なぜエヴァに宇宙戦艦が登場したのか ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

pikarrr2012-11-19

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qhttp://www.evangelion.co.jp/)を見た。以後ネタバレあり。




なぜターミネーター最新作はあんなにうるさかったのか


ヱヴァンゲリヲンQをみて、たとえば映画ターミネーター4と似てるなと思った。ターミネーターのおもしろさは日常に突然ターミネーターが現れ、人を襲っていくサスペンスである。そしてまたこの日常を守るために核爆発による地球崩壊を阻止するというタイムリミットサスペンス。ようするに日常を担保に忍び寄る非日常(狂気)にスリルが生まれる。しかし回を重ねるごとにとうとう臨界を越えてターミネーター3で世界が崩壊する。そこでいままでのスリルの構造は崩壊する。

そしてターミネーター4からは崩壊後の世界が舞台になる。ここで難しいのは日常とのフックが切れると、残るのは非現実世界だけであとは何でもありになることだ。ようするにこれは「リアリティ」の問題だ。ただの空想物語に観客はどのようにリアリティを見いだせばいいのか。リアリティがなければ、スリルは起こらない。

最近のターミネーターの戦闘の映像技術がものすごいのは偶然ではないと思う。はじめから終わりまで爆音爆音。日常から切り離されて何でもありになったということもあるが、もうひとつはリアリティをスリルの心理ではなく、身体に求めたということだろう。迫力の映像はジェットコースター的に観客の身体に直接スリルを与え続ける。ボクはこの手の最近のドンチャン騒ぎハリウッド映画がはまらないので、最新ターミネーター4はうるさくてただ苦痛で退屈だった。




なぜシンジたちは学校に行くのか


なぜシンジたちは学校に行くのか。世界崩壊間近でそれを背負っている超エリートなら、個人レッスンする人をつけてもいいのではないか。そしてなぜあんなぼろマンションに住まわせるのか。この漫画が子供を対象としてもので自分たちと変わらない等身大の少年であることが必要だから、すなわちそこにリアリティを担保するための日常とのフックがある。

今回、エヴァは前作でサードインパクトが起こって世界が崩壊したという設定からはじまった。そしてもう学校もミサトとシンジとアスカの住む一室もない。最新のターミネーターと同じように、いままでのリアリティの方法を失ったまったく新しい構造が必要になる。

深読みしすぎかもしれないが、本編の前に流れる巨神兵東京に現わるは象徴的な意味を持つのかもしれない。この短編はまさに日常からはじまり、一瞬で世界が崩壊することが描かれている。エヴァ本編はすでに日常を失っているところから始まるが、いきなりリアリティが断絶しないように、日常から非日常への変化を描く役目をしているのかもしれない。

本作を見始めた観客は突然の今までにない世界観に、おそらく「なにが起こっているんだ?」と思いつつ映画を見始めただろう。途中でサードインパクトが起こった14年後の世界であることが語られるが、それでも「なになに?」と思いながら、次々展開する迫力の戦闘場面に最後まで一気に引っぱられるが、見終わったあとにも「?」のままに帰って行く。




非日常へ突入したエヴァはいかにリアリティを担保したのか


非日常へ突入した新作エヴァはいかにリアリティを担保したのか。一つはターミネーターと同じように今まで以上の迫力の戦闘場面である。いままでエヴァが電源につながれている、電源がなければ数分で活動停止することは日常へとつながり、リアリティを担保する方法だった。これはウルトラマンから続く、日常への拘束=絆であった。今回も2号機(アスカ)で一部そのような場面があったが、基本はもう電源から解き放たれている。それとともに地面から切り離された闘いは空中戦を基本する。最初の宇宙戦から、極めつけは宇宙戦艦の登場。空中へ解き放たれたエヴァは日常から切り離されていままでになり3次元的な迫力の戦闘シーンによりジェットコースター的に観客の身体へ訴えかける。

しかしさすがにエヴァなので、ドタバタだけでは終わらない。リアリティを保つもう一つは登場人物の連続性だ。ボクたちは登場人物に強い思い入れがある。場面が変わろうが登場人物への思い入れが連続性を保つ。ターミネーターでは主人公の役者も変わるのでこの機能も果たしにくかったが、それはアニメの強みだろう。ターミネーター−でもアニメ的に?シュワルツェネッガーの顔」が登場する。

ミサト、レイはほぼ別人になっていたので、今回のキーになったのはシンジとアスカだった。主人公のシンジはもちろん物語の軸として同一性を保つ。特にヘタレさは今まで以上に増している。今回はいいところなしで最後の最後までヘタレ続ける。シンジは変わらないという同一性を保つためにヘタレさを強調する必要があったのかもしれない。そしてそれ以上に今回キーになっていたのがアスカである。みながシンジを過去の人と見なす中で、以前と変わらないシンジへの強い思い入れ、そしていつもの罵倒。

特に最後の場面が象徴的である。戦闘後、エントリープラグの中で縮こまるシンジを罵倒し、蹴飛ばして引きずりだし、連れて行く。この変わらない愛の関係性が今回の軸となっていた。シンジが徹底的にヘタレだったのはこのアスカとの変わらない関係性を示すためだったのかもしれない。もしかするとやはりこれはエヴァだと今回唯一ほっとする場面だったかもしれない。

ボクの感想はこれはもはやエヴァではないなということ。次回がほんとに最終回?なのか。日常から切り離されたエヴァは登場人物の連続性を保ちつつ、これからいくらでも続けることができるだろう。あとは監督の腹ずもり一つだ。それはエヴァでありもうエヴァではないが。