだ。

しかし日本では「日本人の運命共同体的なもの」によって終身雇用の傾向が強く残っている。このためにサービス業においても雇用の流動性に対する抵抗が大きい。さらに終身雇用傾向は正社員と非正規社員の格差を広げ、そのしわ寄せは若者へと向かっている。

この格差は、親の世代の雇用を守ることで、子の世代の雇用を犠牲にするという、親子内での調整を求めている。ここにも「日本人の運命共同体的なもの」による暗黙の社会保障が働いている。

第1章 超・格差社会アメリカの現実

アメリカに住んでいると、この国は、4つの階層に分かれた社会だとつくづく思う。その4階層とは、「特権階級」「プロフェッショナル階級」貧困層「落ちこぼれ」である。 一番上の「特権階級」とは、アメリカ国内に400世帯前後いるとされる。純資産10億ドル(1000億年)以上のピリオネア(超金持ち)と、5000世帯強と推測される純資産1億ドル(100億円)以上の金持ちとで構成される。特権的富裕層のことだ。

その下に位置するのが、35万世帯前後と推測される純資産1000万ドル(10億円)以上の富裕層と、純資産200万ドル(2億円)以上でかつ年間所得20万ドル以上のアッパーミドル層から成る「プロフェッショナル階級」である。彼らは高給を稼ぎ出すための、高度な専門的スキルやノウハウを持っている。

「特権階級」「プロフェッショナル階級」の上位2階層を合わせた500万世帯前後、総世帯の上位5%未満の層に、全米の60%の富が集中している。アメリカ国内の総世帯数は1億1000万だが、経済的に安心して暮らしていけるのは、この5%の”金持ち”だけだという。P20

第7章 それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか 

アメリカ社会には、所得を増やし階層を駆け上がれる可能性がまだまだ豊富にある。・・・頑張れば成功できるという信念が国内に満ちているし、大半の人はそれを夢見て頑張っている。

レイオフされることがあっても、それは必ずしも本人の責任ではないから、レイオフされれば互いに励ましあって職探しにも協力し合う。職がある人でも常によりよい仕事を探して努力を続けている。大半の人は「諦めたら終わり。諦めないで頑張れば、必ずいいことがある」という信念がある。それがアメリカのバイタリティに他ならないし、アメリカン・ドリームに象徴されるオプティミズでもある。

「人生はこうあるべき」とか、典型的なキャリア・コースがアメリカには存在しないという事実も、人生の選択肢を広げる。・・・アメリカでは、階層を駆け上がる上方移動の可能性が、他国に比較して高い。その最大の原因は、スキルやノウハウといった個人の能力に対して、社会が高い価値を認めているからだ。

アメリカ社会には、何か人と違うこと、新しいことを考え出して、それを試してみるという生活態度が根づいている。・・・新しいアイデアには周囲が注目し、成功すれば賞賛するし、失敗しても笑って済ませる風土もある。・・・純粋な理論段階・アイデア段階・デザイン段階は個人のクリエイティビティに大きく依存する・・・それを速やかに事業化し、大きく育てるシステムでは、アメリカは圧倒的な優位性を持っている。P239-261


「超・格差社会アメリカの真実」 小林由美 (ISBN:9784167753504)




ガラパゴスは売れる


たとえば世界はアメリカ型サービスと日本の「コンビニエンスなサービス」のどちらを購入するだろうか。答えはアメリカ型だろう。これが言わば、ガラパゴス化の本質かも知れない。海外の人々は、日本独自に進化した繊細な「コンビニエンスなサービス」よりも、アメリカ型の大雑把であっても安価なサービスを受け入れやすい。

だからといって、日本のガラパゴス「コンビニエンスなサービス」はダメか、というとそうではないだろう。日本は優秀な貿易黒字国である。日本製品は高級品として世界中で売れている。また韓国、中国の台頭で安価にカスタマイズされていても、今回の震災でも明らかなように海外製品の要所には多くの日本の部品が使われている。




コンビニエンスなサービスの洗練


「日本人的なもの」を否定し、アメリカナイズされる必要はない。今後、サービスの生産性の向上させる努力は必要だろうが、日本の「コンビニエンスなサービス」が評価される可能性は高い。サービス業を効率化するためには、雇用の流動化は不可欠である。雇用が流動化し、能力、経験によって対価が支払われる構造変化は必要だ。

さらにネット上や、オタク、カワイイなどなどせっかく育っている日本の非金銭経済を新たなサービス産業へと転換する。そのためには目的意識をもったプロデューサーが必要になる。卑近な例だがAKB48の秋元康はみごとに、オタクをベースにした非金銭経済を収益へとつなげている。さらにそのビジネスモデルを海外へも売るこもうという姿勢はさすがといえる。

もう一つは、今回の震災は不幸中の幸いとしてヒントを与えてくれたのかも知れない。日本人は、地球温暖化に続いて、脱原発というエネルギー問題を突き付けられた。この課題は今後、どの国も豊かになるために直面する問題である。そしてこの問題はいままでの「日本人的なもの」に根ざした「製造業ナショナリズムによる推進が活用できる分野である。

さらには環境対応製品の導入は単に機器の設置ではなく、社会全体として設計が必要になる。日本が世界でも有数の高度な省エネ社会を実現しているのは「コンビニエンスなサービス」環境との関係が深い。とくにアメリカ型の雑でエネルギー効率が悪いサービスとの対比は歴然である。ただいままでのところそれには原発が重要な役割を果たしていたのだが。

なんか日本の未来がどんどん明るくなってきた・・・
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