禅的なものと日本人の覚醒

pikarrr2011-09-07


日本人の原型1 「ただあること」
日本人の原型2 系譜の連続性
西洋人の基点、日本人の基底
禅的転倒と日本人の覚醒
浄土教と隠された自然
武士道と死のパフォーマンス
明治以降の日本人総武士化


最近のエントリーから抜粋しました。




日本人の原型1 「ただあること」

草木のように「ただある」という生き方


多民族世界において脅威は他の民族であった。だから武力と共に、交渉の技術を磨き、自らの正当性をしめる論理を形而上学まで拡張して確立しようとした。

しかし「隔絶した島」に住む日本人にとって脅威は自然である。自然とは他民族のような交渉はできない純粋暴力に対してなすすべがない。この世界は「無常」なのであり、この世界に生きるものは「あわれ」なのである。

しかしだからといってただ絶望するわけにはいかない。純粋暴力によって無常に破壊されて愚痴っても嘆いても仕方がない。自然の草木が潰されても潰されても育つように、「ただある」だけだ。それが原初的な日本人の生き方である。

だがこのような自然信仰は世界的にも珍しくない。このような自然信仰は主に自然に生きる未開文化に生まれる。しかしやがて原始的な共同体へ統合される中で、素朴すぎて他民族によって淘汰される。

しかし日本人の自然信仰は「隔絶した島」に住むために侵略されなかった。といって未開社会のままで止まったわけではない。大陸から間欠に伝わる文化をみずから吸収し、重層的に発展させた。その中で「ただある」姿を美意識への洗練させていった。




日本人の原型2 系譜の連続性

系譜の連続性


ハイコンテクスト社会であることは、日本人を語る上でもっとも重要なポイントだろう。ハイコンテクストとは系譜の連続性が重視されると言うことだ。系譜とは一族の先祖であり末代であるが、日本人の場合には数代遡ればどこか繋がっているという意味で、系譜の連続性は血が張り巡らされた日本民族を意味する。だから個人の行いが自らや仲間だけの問題ではなく、先祖、末代、そして日本人へと影響を与えると考える。

現に日本史の中で恥をかいた者の子孫は、いまもどこか後ろめたい。そんなことが現実に起こっている程、日本人にとって系譜の連続性には力があるハイコンテクストな社会なのだ。




日本人の安心・信頼を支える天皇という象徴


日本人の系譜の連続性をもっとも象徴する存在が天皇だろう。天皇が支配者ではなく象徴という特別な位置であり続けることが可能であるのは、日本人が系譜の連続性が信じている、すなわち先祖であり末代に恥じないような行為をすることを意識していることを意味する。

日本がいつからハイコンテクスト化したのかは、歴史上天皇がどのように扱われたか見ればわかる。鎌倉時代以降に武士が圧倒的な武力によって権力を握ったときでも、天皇が特別な存在であり続けたことは、すでに日本人がハイコンテクストな社会であったことがわかる。

いま日本は法治国家であり、法によって社会秩序は維持されていることになっている。しかしそれよりも深く社会秩序の基盤を支えているのは、なんだかんだ言っても日本人であれば一線を越えることがないだろうという暗黙の信頼である。そして暗黙の信頼を支えているのが、いまも日本人にとって天皇は特別な存在であり続けているという事実である。




西洋人の基点、日本人の基底

西洋人は神に存在の基点を求める


たとえばデカルト「我思う故に我有り」が叫んだのは、人の懐疑しえる臨界に達し、これ以上懐疑できないためであった。臨界とはその先は神のみぞしるということだ。だからこれは逆に神の存在証明にもなっている。いわば、「我があるから神がある」が、「神があるから我がある」へと転倒される。

民族的な侵略や陶太があり、土着の自然環境から遊離せざるをえなかった西洋人は、自らの存在を証明するための確かな点を超越に求めた。その方法が言語による論理的な思考である。言語論理には限界がある。そこに人が達しえない超越の存在が現れる。より論理的である程、超越の輪郭が1点に鮮明に浮かび上がる。

そしてその基点から我が証明される。我有りと言うことで神が現れることが、神があることで我有りが確かであるように転倒される。そして超越としての神という基点から人々がそれぞれつり下がる形で社会の安定はもたらされる。だから西洋人は我有りと言い続けなければならない。




日本人は土着の基底をもつ


日本人は、西洋人がこんなに必死で「我有り」ということが理解できないし、強い超越点への執着も理解できない。むしろ不気味である。なぜなら日本人は、民族的な侵略や陶太を経験せずに土着の自然環境に埋め込まれて生きてきたからだ。

日本では権力闘争があったとしても、食料生産者としての農民はただそこで作物を育ててきただけだ。もっとも大きな脅威は悪天候による飢餓でありつつけた。環境があり、そこで毎日必死で暮らしている。日本人は集団主義的といわれるが、自然環境と人々との慣習を通して調和されている。まさに土着性の基底があるために西洋人のように超越的な基点(神)は必要とされない。

世界には自然主義な民族はたくさんいるが、島国という環境からこれだけ大きい民族であるにかかわらず、自然環境との調和を重視する自然主義的なものを基本としてきた民族はめずらしいだろう。




禅的転倒と日本人の覚醒

なぜ日本人は禅的なものを必要としたのか


禅では、世界とありのままに対峙するためには、一度、言語世界を否定することが必要であるという。西洋人は禅的なものを理解できないだろう。我無しといってしまっては、存在の基点を失いただ不安がのこるだけだ。

それに対して、日本人はそもそも言語世界以外に自然環境との関係に基底を持っている自然児であり、非論理的であるとか、言語世界の否定は苦にならない。

しかしむしろ「禅的」である日本人は禅を必要としない。日本人が禅と必要としたのは逆に禅を自然環境からの脱出方法として使ったのだ。環境に埋め込まれすぎて「我有り」言うことが困難であったために、禅を使いまず「我無し」ということで、我を覚醒させた。鎌倉時代の日本の民主化の時代に、禅によって日本人の意識革命が起こった。

しかし正確には日本人は禅を理解していないのかもしれない。禅とはそもそも、論理に重きを置く仏教信者が悟りへと回帰するための方法だからだ。仏教において禅宗は主流とはなりえず、結局現代に残っているのは日本だけである。必ずしも本来の目的とは少し違う形であるが。




日本人は自ら去勢した?


なぜ西洋人が「(我思う故に)我有り」と直接的であるのに対して、日本人は「我無し故に我有り」とこんな回りくどいことになったのだろう。

たとえばいまも西洋人から言われる日本人のわかりにくさは、「私なんかダメだよと謙遜しつつ我を主張する」ような二面性である。あるいはよく言われる日本人の集団主義傾向。私が!という強い自己主張は嫌われて、我を殺すことで我を主張することが尊ばれる。

精神分析ラカンによると、そもそも欲望とは「〜がほしい」ではなく、禁止(否定)されることで生まれる。再度、学習論にもどると、人間以外の動物は1次レベルまでしかた学習できず肯定しかない。否定は、人間が2次レベルで言語を学習することではじめて生まれた。またそこに我(自意識)が生まれ、欲望が生まれる。我とはそもそも否定を契機として生まれる「ないことである」ものである。

では否定するもっとも一般的な存在は誰か。「他者」である。西洋の精神分析では、幼児が大人になるときにそれまでの甘えを社会的に否定されることを「去勢」といい、主体となる(我を見いだす)契機と考える。

人類史的に否定する「他者」とは、たとえば他の民族を消滅させることができる存在である。同じ民族内の抗争は決して民族を滅ぼすことに到らない。「他者」による否定されることで民族は我に目覚める。西洋などの多民族が近接する文化圏では文化的な「去勢」が起こり、我に目覚める。

しかし鎌倉時代まで日本人は「他者」に出会わなかった。だから「去勢」されることがなく、我も目覚めない。ただ偶然か鎌倉時代には日本人ははじめて「他者」にであった。蒙古来襲である。しかしそれがきっかけの全てではないと思う。鎌倉時代に日本人が行った「否定」は、なんと自らで自らを否定し、我を目覚めさせ、洗練させていった。そのための手法として仏教の「無我」思想が用いられた。




「ただある」ために「ただ否定する」 禅的転倒


日本人の原初的な「ただある」とは生き方ですらなく「姿」である。ここから武士道へと直結することはできない。なぜなら日本人の「ただある(生きる)」が、武士道では「ただ死ぬ」という美意識へ転倒されているからだ。

この転倒を起こした一つが禅である。禅では自然環境の厳しさに向き合い真の「自然」な自分を見いだす。そこでは素朴な「ただある」姿は理想とされるだろう。

禅においては、「ただある」という生への肯定へ至るために一度自らを否定しなければならない。世俗にまみれた我々は一度否定しなければ肯定できないからだ。そしてこの否定の契機が、ただの素朴な生に、「我」を目覚めさせる。そして「ただある」姿を一つの理想像として現前化させる。

禅の修行において、「ただあること」へ近接するために行うことは、無心で座禅を組むこと、単調な生活経験を繰り返すこと、或いは念仏宗においては、無心で念仏を唱えることだろう。あるいは、茶道など、質素で静かなものへ傾倒することで逆に美を見いだそうとする侘・寂(わび・さび)の文化など。

重要なことは、「ただあること」の美学は運動であるということだ。「ただある」へ向けてただ祈り、座禅を組み、ただ見いだす。




浄土教と隠された自然


宗教・思想とは様々な価値の中からそれぞれ「これがが正しい」ということです。一門徒さんが言われるように、強い正当性は正当性同士の争いを生みます。だから他力思想は正当性を弱くした。しかし弱くすると、なんでもありになってしまう。

強くするか、弱くするか、ここに哲学的なジレンマがあります。弱くした他力思想には、どんな悪人でも「念仏を唱えれば救われる(心底信じることができれば救われる)」救われるなら、悪いことした方がいいだろうと反論が出るのは当然のことです。

それまでの強い宗派は日本の中の宗派争いになったということですが、もっと凄惨なのは他民族同士の宗教間戦争でしょう。勝った民族は負けた民族を絶滅する、あるいは奴隷とする。このような世界では、なかなか悪人でも「念仏を唱えれば救われる(心底信じることができれば救われる)」救われるという考えが支持されるとは思えません。

日本には宗派争いがあったということですが、相手を絶滅する、奴隷とするまでには到らないと思います。なぜならなんといっても同じ日本人同士だからです。「同じ日本人同士」とは、培われてきた土着の倫理観を漠然と共有しているということです。だから日本でのみ他力思想という緩い正当性が成功したのは、暗黙に「日本人同士」が隠されているからです。逆に土着の倫理観を無理に排除しない緩い思想が受け入れやすかったからです。


「信心が定まったなら、極楽浄土へいくことは、阿弥陀さまのおはなからいですることですので、自分のはからいがあってはなりません。自分が悪いことをするにつけても、いっそうこういう悪いことを救ってくださる阿弥陀さまの本願の力を仰ぎますならば、自然の道理でやさしく静かにものごとに堪え忍ぶ心も出てくるものであります。すべて、あらゆることについて、極楽浄土へ往生するためには、利口ぶる心を持たずに、ただ阿弥陀さまのご恩が深いことを常にほれぼれと思い出す必要があります。そうすれば、自然に念仏が申されてくるのであります。これが自然ということであります。自分のはからいでないものを自然といいます。これはすなわち他力ということであります。そうであるのに、自然ということが別にあるように、もの知り顔に、偉そうにいう人があるということを聞きましたが、何とも情けないことであります。(歎異抄 第十六条)」

たとえば「自分のはからいでないもの」=自然とは、自分で無理にあれが正しい、これが正しいと考えて判断するのではなく、「自然体」でいなさい。そこには日本人の土着の倫理観が身について、自然と行動に現れる。念仏とは雑念を忘れて、みずからの自然体を引き出す。悪人でも一心に念仏を唱えれば、その体には日本人の土着の倫理観が具わっているのだから、悪いことが悪いと自然と行動に表れるようになる。

この日本の土着思想の肯定は、仏教としてはあり得ないことですが、日本の庶民に仏教を広めるために有効は方法であった。逆に土着思想をもつ日本人庶民には強い思想よりもいままでと連続するような緩い思想が受け入れやすい。

法然親鸞がこのことを意図したかはわからないですが、現実にはこのような効果が働き、事実として浄土教は日本人に広まった。仏教として原理主義的な矯正が行われていくのは事後的であり、浄土教を強く支持した人々だけで、いまでも日本と解け合うこの緩さが日本最大の宗派である理由ではないでしょうか。というのが、ボクが考えたことです。




武士道と死のパフォーマンス

武士の三層

鎌倉時代の古い武士道・・・献身としての武士

戦国時代の英雄的武士道・・・パフォーマーとしての武士

江戸時代の儒教的武士道・・・組織の一員としての武士

このような3つの見解は、わかりやすくいえば、武士が経た時代に対応している。鎌倉時代「献身としての武士」とは、中央集権による暴力の独占が崩れて、地方に分散することで、地方は自衛の必要があり、自衛手段として武士が台頭してくる。この時代には、秩序は法でも、経済でもなく、身近な信頼関係である。といっても、信頼関係はとてもあやふやなもので、いつ反逆されるかわからない。このために強い信頼が重視された。その究極的が主君のためにただ死ぬことであった。

その後、武士の世となり、下克上の戦国時代となる。数が力となり、多くの人々を集めて、戦術に長けていることが武士に求められる。この時期に自らの権威を誇示し人々を魅了するために、武士はパフォーマティブへなっていく。戦国武将たちの機能性とはかけ離れた鮮やかに飾られた武具が象徴的である。

江戸時代となり、世が安泰させるために家康が武士へ導入したのは儒教である。儒教は大きな組織のもとに忠義によって人々の振る舞いを規定したものである。安定した武家社会の中で、それまでの情動的なもの、パフォーマティブなものを排除し、規範的な武士像が求められた。




日本人の美学は死ぬことではない


だから「ただあること」の美学は決して「ただ死ぬこと」ではない。しかし武士道は「ただ死ぬこと」を選ぶ。否定において「死」が重要であるのは究極的な否定であるからだ。しかしここにすでにある種のパフォーマンスが介入していないだろうか。庶民に対する武士という新興の支配層としての貴族主義的、権威主義的な気負いのようなものが。

「ただ死ぬこと」はあまりに劇的である。人々を魅了すると言う意味で魅力的である。だから「ただあること」の美学にはたえず死がつきまとうことは事実である。

原初的な日本人の生き方である「ただある」がすべて消失したわけではない。いまも慣習深く根づいているだろう。文化としては禅的にものとして転倒されて、「ただある」ことの美学を目指す運動となった。そしてその究極に「ただ死ぬ」という武士道がある。それは劇的で人々の熱狂がともなう。




なぜ武士は成果より美学を重視するのか


たとえば、どこの国にも日本の武士のような覇権を争う武闘集団はいるが、武士の特徴も「ハイコンテクスト」にある。中国の兵法などの闘いの極意を見ていると、巧妙で勝つことにどん欲だ。人を騙すことも重要な戦術である。しかし武士の争いにおいて、騙し討ちは正義に反する。基本は正々堂々であることが求められる。勝つという結果よりも美学が重視される。

これは騙して勝っても「周り」から笑われるからだ。周りとは同時代の日本人だけではなく、系譜の連続性を基本とした先祖、末代の日本人である。共同体を重視した「恥」の文化はどの社会にもあるが、特別日本人は恥の美意識にこだわるのは、共同体が系譜的な連続性に支えられたハイコンテクストな社会であるからだ。

多民族間の抗争ならば、「系譜の連続性」だけにこだわっていられない負ければ、そこで民族が絶滅され系譜が絶たれる可能性がある。それに対して、日本の武士に争いは日本人内のものであって、系譜が連続することは疑いのないことだ。

だから武士にとって、自らの死も終わりではない。系譜の連続性の中の一つの出来事でしかない。極端にいえば(系譜という)演劇の中で死ぬようなものである。一つの重要な見せ場なのだ。観客は同時代の日本人であるとともに、先祖、末代の日本人である。そこに自らの死を魅せるための美学が生まれる。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり。」とはまさにこのような意味だろう。

争いも、系譜の連続性の中の演劇であり、そこに暗黙に美的なルールが生まれる。自らも、相手も、恥をかかしてまで勝負にこだわらない。武士の争いとは死を取り合うゲームとなる。




明治以降の日本人総武士化

近代化という日本人総侍化


近代化には大きく二つの面がある。産業化と民主化である。明治維新は下級武士層によるプルジョア革命だったために、民主化よりも産業化が重視された。日本における民主化は西欧に侵略されないよう、国民を育てて、富国強兵のための手段であったといえる。

このように国民を軍事、産業力として育てるために用いられたのが、武士の精神性である。天皇を君主とした忠誠心、そして個を殺しても組織を重視しする推進力など。このように国民総侍化が行われたのだから日本人が戦争へ邁進したのはある意味で当然だったともいえる。究極的にお国のためにと自らの死を捧げた。




西欧人「おまえは何者であるのか」


さらに西欧人は当然のようにと「おまえは何者であるのか」と問う。それに対して日本人が持ち得た方法が「我無し故に我有り」であった。武士道とはなにかがもっとも語られたのは、多くの知識人が西洋で学びはじめた明治以降である。

そしていまも他国と対峙するときの日本人のあり方として「侍」が立ち上がる。いまも日本人は明治以降の侍化を継続している。現代の侍ジャパンや、侍ドラマなど、日本人の侍への郷愁は、正しくは、武士の時代へのものではなく明治以降のものだ。


つづき ■日本人の構造と力  禅的自己産出機械 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20110909/

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