日本人の慈悲エコノミー(テスト)

1 仏教思想史
2 贈与交換論
3 日本人の慈悲エコノミー
4 クールジャパンと慈悲



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1 仏教思想史
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1 釈迦の脱信仰
中村元の「古代インド」ISBN:4061596748、選集「原始仏教の思想1」ISBN:4393312155、「大乗仏教の思想」ISBN:439331221X 当たりを読んで、自分なりに理解した仏教について書いてみる。
まず仏教の開祖である釈迦の思想から。釈迦が目指したのは脱信仰だ。釈迦以前のインド宗教の主流は、バラモン教である。バラモン教は、紀元前1500〜1000年にインドに侵入してきたアーリア人の宗教である。もともといた現地民との間に階級、いまにも続くカースト制度をつくった。バラモンは最上階の司祭層である。バラモンは神との通路である司祭を独占し、権力と富を得ていた。釈迦はバラモン教による独占からの解放を試みた。神への信仰や呪術を否定し、誰もが修練によって救われると説いた。



2 輪廻転生、諸行無常一切皆苦諸法無我
釈迦の教えの基本は、諸行無常一切皆苦諸法無我と言われる。諸行無常とは、この世界には確かなものはなにもなく絶えず変化する、ということ。そして皆苦とは、この世界は無常故に、なにかいやなことがあって苦しいということではなく、生きることそのものが苦であるということ。だから我ということに固執していては苦しいだけで、無我、我を捨てることで、苦しみから解放されて平安になれる。
これだけでは人生訓のようだが、釈迦の教えのラディカルさはその死生観の輪廻転生から考える必要がある。輪廻転生とは、人は死んでもまた生まれ変わるということだ。そして生きることそのものが苦なのであるから、なんど死んでも生まれ変わって苦から逃れられないということだ。さらに輪廻転生では、来世に人として生まれ変わると限らない。だからいまある草花も前世では人だったかもしれない。
すなわち釈迦の教えは、死をも越えた輪廻の世界であり、さらに人間だけでなく生きとし生けるものを対象にする。だから死んでもこの苦からは逃れられない。苦は単に卑近な周りとのいざこざや、衣食住の不足の苦しみよりも深く、それが解消されても逃れられない。身近な人が死んで苦しい、いじめられて苦しい、借金でくるし程度はかわいいものだ。真の苦はそんなものではない。生きてることが苦であり、死んでもまた生き返って苦を生きることの終わりない繰り返しだ。
この苦から逃れるのは解脱して、輪廻から抜けて、涅槃(ニルバーナ)へ到達するしかない。そのためには、神への信仰、呪術を信じことに意味はなく、現世の卑近な欲をすてて修練し、我に囚われない境地に達すること、それが無我である。




3 理法(ダルマ)、縁起、慈悲
実は、このような釈迦の方法論の中で、諸行無常一切皆苦、輪廻転生とそこからの解脱による救済という構造は、すでにバラモン教にもあったものである。釈迦が説いたのは、バラモンが独占していた解脱を、無我論などの智慧による理法(ダルマ)によって達成することができるということで、誰にとっても客観的で、誰もが到達できるという平等を担保した。
また理法という客観性を担保することで釈迦は他派との争いをさけ、求められれば他宗派にも教えを説いた。いかなる教義を信仰しようともよい。解脱という救済のゴールは理法に達するという一つである。それぞれみんながんばりましょう。
これだけだと、解脱とはあまりに個人ゲームであるが、釈迦は諸行無常においてこの世界はすべてが関係しあっているという縁起説によって、他利行として慈悲を説いた。誰もが生きとし生けるものとして同じく根元的な苦の中にいて関係しあっているとき、互いの共感から慈しみが生まれる。それが慈悲である。



4 大乗仏教 信仰への回帰
釈迦は紀元前500〜400年の人と言われ、その後仏教はアショカ王の保護などを経て、出家者による教団として発展するが、AC200〜300年頃から教団とは別の大乗仏教という新たな民衆からの運動が生まれる。大乗仏教は、釈迦のラディカルさへの反動とも言える。釈迦の解脱技術は誰でも可能といいながら、あまりに高度であり、出家し長い修行が求められる。このために民衆からは出家せずとも救済される在家のニーズが表れる。
そこで生まれたのが、釈迦が進めた信仰から技術への転換に対して、信仰への回帰である。大乗仏教では、釈迦は神格化されてた。また解脱しても涅槃(ニルバーナ)に向かわずこの世界にとどまる菩薩などの神を、人々は信仰し救済を求める。



5 空観と大慈
大乗仏教では、釈迦の教えを継承する教団を小乗として揶揄し、出家者が解脱の目標とする理法(ダルマ)を否定する。すべてが関係性の中にある縁起において理法(ダルマ)が存在するのかおかしい。そして無我に続いて無法と説き、無我無法を新たに「空」と呼ぶ。諸行無常の世界において、すべては縁起、関係性の中で変化する。我のみならず、理法さえもこだわらないところに解脱(空観)はあるということだ。
そしてさらに重要になるのが慈悲である。誰も空という根元的な苦の中で、重要なことは互いへの慈しみ、慈悲である。先に解脱したものは一人涅槃へいくのではなく、残りの者を救済すること、大慈悲こそが真の解脱である。そこから人々が仏や菩薩を信仰することの正当性の形而上学が導かれる。


智慧の完成(般若波羅密多)の6つの実践

 慈悲によって以下を実践する。
  1 与えること(布施 ダーナ) 積極的に他人になにものかを与えること
  2 耐え忍ぶこと(忍辱 クシャーンティ)空の理を知って耐え忍ぶこと
  3 努めること(精進 ヴィーリヤ)努め励むこと
  4 心の統一(禅定 ディヤーナ) 心を集中して安定させること。
  5 戒律を守ること(戒 シーラ) 禁戒を守ること
  6 智慧の完成(智慧 プラジュニャー)先5つによって智慧を完成させること




6 インドの仏教と中国の儒教
でも、日本人からすると、よくわからないのが、なぜインド思想はそれほどこの世界が苦であることを強調するのか。むしろインドは世界でも最古の一つに文明が育った季候も良く、作物も豊かな地域と思うのだが。
日本人は中国的ではないだろうか。中国思想は、この世界に執着する。死んでも、またここに帰ってくることを望む。親や友や子孫に会いたいと願う。だから中国仏教では、本来、インド仏教にはないお墓を作り、お盆などに魂が帰り再会することを願う。これを日本人も受けついでいる。日本人も生きることは大変ではあるが、この世界に、家族のもとに戻りたいと願う。
仏教では、この世界であった人、ことも、死んで輪廻で生まれ変わるときには、まったく関係がない。解脱する(涅槃にいく)とは個人ゲームだ。仏教の悟りのラディカルさは、親子、先祖などの身近な関係さえも相対化する。人類、さらには生きとし生けるものすべてが参加する個人ゲームだ。ある意味恐ろしく非情だ。
儒教の基本は、「孝」にある。親子の愛を基本として、それを上下関係や、仲間などに広げて、縦の関係性を構築する。釈迦の思想ではこのような現世の関係は煩悩であり、克服すべきものである。釈迦の理法にあるのは、互いに無常・皆苦を生きる存在としての他者への慈悲だけである。
仏教は中国に伝わり儒教と融合した。どこまでも現実的でこの世界の関係を重視する儒教と、身体までも溶解する仏教。お墓、位牌、そしてお葬式は一つの結合点なんだろう。仏教的彼岸に行っても、もどって来られる目印。
インド仏教ではそんな目印はいらない。死ねば死体は焼かれてただ川に流される。どこまでも一人、涅槃を目指す。過去への執着は欲望であり、解脱できておらず、涅槃にいけない。
そしてお気楽な日本人は、涅槃とこの世を往復できると考える。いつもは涅槃でのんびり暮らし、お盆には子孫に会い来て、楽しく過ごす。




7 仏教の活用法  祈祷、葬儀、出家
現代の日本人の多くは自らが仏教徒であると考えていない。仏教は葬式のときにお世話になるぐらいで、仏教本来の教義をあまりよくしらない。仏教の本来の目的は救済にある。しかし日本では仏教は本来の目的よりも、便利な道具として活用されてきた面が大きい。
たとえば仏教伝来以降、奈良・平安時代には主に祈祷術として活用された。日本では無念に死んだ人が怨霊として現世に災いを与えると考えていた。仏教では輪廻転生するこの世とあの世を世界として考える。このために成仏できない魂をあの世へ送ることができる新たな技術として活用された。
またあの世へアクセスする技術ということで葬儀をつかさどった。奈良・平安時代天皇など権力者が死んだ後にあの世へ送るように葬儀に活用された。さらに鎌倉時代以降に葬式仏教として庶民に広がった。
その他仏教の活用として出家がある。権力者が引退したあと、失敗した責任をとって、あるいは家督を継げなかった兄弟たちがもう権力争いに加わらない表明として、あるいは夫が死んだ後の妻などが出家し仏門に入った。出家することはこの世の積極的な活動から退くことの表明であり、そのような人々の受け皿、余剰人員のバッファー装置として機能した。



8 穢れ(けがれ)忌む日本人
仏教がこれら祈祷、葬儀、出家などで、日本人に活用されてきた大きな理由は、日本人の穢れ(けがれ)を忌む文化がある。日本人は皇祖信仰としての神道を清いモノとする。そのために穢れを災いを与えるモノ、そして伝染するとして排除してきた。その穢れの中で最悪のモノが死である。たとえば死期が近づいた時点でその人を家から人気のいない川原や山へ置いてくる、あるいは自ら死にに行く風習が一般的にあった。有名な「うばすて山」はその一例だろう。
弥生時代水田稲作が伝わり、日本人社会は余剰の富をえた。そしてその富を独占する権力者が表れた。これを日本の起源として語る「古事記」や「日本書紀」では、水田稲作とその日本列島への急激な普及は、日本列島に光臨した天皇の祖先として太陽神(天照大神)とその後の皇祖の日本統一神話として語られる。そしてそれ以前に日本列島にいた土着の神々と狩猟採取文化は相対化された。ここに皇祖信仰=陽とそれを相対する陰の考えが表れている。

私がこの神話でもっとも重視するところは 、高天原の主宰神とされる天照大 (御 )神が 、高天原でみずから 「営田 」した 「水田種子 」 (稲 )を天降る 「天孫 」に「神授 」し 、粟 ・稗 ・麦 ・豆の 「陸田種子 」をこの世に生きている民の食物とする認識にもとづいて位置づけている点である 。神話構成上の認識としては 、水稲は支配者層の文化を象徴し 、粟 ・稗 ・麦 ・豆などの 「陸田種子 」は被支配者層の文化としてシンボライズされている 。
弥生時代以降 、稲作を中心とするマツリは支配者層においてまずひろがり 、水稲耕作の拡大によって 、民衆生活においても重要な意味あいをもつようになるが 、民衆の間にあっては 、粟や麦など焼畑耕作にうかがわれるような非稲作の文化のくらしを営んでいた 。

私の日本古代史(上)―天皇とは何ものか――縄文から倭の五王まで― 上田正昭 新潮選書 ASIN:B00D3WJ5NK




9 「清浄の戒は汚染なし」
陽を扱う神道に対して、仏教は祈祷、葬儀、出家など「陰」を扱うための技術として活用されてきた。それは、宗教としての教義であるよりも、神道と相対化するかたちで日本人の慣習として組み込まれて来たのである。
仏教はあの世へ影響を与える技術として有用であったが、さらに穢れに対応する方法としては仏教の教えの核心である「慈悲」が重要であった。慈悲の清らかさが穢れを相殺する。「清浄の戒は汚染なし」という考えが、穢れを扱う正当性を担保した。

葬儀としての仏教は庶民が豊かになった鎌倉時代以降から広がり、江戸時代前に葬式仏教として国教化した。またこの時代、村の単位として、祖先から子孫へと繋がる「家」が成立するが、葬式仏教は「家」の成立を補完する役割も担ったのだろう。
本来、インド仏教には葬儀に関する技術はないが、中国で儒教と融合することで葬儀技術を発展させた。そもそも儒教は葬儀儀礼から発展したと言われる。祖先礼拝、招魂再生、そしてお墓、位牌などは儒教の葬儀儀礼が活用されている。この葬式仏教を経由した儒教の影響が日本人での「家」の形態に影響を与えたといえるだろう。



10 清らかさの実践としての「慈悲」
葬式仏教とともに慈悲も庶民へ広がっていく。仏教の倫理とは因果応報である。因果応報は輪廻転生する世界において、この世が終わりではなく、この世で良いことをすればあの世で良いことが帰ってくる。この世で悪いことをすれば、あの世で悪いことが帰ってくる。これは祈祷と同じように世界を死後まで拡張し得る仏教だから可能になった強力な倫理である。そして仏教において良いこととは「慈悲」である。
キリスト教では神は絶対的な存在として最初からいる。しかし仏教では、釈迦しかり、仏(神)になるには修行が必要だ。だから仏教の慈悲は単に仏(神)からの恵みではなく、仏(神)になる方法でもある。たとえば仏が行う慈悲は大慈悲と言って、修業中の僧や庶民が行う慈悲とは区別される。
慈悲のルールは、我を滅してどれだけ不特定者へ多くを与えられるか、ということだ。仏の大慈悲までは行かなくても、できるだけの慈悲行を行おう。そして清らかになる。

現代でも自愛や身近な人への愛に対して、身近でもない不特定者への愛を与えることは崇高な行為とされる。これは自愛や身近な人への愛が人間として一般的な愛に対して、身近でもない不特定者への愛は人間には困難な神の行為とされるためのだろう。だから慈悲は「清い」とされた。

後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕の精神が純粋清浄となるのである。P129

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220



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2 贈与交換論

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1 ミクロレベルの贈与交換 集団内のエコノミー

贈与は、贈られる者に心理的負債と返礼の義務を負わせる。逆に捉えれば、贈与者になるということは、相手の上位にたつことなのである。・・・モースにとってそれは、交換の原因をなす精神的な基礎、すなわち優越性への欲望と、引き続き生ずる負債感である。
かつてデリダは「時間を与える」において「純粋贈与」とでも呼びうるものに言及した。モースの言う贈与は、交換・交易を必然的に引き起こす。すなわち含んでいる/予定している契機であるがゆえに、真の、無償の、つまり純粋なそれではないのである−それはむしろ、「贈与交換」と呼ばれるべきものである。・・・「純粋贈与」とは究極の無償贈与であり、たとえば神や自然の人間に対する贈与、自然の恵みのようなものを想定すれはよいだろう。
純粋贈与と、贈与と、交換の差異とはいったい何だろうか。それは、「負債感」の相殺にかかる時間の差異である。交換において負債感は生じない。というよりも正確には、負債感の持続時間がゼロである。商品Aと商品Bを本当の意味で等価交換したならば、双方には心理的な貸し借りの感情は、生じるとしても瞬時に、その場で相殺されるだろう。これに対して贈与では、返礼をするまでのあいだ負債感が持続する。そしてむしろ、その持続する負債感が返礼の原動力となる。・・・さらに純粋贈与にあっては、それに対する返礼は人間業では用意できない。すなわち負債感の相殺は永遠にできないことがはっきりしているので、負債感は永続的なものとなる。

中野昌宏 「貨幣と精神」(ISBN:4888489785) 第7章 聖なるものと構造


贈与交換は、ミクロレベルとマクロレベルで考える必要がある。ミクロレベルの贈与交換は、人間の間に働く公平感をもとにしたエコノミーである。簡単には、人は集団で生きるということ。集団はミクロレベルの贈与交換により統合されている。たとえばポランニーは未開社会での面白い贈与交換の例を挙げている。もらった物を時間をおいてそのまま返すという儀礼がある。ここでは贈与交換することそのものが目的化している。これはミクロレベルの贈与交換の本質を表している。ミクロレベルの贈与交換では、贈与と返礼によって、人間間、あるいは集団内の負債感を排除し公平感を維持することによって、信頼関係が維持される。
そしてこのようなミクロレベルの贈与交換は、負債感の持続状態によって、等価交換、純粋交換と連続的な関係にある。

・負債感の持続
商品等価交換>>>>贈与交換>>>>純粋贈与



・商品等価交換……交換により負債感がその場で解消
その場で、互いに等価であると納得して交換が成立し、負債感は一瞬で解消される。このためにその場であった不特定多数の人々と交換が可能であり、市場という大きな集合が可能になる。


・贈与交換……返礼まで負債感持続する。
贈与に対して返礼があるまで負債感は持続される。贈与と返礼に時間差があるために、返礼を期待できる顔の見え信用できる者にしか贈与しない。そして1対1で成立するよりも仲間内のような集団内で機能し、集団内の信頼関係を維持する役割を持つ。


・純粋贈与……永遠に負債感は解消されない。
無償の贈与。返礼することができず負債感は解消されない。純粋贈与の代表として「天の恵み」があげられるが、「天」という言葉にすでに神性を帯びている。人は解消されない負債感に耐えられない。このために神を創造する。逆に神の成立条件にとって純粋贈与が重要である。宗教の成立に機能している。




2 マクロレベルの贈与交換 社会と統合する経済過程
マクロレベルの贈与交換とは、カール・ポランニーが示したように社会を統合する3つの経済過程のうちの一つである互酬制(贈与・返礼)。如何なる社会での3つの経済過程が働くが、どれが主になるかは、その社会がどのような生産様式で運営されるかと深く関係する。またミクロレベルとマクロレベルによって社会は成立する。

生産様式と主となる経済過程


狩猟採取社会……互酬制(贈与交換)
農業社会……再配分
資本主義……商品等価交換、資本制

wiki カール・ポランニー

経済の定義
人間は自分と自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程が経済だとした。また、経済は社会の中に埋め込まれており(Embeddedness)、経済的機能として意識されないことがあると主張した。ポランニーは、「経済的」という言葉の定義について2つをあげる。
1. 実在的な定義。欲求・充足の物質的な手段の提供についての意味。人間とその環境の間の相互作用と、その過程の制度化のふたつのレベルから成る。
2. 形式的な定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。前者の経済過程の制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した。


交換のパターン
経済過程に秩序を与え、社会を統合するパターンとして、互酬、再配分、交換の3つをあげる。互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し。交換は市場における財の移動である。ポランニーは、この3つを運動の方向で表しており、互酬は対称的な2つの配置における財やサービスの運動。再配分は物理的なものや所有権が、中心へ向けて動いたあと、再び中心から社会のメンバーへ向けて運動すること。交換は、システム内の分散した任意の2点間の運動とする。




3 狩猟採取型社会・・・互酬制

・天の恵み/天災
狩猟採取を基本とする社会でもっとも大きな影響が持つのは、自然環境との関係だろう。すなわち天の恵み、天災である。自然と密着して生きるために天候の影響は生存に直結する。これは天からの純粋贈与/暴力である。


・互酬制による集団の秩序形成
天からの純粋贈与/暴力という一方的な行為に対して、生き抜くためには、集団の団結が不可欠である。その基本としてミクロレベルでの贈与交換による信頼関係の構築が重要になる。誰かが手に入れた天の恵み(純粋贈与)も集団内に負債感なく分配される。また天災(純粋暴力)の被害も集団で補完しあう。
このようなミクロレベルの贈与交換は、集団を維持するマクロレベルの互酬制(贈与・返礼)として慣習化され、集団の法(掟)として、また自然信仰として機能する。


・自然信仰
天からの純粋贈与/暴力は返礼できない負債感を生む。人は解消されない負債感に耐えられない。このために誰かを想定する。超越的な誰か=神である。神に祈り、天の恵み、天災に対する貢ぎ物(贈与・返礼)をする。


・市場はない
不特定多数との等価交換はほぼ必要とされない。




4 農業社会・・・徴収・再分配

・中央集権化
農業社会になると富が蓄積される。集団に富が蓄積されることで、互酬制による均等が崩れて、権力闘争が生まれる。そして勝った者の集団が負けた者の集団を支配する構図が生まれる。そして大きくなった集団は、富を徴収・再配分することで中央集権型社会として維持される。


・権力者の神話
自然信仰はやがて中央集権の権力を正当化するための神話となる。権力者は天の密接な関係があるものといて位置づけられる。


儒教 仁政型再配分
孔子儒教で求めたのは、再配分によって集まった富を権力者が不当に独占せず、民へ再配分するよう機能することである。そしてさらには天のように自らを犠牲にしても民へ(純粋)贈与する「清らかさ」の実践である。これが仁政である。権力者がお手本となる清らかであることで、民も清らかになり、再配分システムそのものが清らかになる、ことを目指した。


・市場の形成
大きな中央集権内では不特定多数による交換が可能になる。商品等価交換による市場が形成される。


世界宗教の成立
都市部を中心に商品等価交換が発達することで貧富の差が生まれる。彼らは土地から離れ、国の再配分システムから切りはなされている。近代国家ではすべての国民へ再配分の機能が働くが、農業社会と資本主義社会の遷移期には国家の救済は不十分で貧困は悲惨なものになる。このような弱者を救済するための奉仕(純粋贈与)として、キリスト教や仏教など、国家、人種を越えた世界宗教が生まれる、日本では鎌倉仏教期である。




5 資本主義社会・・・商品等価交換

市場経済
近代においてなぜ商品等価交換が社会の主な交換として全面化しえたのか、大きな謎である。人々は労働力を売って賃金を稼ぎ、その金で生存を維持する。農業社会のように自ら生産手段をもって生存に必要なものを確保するのではなく、生存を維持できるだけの商品がそろっていなければならない。


・近代国家の必要性
資本主義社会の維持において、国家は不可欠である。商品等価交換は基本的には、その場で出会って交換が可能な利便性がある一方で、略奪や詐欺など危険が伴う。安全な市場を運営するためには暴力の独占した強い国家の管理が必要である。また農業社会ではマルサスの罠から国の人員はいつも過剰である。この過剰人員の調整機構として戦争が不可欠であったとも言える。それに対して、マルサスの罠を破った資本主義では国民の数が富と直結する。このために近代国家は富国強兵を目指して世界の土地と人員を、余すところなく分割する。だから近代国家は国家間のグローバルな関係によって成立する。さらに商品交換による自由競争は貧富の差を生むために、弱者救済のための再配分の機能として国家は不可欠である。


・流動化する共同体
市場と国家によって抱え込まれた国民では、贈与交換による集団は、商品交換、再配分を補完するように、流動的で多様になる。家庭、会社、お気に入りのブランド好き、そして市民、ネーション(国家国民)まで。


・資本と贈与交換
資本主義の商品等価交換の補完装置として近代国家が必要だが、それは資本主義ではチャンスとリスクは裏表であるからだ。特に資本による交換では貸しと返済の時間差で利益が生まれる。そこに贈与交換が見え隠れする。資本主義社会では貸しと返済は自由競争上の利益追求を元にした客観的な基準によって行われていることが原則とされ、仮に贈与交換のように閉鎖的な集団内の権益を求めることは禁止されている。しかしこの境界は曖昧である。資本制には資本・権力を持つ者たちの贈与交換による協力関係が働いているだろう。勝ち組は勝ち組で集団をつくるということだ。それが贈収賄の犯罪となるのは、ある定めた法基準を越えたと判断された場合のみである。


・宗教の終焉
資本主義社会において、純粋贈与/暴力の成立は難しくなっている。たとえば地震によって大災害は発生しても、それを天のせいにはできない。災害を予測し、予防できなかった人災とされる。科学技術が予測機能と働くことが期待できるまでに発展し、世界を埋め尽くし、脱魔術化した。

信用取引の出発点は・・・法律学者や経済学者によって興味なきものとして閑却されている慣習の範囲内に見出される。それは贈与であって、とくに、その最古の形態の複合現象であり、それは・・・全体的給付の形態である。ところで、贈与は必然的に信用の観念を生じさせる。発展は経済上の規則を物々交換から現実売買へ、現実売買から信用取引へ移行せしめたのではない。贈られ、一定の期限の後に返される贈与組織の上に、一方では、以前には別々になっていた二時期を相互に接近させ、単純化さすことによって、物々交換が築かれ、他方では、売買 −現実売買と信用取引− と貸借が築かれた。P113

「贈与論」 マルセル・モース (ISBN:4326602120



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3 日本人の慈悲のエコノミー

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1 贈与交換と慈悲型贈与交換の違い
カール・ポランニーのいう経済秩序により社会を統合する三つの交換様式、互酬(=贈与交換)と再配分と商品等価交換では、日本人の交換様式は説明しきれない。「慈悲型贈与交換」とでも呼ぶ新たな交換様式を導入しないと説明できない。
贈与交換とは、贈与に対して返礼することによって、人間間、あるいは集団内で負債感を排除し公平感を維持しつづける行為によって信頼関係が維持される。そして慣習化されることで集団の法(掟)として機能する。このような贈与交換は文化、民族に関わらず生きるための人類の基本的な特性と言えるだろう。
贈与交換が贈与と返礼は時間差があるために返礼を期待できる顔の見え信用できる者たちで運用されるのに対して、慈悲型贈与交換は不特定多数へ贈与される。そしてできるだけ相手からの返礼(見返り)を求めない。贈与を与える者が返礼は求めなくても相手に負債が生まれるために、できるだけ相手が恩にきせないようにする。たとえば母の子への愛はみかえりなく、恩をきせないように子に与えるという意味で慈悲型贈与交換に近いが、母子は究極的に親しい。要するに、母の子への愛を不特定多数に与えるということだ。

あたかも、母が己が独り子をば、身命を賭けても守護するごとく、そのごとく一切の生けるものに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障礙(しょうがい)なき遺恨なき敵意なき(慈しみを行うべし)。立ちつつも歩みつつも坐しつつも臥(ふ)しつつも、睡眠をはなれたる限りは、この(慈しみの)心づかいを確立せしむべし。この(仏教の)中にては、この状態を(慈しみの)崇高な境地(梵住)と呼ぶ。

スッタニパ−タ


こんなことは究極的には仏様しかできないが、仏の慈悲は「大慈悲」と言われる。しかしそれだけが慈悲ではない。慈悲には段階がある。できるだけ親しくない人へ、できるだけ見返りなく、できるだけ多くを与える。母子の例にあるように親しい人なら比較的簡単だ。これを「衆生を縁とする慈悲」という。次に、「法を縁とする慈悲」とはできるだけ親しくない人に対して見返りなく与える。そして「無縁の慈悲」とは、すべての縁を越えてただ与えるという仏さまのみに可能な慈悲だ。
慈悲型贈与交換も贈与交換の一種であり、同様に集団を運用する。ただし慈悲型贈与交換は親しくない人たちを対象とするために、親しい人を対象とする贈与交換より、より大きな集団に働く。いつ誰から返礼があるか分からないし、ないかもしれない。できるだけ返礼を期待しないことが慈悲型贈与交換でもある。そして仏の無縁の慈悲レベルになると、究極的には無限大の円環を描く、それは大乗仏教の最終目的であり、涅槃(ニルヴァーナ)である。

慈悲型贈与交換のレベル

レベル0  贈与交換・・・親しい者たちの間での贈与と返礼、慈悲なし。
レベル1  衆生を縁とする慈悲・・・父母妻子親族など親しい人へできるだけど見返りなく与える。
レベル2  法を縁とする慈悲・・・できるだけ親しくない人に対して見返りなく与える。僧侶レベル?
レベル3  無縁の慈悲(大慈悲)・・・すべての縁を越えてただ与える。仏のみに可能。純粋贈与。

慈の所縁は一切の衆生なり。父母妻子親族を縁ずるがごとし、この義を以ての故に名付けて衆生を縁とする[慈]という。法を縁とする[慈]とは、父母妻子親族を見ず、一切法は皆縁より生ずると見る、これを法を縁とする[慈]と名づく。無縁の[慈]とは法相および衆生相に住せず、これを無縁と名づく。

大般涅槃経




2 日本人の中で粛々と作動する慈悲型贈与交換のエコノミー
仏教の基本は無我論である。我を滅することで囚われが消えて苦がなくなり心の平安に至る。親しい人へ与えるとは「我」にとって親しい人であり、そこに我へのこだわりがある。より親しくない人へ与えるとは我を否定していく修養である。その結果、大慈悲において「空」に至り心の平安に至り仏となる。「空」とは我有りと我無しの向こうである。
仏教の伝来以来、日本人は慈悲について様々な説話として語られ続けた。たとえば多くの日本昔話には慈悲型贈与交換のエコノミーが働いている。我を否定して、より親しくない人に、より多くの、できるだけ見返りを求めず、できるだけ相手に恩にきせないように与えるという慈悲型贈与交換のエコノミーが、日本人の中の善の基準として根付いてきた。
たとえばその現れの一つが、日本人は他者への感受性、他者に対する想像力が発達していることがあげられる。ここでいう他者とは親しい人だけに限らない人々であり、さらには仏教的には生きとし生けるものである。



3 「甘えの構造」と慈悲

甘えという語が日本語に特有なものでありながら、本来人間一般に共通な心理的現象を表わしているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近なものであることを示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにできあがっていることを示している。いいかえれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概念となるばかりではなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念となるということができる。P45

「「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295

義理も人情も甘えに深く根ざしている。要約すれば、人情を強調することは、甘えを肯定することであり、相手の甘えに対する感受性を奨励することである。これにひきかえ義理を強調することは、甘えによって結ばれた人間関係の維持を賞揚することである。甘えという言葉を依存性というより抽象的な言葉におきかえると、人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛るということもできる。義理人情が支配的なモラルであった日本の社会はかくして甘えの瀰漫(びまん)した世界であったといって過言ではないのである。恩という概念と義理との関係を考察してみよう。「一宿一飯の恩」というように、恩というのはひとかけらの情け(人情)を受けることを意味するが、してみると恩は義理が成立する契機となるものである。いいかえれば恩という場合は恩恵をうけることによって一種の心理的負債が生ずることをいうのであり、義理という場合は恩を契機として相互扶助の関係が成立することをいうのである。P54-56

「「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295


日本人に特有の「甘え」とは、慈悲の裏返しである。慈悲型贈与交換が、見返りのない贈与だとすると、見返りない贈与を求める期待が「甘え」である。通常贈与交換では返礼への負債感が生まれる。しかし日本人の慈悲文化では返礼ない贈与を「清い」とする。このために受け手は返礼の必要が無い贈与への期待も生まれる。日本では慈悲型贈与交換の普及によって、贈与に対して「ありがたく頂く」、「ご厚意に甘える」文化がある。



4 「ありがたく頂く」、「ご厚意に甘える」
贈与交換は人間の最も基本的な交換様式なわけだが、贈与交換は、贈与すると相手に負債が生じて返礼が帰ってくる。でも日本人には慈悲の文化があるから、日本人では贈与交換は慈悲型贈与交換として作動する傾向がある。要するに贈与する方は負債感を小さくして与えることを美徳とする。そして受ける方も負債感少なく受け取る。すなわち「ありがたく頂く」、「ご厚意に甘える」。ここで真面目に返礼してしまうと、清い贈与が穢れて失礼になる。

贈与交換の負債は簡単になくなるものではない。さらに慈悲型贈与交換は純粋贈与(無償贈与)に近く、負債の相殺がむずかしい。大乗仏教ではみんなで解脱することを目指す。菩薩は一人で解脱できるところをこの世に残りみんなを救済する。それが大慈悲である。お地蔵さん菩薩は道の傍らに立ちつづけて人々の救済を祈り続けている。日本人はこのような慈悲文化圏の中で生まれてきた。
だから慈悲的贈与交換は負債なく与え、受けることが出来る。それはみんなで慈悲的贈与交換しあうからだ。「困ったときはお互い様」。それが「世間」という慈悲型贈与交換しあう美徳の経済圏だ。



5 「負い目」を感じない日本人

しかしあのもう一つの「暗い事柄」、すなわち負い目の意識、「良心の疚(やま)しさ」なるものは、一体いかにして世界に現れたのであるか。・・・これら従来の道徳系譜論者たちは、例えば「負い目」というあの道徳上の主要概念が「負債」という極めて物質的な概念に由来しているということを、ただ漠然とでも夢想したことがあったろうか。

道徳の系譜 ニーチェ 岩波文庫 ISBN:4003363949


ニーチェの言う負債とは、贈与により受ける負債である。なぜニーチェがなぜ道徳の起源として負債を重視するのか。まさに道徳の系譜の主題であるキリスト教批判である。キリスト教徒はルサンチマンである。それは西洋人に架せられた贖罪である。キリストが西洋人のために死を捧げた。キリスト教の核心である。日本人にはわからない、西洋人が背負う呪いである。これは昔の話ではない。いまも西洋人はキリストへの贖罪により、自らを律し、すなわち道徳に従い社会秩序を維持している。
それに対して、日本人の道徳はどこから来ているか。慈悲である。「清らかなる」ことだ。日本人の贈与は負債に強迫されない。なぜなら慈悲は負債を与えないこと、そして負債を受けないことが美徳だからだ。「ありがたく頂く」。それが日本人の慈悲型贈与交換である。日本人はこの幸福を理解してない。



6 聖徳太子「世間は虚仮(こけ)なり、唯だ仏のみ是れ真なり」
「世間」という言葉は、六世紀仏教伝来とともに伝わった。その意味は、「世間は虚仮(こけ)なり、唯だ仏のみ是れ真なり」(聖徳太子)に現れている。すなわち仏教の諸行無常的なこの世界である。そして仏が救済する対象としての世界である。それが、やがて仏教的な意味が薄れ、日常用語として、「この世」「世の中」「社会」として使われた。

語源由来辞典 世間
世間は本来仏教語。「場所」を意味するサンスクリット語「loka」の漢訳で、「世(せ)」「世界」とも訳される。「世」は変化してやまないこと、「間」は空間の意味。つまり物事が起こり、滅ぶ空間的な広がりのことで、「無常」「煩悩」の場所を指した。この世の悩みや迷いから離れることや、煩悩を乗り越えることを「出世間」といい、「出世」の語源にもなっている。


世間をはばかる、世間体を気にする、世間体がいい、世間がせまい、世間知らず、世間ずれ、世間なれ、世間に顔むけができない、世間沙汰、渡る世間に鬼はなし、世間なみ、世間ばなし・・・いまでも用語に現れるように、世間は「社会」とは異なるエコノミーをもつ。そしてそのエコノミーはその語源からもわかるように仏教的な基準が働いている。すなわち慈悲型贈与交換のエコにミーである。「より親しくない人により多くを与える」ことが善。世間とはこのような価値が働くことで秩序維持される経済圏である。



7 「社会」は明治に広まる

wiki  社会
19世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。

語源辞典 社会
【意味】 社会とは、人間が共同生活を営む際のまとまった組織や、その相互関係。世の中。世間。同類の仲間や集団。
【社会の語源・由来】
社会は、福地源一郎(福地桜痴)による英語「society」の訳語。明治初期まで「society」に相当する訳語は存在せず、「交際」「仲間」「連中」「組」「俗間」「社中」などが当てられていた。その中で、明治8年(1875年)、福地源一郎が『東京日日新聞』に「ソサイエチー」のルビ付きで「社會(社会)」の語を使用したことで、「社会」という訳語が定着した。ただし、当初は「小さな共同体」「会社」など狭い意味で用いられており、明治10年頃から一般にも普及し、現在のように広い意味で用いられるようになっていった。


明治以前には、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。明治以降、「社会」が使われるようになったが、単に言葉の入れ替わりではなく、その時代のシステムに対応して、「社会」は民主的、資本主義的な意味をもつ。

その基本の交換様式は、等価交換である。独立した個人間で、価値が等価であると互いに合意して交換する。誰にでも等しく交換の機会が与えられて、より多くを得るために価値を高める改善が行われ、価値交換の競争が行われる。



8 なぜ「世間」はマイナスなイメージになったのか
明治において、近代化が進められ、世間が社会に変わる中で、世間と社会は衝突し、世間はマイナスで語られることが多くなった。一つは、経済圏のあり方が違う。世間では、我を滅するのに対して、社会では個人が重視される。社会では個の価値(利益)が重視されるに、世間では集団の全体の価値(集団全体の平安を目指す)が重視され、個は絶えず集団への配慮が求められる。さらに近代開国の中で世間が日本人に閉じていたことがあるだろう。近代なってグローバル化が進む中で、閉鎖的と考えられた。
そこから世間体/本音の対立が生まれてきた。本音は個を重視した強い意思という西洋キリスト教的な正義のイメージであり、世間は本音を抑圧し集団に迎合する嘘という悪いイメージである。

西鶴の町人生活を描いた三つの作品(「日本永代蔵」、「世間胸算用」、「西鶴織留」)にみるかぎり、「うき世」は、概して「あの世」(冥土)にたいする「この世」の意としてもちいられている。・・・いっぽう、「世間」の用法はといえば、これもきわめて現世的であった。仏教用語としての「世間」はとっくに姿を消して、すぐれて人間くさい意味をあらわす言葉となっている。「世間」はもっぱら、より町人の日常生活に身近な社会や、状況の意味としてもちいられているのである。

・・・要するに、西鶴が(永代蔵で)いうには、この世にある願いは、人の命をのぞけば、金銀の力でかなわないことはない。夢のような願いはすてて、近道にそれぞれの家業をはげむがよろしい。人のしあわせは、堅実な生活ぶりにある。つねに油断してはならない。ことに「世間」の道徳を第一として、神仏をまつるべきである。これが、わが国の風俗というものだ、ということである。そもそも商売は、町人にとって生涯の仕事であり、親子代々に伝える家業であった。西鶴は、自分と家業との関係において、家業にはげみ、諸事倹約をまもることの必要性を説くいっぽう、<家業>と<世間>との関係において、「世間」の道徳にしたがうことの必要性を説いているのである。

・・・西鶴の作品には、「世間」を道徳基準のよりどころとするような表現がなんと多いことであろうか。たとえば「世間並に夜をふかざす、人よりはやく朝起して、其家の商売をゆだんなく、たとへつかみ取りありとも、家業の外の買置物をする事なかれ」、というふうにである。P60-66

「世間体」の構造 社会心理史への試み 井上忠司 講談社学術文庫 ISBN:406159852X




9 「売手よし、買手よし、世間によし」のエコノミー

日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。
実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。
その一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。
これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

江戸時代中期、全国的規模で広汎にビジネス活動を行い、時には海外へも進出していた「近江商人」。現在もトヨタ、丸紅、伊藤忠高島屋日本生命、ワコールなど、近江商人に起源をもつ老舗企業は数多く存在しています。 明治維新をはじめ、数多くの激動期を乗り越えてきた「近江商人」の経営手法には、現在に生きる私たちに、少なからぬ「知恵」を授けてくれます。何の資源を持たなかった日本が、ここまでの発展を遂げることができたのは、何よりも「ヒト」という資源の力にあるのではないかと思います。それも誰もが知っている有名人ではなく、目立つこともなく、ただひたむきに努力を重ねた無名の人々による努力の結晶にあるといえるでしょう。このような人々を輩出したそのシステムにこそ、日本の発展の原動力があったといって過言ではないと思います。そして、この日本における人的資源のマネジメントのルーツといえるものは、いまから300年以上も前の時代に誕生した「近江商人」の経営手法の中にあるのです。

三方よし
これは、「売手よし、買手よし、世間によし」のことを言い表したものです。 商売を行うからには儲からねば意味がありません。そのためにはお客さんにも喜んでもらわなければなりません。ですから、「売手よし、買手よし」は当然のことといえますが、近江商人には、このうえに「世間よし」が加わって「三方よし」となります。これは300年生き続けてきた理念で、近江商人特有のものとなっています。自らの地盤を遠く離れた他国で商売を行う、近江商人においては、他国において尊重されるということが、自らの存在を正当づける根拠にもなりますから、「世間よし」という理念が生まれてきたといわれています。

http://www.neo-knowledge.com/column/omisyonin01.html


商売の基本は等価交換である。買手と売手が、交換するモノの価値が等価であると同意することで交換が成立する。等価交換が贈与交換と違うのは、貸し借りなくその場で精算されることだ。だから贈与交換のように相手と親しい必要はなく、広く不特定多数の人々の間での交換が可能になる。そしてその場で精算されるために交換後に相手がどうなろうが関係が無い。
近江商人が「売手よし、買手よし」と言うときには、等価交換によって互いに満足するという意味とともに、贈与交換が働いている。一見、等価交換で精算されているようだが、長期的に見れば、買手と売手に信頼関係がある方が互いに安心して継続した等価交換が可能になる。ご贔屓さん、お得意さん、あるいは企業ブランドなど、そこに緩やかな贈与交換の円環が働いている。
しかし「世間よし」とはなんだろうか。それは等価、贈与交換の円環の外の見ず知らず人への配慮である。交換そのものが、見ず知らずの人々へ何かを与えられるように配慮する。このようなエコノミーは慈悲型贈与交換からしか出てこない。そして日本人にしか思い至らないあまりに不思議な考えである。しかしこの考えが、日本人の近代以降の資本主義社会での成功に大きな役割は果たしてきた。
たとえば企業が商品を開発し、提供するとき、当然、お客さんに価値を認めてもらい、より高く売れるように、等価交換において高い価値を生むように努力する。しかし日本企業の場合、それだけではない。そこに慈悲型贈与交換のエコノミーが働いている。等価交換の価値以上に「世間」への配慮がある。このようにして日本企業は使いやすさや、品質のよさ、新たな改良品を生んできた。
たとえば日頃意識しない「世間よし」という慈悲型贈与交換が実は日本人の日常に働いていることが、明らかになる瞬間として、企業の不祥事が発覚したときに、「世間をお騒がせして申し訳ありません」という謝罪がある。近代的な企業の社会的な責任を越えて、世間への影響に関わらず、日本では企業には社会的な謝罪が求められる。これも海外の人には理解しがたい日本人特有の不思議な現象である。



10 武士というタレント
武士を理解する重要な一つが、その人口に占める割合からもわかるように、彼らがいまで言う「芸能人」のような存在だったということだ。すなわち注目を浴びる特別な存在。だから彼らの不思議な行為は基本にパフォーマティブに理解しないといけない。特に戦の時代が終わった江戸時代には、いつも武士として見られていることを想定しているということだ。
だから彼らは世間の反応に敏感である。赤穂浪士は事件後すぐに芝居になり人気を博したが、赤穂浪士自体が一つのパフォーマンスであったということ。討ち入りの前から有名であり、世間では討ち入りが期待されていた。
そして特に江戸時代に「世間」が武士に求められた「役柄」は、庶民のために率先してみかえりなく勤める、また勤める姿を庶民に魅せる指導者像である。ここに儒教の影響が見える。武士を頂点とする身分制度は仏教からは否定される。仏教では生きとし生けるものは等しくそこに互いへの慈しみが生まれる。身分制度儒教の影響が大きい。



11 孔子がもとめた清らかな仁政型再配分
農業社会では縦社会は必要不可欠と言えるだろう。農業社会を統治するために重要な交換様式は、再配分である。農民がそれぞれ自給自足し、権力者が農民から税を徴収して国を運営する。現代でも税による再配分はあるが、現代のように市場による全体調整機能が弱い農業社会では、再配分による統治は必要不可欠である。そして権力者が中央に集められた富を独占するのはいたしかたないといえる。その座を狙って絶えず闘争が起きたわけだ。
江戸時代に使われた社会を表す言葉で「世間」以外に「天下」がある。世間の起源は仏教用語だが、天下の起源は儒教である。天下とは、神としての「天」がありその下に社会がある。そして天下は徳によって統治される。徳の基本は子の親への「孝」である。「孝」を手本とする仁をヒエラルキー内の関係に全面的に展開することで、社会全体の秩序を維持する。
そして特に権力者は庶民を徳へ導くために率先した徳の実行者であることが求められる。それを「仁政」という。そして天下を収める者は、仁政を実行することで、天に選ばれた者である。周による殷政権の打倒以来、この徳治思想が中国の権力者の正当性を担保していった。
孔子儒教で求めたのは、再配分によって集まった富を権力者が不当に独占しないこと。さらには独占以上に権力者は自らが民へ奉仕すること。富、権力を独占する権力者への「清らかさ」である。権力者が率先して清らかであることで、再配分システムそのものが「清らかに」なり、人々が幸福な社会が運営される。これは「仁政型再配分」といえる。



12 「慈悲とは仁の道である」
中国では、儒教孔子の死後、漢代で国教になり、その後、清代まで国家運営の理想であり続けた。中国の権力者が目指した「天下」の仁政においては、はじめて仁政により権力の正当性を主張した周代から諸国の権力者たちに対しての自らの正当性を主張することを重視した面が強い。
それに対して、日本の武士は儒教的な仁と仏教的な慈悲は区別なく用いられた。仁が仁政型再配分にひも付くのに対して、慈悲は武士に限らず個人的な修養であり「世間」という倫理にひも付いていた。そして武士はその正当性を天下、それはまた世間において主張した。そして実際に、世界史的にも画期的に、清らかな仁政再配分システムを実行したのだ。ここに中国の権力者と日本の武士の違いがある。

まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。

忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。

東照宮御遺訓 徳川家康



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4 クールジャパンと慈悲
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1 クールジャパンの思いやり

NHKBS「クールジャパン」


テーマ 冬
・日本人は季節の変化に敏感。
・日本のコンビニで商品が夏冬で変わる。海外では年中同じで品数も少ない。
・日本では夏冬で食器がかわる。
・日本では季節で部屋の中の生活用品を変える。たとえばカナダでは一年中同じ布団を使う。日本では布団が代わるし、ゴザを引いたり、工夫がある。

テーマ 集団行動
・日本の学校の体育など整然とした集団行動が学ばれる。このような教育で道徳が養われる。海外では個人の意志が重視されるので無理だろう。子供でも従わないだろう。学校は勉強をするところで必要がないという考え。
・いくら大人数になろうと、日本人はきちんと行列に並ぶ。
・日本の立ち入り禁止を示すプラスチックのチェーンの不思議。侵入になんの物理的効力もないのに侵入しない日本人に働く不思議な抑止力。海外では塀でもつくらないと侵入してくる。

テーマ 動物
・奈良の鹿、ウサギ島、ネコ島、狐村とか、動物とのふれあう場が多くて外国の観光客に人気。日本での動物と人間の近さに魅力がある。
アメリカでは動物保護団体からのクレームなどがあり無理。
・日本人は古来より人間と動物という境界を設けてこなかった。

テーマ 老舗
・世界で老舗メーカーがだんとつで1番多いのが日本。
・老舗が多い理由として、日本人はこつこつ改善を続ける。会社の利益を越えてユーザーのことを考える。
アメリカでは個人の成功が目的だが、日本人は個人よりも会社を重視する。
・日本の老舗は経営者が家族で継承されることが多いが、アメリカなどの老舗では会社名が同じで経営者が代わっている場合が多い。
アメリカでは企業は拡大を目指し、大きくなると魅力を失う場合が多い。


NHKBSで「クールジャパン」でサウジアラビアで、日本人の思いやりを紹介するテレビ番組が人気を博しているという話題があった。その例として、ガソリンスタンドの給油の際に車が汚れないような様々な小さな配慮が行われることや、デパートで店員がお辞儀をすること、公園でお菓子をこぼした場合に拾い集めて後片付けをするなど、日本人には当たり前のことが驚きをもって紹介されていた。番組に出演していた世界中の人たちも日本人の思いやりの特徴として感心していた。
海外の多くの国では、より合理的に行為が行われる。ガソリンスタンドは給油することが目的でそれ上ではない。店員は客に物を売るのが仕事で頭を下げる必要はない、公園の清掃は業者がやることが当たり前だ。サウジアラビアではこの番組で紹介された日本の小学校で小学生が自らで教室の掃除することが道徳教育として紹介されて、現在300校で取り入れられはじめたという。
ボクも前々から気になっていることがある。たとえば東京駅で新幹線を降りた場合に出口は2種類ある。一つは直接、駅の外へ出る改札口、もう一つは在来線へ乗り換えるための改札口だ。直接、駅の外へ出る場合は切符を自動改札に入れて出ればよいが、在来線への乗り換えの場合には、自動改札で特急券は回収されるが乗車券は受け取る必要がある。しかし乗車券を取らないでそのまま改札を出る人が多いのだろう。いつも自動改札の出口に職員が立って、乗車券を受け取るようにさけび続けている。最新の自動改札であるにも関わらず、人海戦術で叫び続けている光景は不思議だ。こんなことは海外でもあるのだろうか。海外だと取り忘れは自己責任だと放置されるのではないだろうか。特に若い職員が声を張り上げているが、海外ならこんなことのために入社したんじゃなきとブチぎれそうだ。
あと、よく言われているのが、日本人はなぜ物に敬語を使うのか。お米、お弁当、お風呂、お菓子、お店・・・外国人にはかなり不思議であるらしい。「いや、別に物を尊敬してるわけではないよ。そういう言葉の使い方、慣習だから使っているだけ意識なんかしていない。」というのが日本人の実感だろう。ここには意識しないレベルで日本人の物を大切にする思想が組み込まれている。仏教的な生きとし生けるものへの尊重が、日本人では生きものを超えて物まで展開されている。
外国人が感心するこの日本人の思いやりの文化に大きな影響を与えているのが、「慈悲型贈与交換」のエコノミーではないだろうか。日本人は意識することなくとも、日本文化の中に慈悲型贈与交換が組み込まれていて、日本人的な善(美)として「当にそのように行為するのである」。

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