なぜ天皇はいまも日本人の社会秩序を支えているのか

pikarrr2011-09-01

系譜の連続性


ハイコンテクスト社会であることは、日本人を語る上でもっとも重要なポイントだろう。ハイコンテクストとは系譜の連続性が重視されると言うことだ。系譜とは一族の先祖であり末代であるが、日本人の場合には数代遡ればどこか繋がっているという意味で、系譜の連続性は血が張り巡らされた日本民族を意味する。だから個人の行いが自らや仲間だけの問題ではなく、先祖、末代、そして日本人へと影響を与えると考える。

現に日本史の中で恥をかいた者の子孫は、いまもどこか後ろめたい。そんなことが現実に起こっている程、日本人にとって系譜の連続性には力があるハイコンテクストな社会なのだ。




なぜ武士は成果より美学を重視するのか


たとえば、どこの国にも日本の武士のような覇権を争う武闘集団はいるが、武士の特徴も「ハイコンテクスト」にある。中国の兵法などの闘いの極意を見ていると、巧妙で勝つことにどん欲だ。人を騙すことも重要な戦術である。しかし武士の争いにおいて、騙し討ちは正義に反する。基本は正々堂々であることが求められる。勝つという結果よりも美学が重視される。

これは騙して勝っても「周り」から笑われるからだ。周りとは同時代の日本人だけではなく、系譜の連続性を基本とした先祖、末代の日本人である。共同体を重視した「恥」の文化はどの社会にもあるが、特別日本人は恥の美意識にこだわるのは、共同体が系譜的な連続性に支えられたハイコンテクストな社会であるからだ。

多民族間の抗争ならば、「系譜の連続性」だけにこだわっていられない負ければ、そこで民族が絶滅され系譜が絶たれる可能性がある。それに対して、日本の武士に争いは日本人内のものであって、系譜が連続することは疑いのないことだ。

だから武士にとって、自らの死も終わりではない。系譜の連続性の中の一つの出来事でしかない。極端にいえば(系譜という)演劇の中で死ぬようなものである。一つの重要な見せ場なのだ。観客は同時代の日本人であるとともに、先祖、末代の日本人である。そこに自らの死を魅せるための美学が生まれる。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり。」とはまさにこのような意味だろう。

争いも、系譜の連続性の中の演劇であり、そこに暗黙に美的なルールが生まれる。自らも、相手も、恥をかかしてまで勝負にこだわらない。武士の争いとは死を取り合うゲームとなる。




なぜ日本で自然法爾」が重視されたのか


たとえば仏教の伝来は、いま考えるような宗教ではなく、中国の新たな政治思想であり、また国の災いを取り払う祈祷の方法としてであった。鑑真や空海など優秀な留学生が中国で難解な仏教思想を学び、日本の上流層へ伝える。

いまのように仏教が民衆に浸透したのは鎌倉時代である。その一つが浄土宗の他力思想であり、その核心が自然法爾(じねんほうに)」という教えである。ここでいう「自然」とはなにか、いろいろ議論があるだろうが「慣習」だろう。仏教以前も、日本人はきびしい自然環境を協力して生き抜くため暗黙の慣習があった。

ようするに日本で生まれた他力思想とは日本人として培ってきた習慣(暗黙の知恵)を肯定することである。このようないままでの慣習を肯定することで仏教は民衆へ浸透した。

これは世界の仏教史の中でも、かなり特殊だろう。通常、大陸では他民族がいてさまざまな自然(慣習)がある。仏教にしろキリスト教にしろ世界宗教とは多様な自然(慣習)間の争いを超越するところに生まれた。

しかしハイコンテクストな日本には一つの自然(慣習)しかなく、超越が意味を持たない。そんな日本で仏教を浸透させるための方法として有効であったのが、一つの自然(慣習)を大胆に取り入れて融合するためのキーワードが自然法爾」だった。




日本人の安心・信頼を支える天皇という象徴


日本人の系譜の連続性をもっとも象徴する存在が天皇だろう。天皇が支配者ではなく象徴という特別な位置であり続けることが可能であるのは、日本人が系譜の連続性が信じている、すなわち先祖であり末代に恥じないような行為をすることを意識していることを意味する。

日本がいつからハイコンテクスト化したのかは、歴史上天皇がどのように扱われたか見ればわかる。鎌倉時代以降に武士が圧倒的な武力によって権力を握ったときでも、天皇が特別な存在であり続けたことは、すでに日本人がハイコンテクストな社会であったことがわかる。

いま日本は法治国家であり、法によって社会秩序は維持されていることになっている。しかしそれよりも深く社会秩序の基盤を支えているのは、なんだかんだ言っても日本人であれば一線を越えることがないだろうという暗黙の信頼である。そして暗黙の信頼を支えているのが、いまも日本人にとって天皇は特別な存在であり続けているという事実である。



武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。つまり生死二つのうち、いずれをとるかといえば、早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといってめんどうなことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進するだけである。”事を貫徹しないうちに死ねば犬死にだ”などというのは、せいぜい上方ふうの思い上がった打算的武士道といえる。

とにかく、二者択一を迫ったとき、ぜったいに正しいほうをえらぶということは、たいへんむずかしい。人はだれでも、死ぬよりは生きるほうがよいに決まっている。となれば、多かれすくなかれ、生きるほうに理屈が多くつくことになるのは当然のことだ。生きるほうをえらんだとして、それがもし失敗に終わってなお生きているとすれば、腰抜けとそしられるだけだろう。このへんがむずかしいところだ。

ところが、死をえらんでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、これは犬死、気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これが、つまり武士道の本質なのだ。とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉公し尽くすことができようというものだ。P105-106


葉隠 山本常朝ISBN:4101050333


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