世界宗教史1〜4巻 ミルチア・エリアーデ その1

ミルチア・エリアーデの「世界宗教史」1〜4巻について、主に心身二元論を中心に抜き出した。ここには輪廻が深く関係している。

農耕に根ざした宇宙的宗教において不死というのは重要なテーマである。魂の輪廻思想は新たな展開を生む。魂が肉体と切り離される。そして魂の純粋性のために形而上学的な知(グノーシス)が探求される。知の方法は様々な検討されるが、基本は肉体的な現世の欲望を管理し断つこと、すなわち禁欲が基本となる。

また宇宙的宗教では、供犠は祭司層の特権で行われた。しかし魂の輪廻による救済は、因果応報(カルマン)とも結びつき、個々人の解決=禁欲が重視される。

キリスト教もこの影響から免れない。キリスト教の神による終末論から、輪廻は受けいれないが、純粋な精神を目指す二元論が取り入れていく。そもそもがユダヤキリスト教から、パウロなど、ヘレニズム啓蒙主義の強い影響によって、律法によらない開かれた禁欲が行われ、世界宗教となる。

1 インド
2 ギリシア、ヘレニズム
3 ユダヤキリスト教
 




1 インド

第八章 インド・ヨーロッパ諸民族の宗教 ヴェーダの神々


このフランス人学者(ジョルジュ・デュメジル)が、インド・ヨーロッパ諸民族の社会と観念形態の基本的構造をあきらかにしたのだと述べるだけで充分である。社会の三つの階層、祭司、戦士、牧畜・農耕民、へ区別することに、三つの機能に関する宗教的観念形態が対応している。すなわち、呪術的および法律的な至上権の機能、戦闘力の神々の機能、最後に豊饒性と経済的繁栄の神々の機能である。このような神々と社会の三部分への区分は、インド-イラン人のあいだでもっともよく把握することができる。実際に古代インドでは、ブラーフマナ(祭官、供犠執行者)、クシャトリア(戦士、共同体の守り手)、ヴァイシャ(生産者)の三つの社会階級が、ヴァルナとミトラ、インドラ、ナーサティア双神(またはアシュヴィン双神)という神々と対応している。同じ神々は、前一三八〇年頃にヒッタイトの王と、小アジアの分派インド人(ミタンニ人)の首長とのあいだで締結された条約のなかに、同じ順序で挙げられている。すなわち、ミトラ-(ヴ)ァルナ、インダラ、ナーサティア双神である。同じようにアヴェスターも、祭司(アートラ・ヴァン)、戦士(戦車に乗って戦う者、ラタエー・シュタル)、牧畜・農耕民(ヴァーストルヨー・フシュヤント)を区別している。しかしイランではこの社会的区分は、カーストの制度のようなものに固定されていないという差異がある。ヘロドトスによれば、イラン系スキュタイ人もまた、三つの階級の区分を知っていた。そしてこの伝統は、スキュタイ人の直系の子孫であるコーカサスのオセット人のあいだで、十九世紀にいたるまで保持されていた。P24-25


世界宗教史2 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085629

第九章 ゴーダマ・ブッダ以前のインド


サンサーラ(輪廻)という語は、ウパニシャッドにだけ現われる。その教義に関して、「起源」は知られていない。・・・この発見によって、存在についての悲観的見方が定着したことはまちがいがない。百年も生きたいなどというヴェーダ期の人々の理想は、時代遅れだということがあきらかにされたのである。

宗教的であれ俗的であれ、すべての行為(カルマ)は輪廻(サンサーラ)を永続させるものであり、供犠によっても神々との親密な関係によっても、そして苦行や慈善によっても解脱を獲ることはできない。隠遁生活を送るリシ(祭司)たちは、自由になるために別の方法を模索した。知識の救済論的な価値について瞑想することによってひとつの重要な発見がなされたが、それは、すでにヴェーダブラーフマナ書においても称賛されていた。・・・彼ら(リシたち)は「秘教的な知識」を儀礼的、神学的な文脈から切り離したのである。いまや知恵(グノーシスは、実在の深遠な構造を開示することによって、絶対の真実を把握することができるものと考えられるのにいたった。こうした「知」は、人間の定めとみなされている「無知」を、文字どおり滅ぼすにいたる。だが、ここで問題になっているのは形而上学的レベルでの「無知」である。というのも、それは日常的な体験から得られる経験的な実在ではなく、究極的実在に言及しているからである。

アヴィドヤー(無知)は究極的実在を覆い隠すものであり、「知」(グノーシス)は真理、ひいては実在をあきらかにする。ある観点からすれば、この「無知」は「創造的」なものであり、それは人間存在の構造とダイナミズムを創造した。アヴィドヤー(無知)によって人間は無責任な存在として生き、彼らの行為(カルマン)の結果を無視できた。情熱的な探求、躊躇、そしてたまに訪れる突然の啓示のあとで、リシたちはアヴィドヤー(無知)がカルマン(行為)の「第一原因」であること、つまり輪廻の起源とダイナミズムであることをつきつめた。こうして円環は完成された。無知(アヴィドヤー)「因果」の法則(カルマン)を「創造」あるいは強化し、今度はカルマンが、転生(サンサーラのとぎれることのない連続を課すこととなるというのである。だが幸いなことに、この円環の地獄からの解脱(モークシャー)は、とくに知恵によって可能であった。これからみるように、他の集団や学派も、ヨーガの技法や神秘的献身によって解脱のための徳が得られると公言している。・・・ここで強調しておかなければならないことは、アヴィドヤー(無知)、カルマン(知)、サンサーラ(輪廻)という不可逆の連環、そして「知恵」や形而上学的なレベルの認識による解脱というその救済策の発見は充分に体系化されていなかったとはいえ、すでにウパニシャッドの時代に行われていたということである。それは、その後のインド哲学の本質部分を形成した。もっとも重要な展開は解脱の手段、そして逆説めくが、この解脱を演じると思われる「人間」に関するものであった。P96-98


世界宗教史2 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫ISBN:4480085629

コメント:ここには現代につながる思想がある。心身二元論精神主義。精神の形而上学的な探求。日本人には馴染みが深いが、現代では輪廻は神秘主義的である。これはキリスト教には輪廻がないからだろうか。しかしキリスト教心身二元論をもっている。これは輪廻から生まれた心身二元論から、輪廻を排除して残っているのだろう。

第十九章 仏陀のメッセージ 永遠回帰への恐怖から言葉を超えた至福へ


本質的に、仏陀バラモンやシュラマナの宇宙論的・哲学的な理論に対してばかりでなく、前古典的なサーンキヤ学派やヨーガ学派のさまざまな方法や技法に対しても反対していたと言えよう。宇宙論や人間の起源論に類するものを、仏陀は論ずることを拒否したわけであるが、彼は、世界は神や造物主や邪悪な霊によって創造されたものではなく、存在し続けるもの、つまりは、善悪を問わず、人間の行為によって絶えず創造され続けていくものだと考えていたことはあきらかである。サーンキヤ学派とヨーガ学派に対して、仏陀はその理論的な前提、なかでも自己(プルシャ)の概念を拒否する一方で、サーンキヤ学派の師たちの分析やヨーガの行者の瞑想の技法を借用し、それを発展させた。あらゆる次元での思弁にのめりこんでいくことの拒否は絶対的なものである。

四諦には、仏陀の教えの核心が含まれている。・・・最初の真理[諦苦]は、仏陀も、ウパニシャッド時代以降のインド思想家と宗教家たちと同様に、すべては苦であると考えていた。・・・第二の真理[諦集]は、転生を決定する欲望、欲求、「渇き」に、苦の起源があることをあきらかにする。この「渇き」は絶えず新しい快楽を求めるが、それは感覚的な快楽への欲望、自己を永続化させようとする欲望、消滅(もしくは自己破壊)の欲望に区別される。・・・三番目の真理[諦滅]は、苦からの解脱は欲求を捨て去ることになるというものである。それは涅槃に相当する。・・・最後の四番目の真理[諦道]は、苦の消滅にいたる道を示している。・・・仏陀が作りあげた治療法が、まさに四番目の真理にあたるわけだが、それは存在の苦痛を癒す手段を定めているからである。これが、一般に「中道」とよばれる方法である。それは感覚的な快楽による幸福の探求と、その逆の道、極端な苦行による霊的な至福の探求という両極端を排そうとする。129-132

・・・最後の二つの真理は明確に(一)涅槃は存在する、しかし、(二)それは特殊な集中と瞑想の技法によってしか得られないことを認めている。・・・仏陀は涅槃の「定義」をあきらかにすることはなかったが、絶えずその「属性」について繰り返している。・・・しかし、ヨーガの行者の中で自分だけ(彼とその道、その方法に従う者と理解されるべきである)が涅槃を「見て」、それを所有していることを強調する。

要するに、涅槃の性格がなんであれ、仏陀の教えた方法に従うことによってしかそれに近づくことができないのである。・・・それは仏陀の宗教的精髄によって発展され、再解釈されたヨーガなのである。修行僧はまずみずからの肉体に絶えず反省を加えるように努め、それまで自動的に無意識のうちに行なってきたすべての行為を自覚するようにしなければならない。・・・こういったヨーガの訓練を導くのは、「知恵」(プラジュニャー)、つまり比丘の経験した心理的あるいは超心理的な状態の完全な理解である。

おそらく仏陀のもっともめざましい貢献は、瞑想の方法を編み出し、苦行の実践とヨーガの技法を、特殊な理解の方法に統合することに成功したところにある。これは、仏陀ヨーガ形式の苦行−瞑想と、教義の理解に同じ価値を認めたことによって確認される。しかし予想されるように、二つの道に、同じひとりの人間が習熟しているといったことはめったにない。・・・この二分法は、しだいに明確な形をとりながら仏教の歴史全体を貫いていく。学者になかには、「知恵」(プラジュニャー)自体で涅槃の獲得が保証され、ヨーガの景観に訴える必要はないと断言するものもいた。このプラジュニャーのみによって解脱した「乾いた聖者」を擁護する姿勢には、反神秘主義的な傾向、つまりヨーガ的な行き過ぎに対する「形而上学者」の側からの抵抗が認められる。138-145


世界宗教史3 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085637

コメント:仏陀は思想の体系化を行わなかった。むしろ瞑想などの修練を重視した。しかしそれ以前のウパニシャッドなどのインド思想を根底にしているために、心身二元論的な構造は保持しているだろう。その後の仏教は教義と修練が並行して発展する。