ローマ帝国崩壊後の西洋史

ゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国崩壊後、欧州はゲルマン民族群雄割拠の混乱に陥る。そこから台頭してきたのが、イスラムである。イスラムアラビア半島からアフリカ北部、そしてイベリア半島と地中海を囲む巨大な帝国となる。文化的にもギリシャ、ローマの文化を継承したのは彼らだった。

彼らは異教徒に対してジハードのもと掠奪が合法化されて、領土拡大に積極であった。それともに、キリスト教より、イスラムの方が寛容で、自由であった。身分はイスラム教徒より低いとしても、異教徒も受け入れ、異文化も受け入れた。イスラム圏は拡大し欧州からインドまで続く、交易圏となる。

窮地のローマ教会は、巨大なフランク王国を作ったカール大帝ローマ皇帝と持ち上げることで、なんとか後ろ盾を得る。カール大帝後、フランク王国は子供たちに分割されて、いまのフランス、ドイツ、イタリアに近い配置となる。そのあとにやってきたのがノルマン人、すなわちバイキングである。欧州を破壊略奪し、王国を立てるに至る。特にイングランドは、ノルマン朝という婚姻による王朝を立てる。それは現代まで続くイギリス王族の血統である。




ローマ教皇の号令の元、キリスト教イスラム圏に反撃しようとしたのが十字軍である。しかし十字軍の果たした役割は、イスラムの駆逐ではなく、欧州にイスラムの最先端の文化を輸入した。人文主義、科学主義が再発見(ルネサンス)される。またインドから欧州への交易路を開拓される。始めイスラムと通行契約したヴェネチアなどイタリア都市国家が独占し、巨万の富をえる。その富のもとイタリアルネサンスは生まれる。また戦費の調達に苦労する欧州諸国にその富を貸し付け、欧州諸国に及ぶ巨大な情報ネットワークによって欧州全土を管理する。

このようなイタリア都市国家へ対抗したのが、地中海に面するポルトガルとスペインである。イスラムを通らないアフリカ回りでインドへ達する航路の開拓を目指す。かくして大航海が始まり、ガマはアフリカ周りでインドへ達する。さらにスペインの委託を受けたコロンブスはインドへ到達できると信じ大西洋を横断する。そしてアメリカ大陸へ到達するが、コロンブスはそれがインドだと信じていた。原住民をインディアン(インド人)を呼んだ。しかしこれらの航海はインド航路以上の成果を上げる。ポルトガルはアフリカを侵略し、奴隷を手に入れる。スペインもまたアメリカで奴隷、植民地化、そして鉱石を手に入れる。金本位制の時代、経済の発展には金銀の量と市場規模は深く関係する。日本からの銀が欧州にもたらされて欧州市場の拡大に大きく貢献したが、それ以上にアメリカで算出されて銀は産業革命につながる欧州市場の拡大を可能にした。

そしてポルトガル、スペイン、フランス、オランダ、イギリスと、次々と国家が参入し、世界中で侵略戦争を繰り返す絶対主義国家間の植民地競争となる。もはやイタリア都市の時代は終わりつつあった。それでもイスラムはその後も巨大帝国であり続けた。西洋人がイスラムを巻き返したのは、産業革命期以降だろう。




争いの中、イギリスとフランスなど互いの友好のために各国の間の王族の政略結婚が進む。それが逆に各国の継承権をかけた争いを生む。フランスとイギリスの百年戦争は、フランスの領土をかけた継承の争いであり、またイタリア戦争もまたスペイン王族とフランス王族のイタリアの継承をかけた争いである。

そしてキリスト教カトリックの権力は息を吹き返し始める。王族継承を争った時代、正統を担保する大きな1つとして、カトリック教皇権力組織は大きな影響力をもつ。教皇頂点として欧州各地に配置された教会をもとにヒエラルキーが作られていく。カノッサの屈辱が有名なように、国家による地の国に対して、神の国を支配する。

しかしやがて時代は土地をめぐる王族の継承権争いから、植民地を含めた富をめぐる争い、そして宗教改革をめぐる争いへと移っていく。植民地時代からの富を背景として、小国領主が集まったが封建的国家から、絶対主義国家へと移っていく。宗教改革キリスト教民主化であるとともに、古いキリスト教権力への新興のブルジョア層の反抗と言える。

特にカトリックが衝突したのが、資本の否定だ。グローバルに経済が発展する中で、ブルジョア層のみならず、商業からの富をもとに国家を強固にする絶対主義国家権力とも衝突する。宗教改革後、イングランドカトリック離脱、ネーデルランドの独立、対してフランス、スペインは王権とカトリック体制が深く結びつき、カトリックプロテスタントの対立軸により各国を巻き込んだ三十年戦争と、宗教改革に基づく戦争が続く。

この流れがそのまま民主革命の時代に続く。先行したのはイギリスのピューリタン革命から名誉革命カトリックに対するプロテスタントの勝利であるが、プロテスタントが勝利したのは、自由な職業活動とさらに人権の平等という民主化である。名誉革命後、王権は弱まり、議会民主制が権力を持つ。そこには名誉革命の精神を継承する啓蒙主義の広がりがあり、ピューリタンの国、アメリカの独立宣言、そしてフランス革命へと続く。そして民主化で先行するイギリスは産業革命へ突入する。



産業革命は人類史でも画期で、新たなステージに入ったことを意味する。人口が今までの流れとは異次元的に急増しはじめる。それはそれだけの人口を受け入れる富が生まれ、さらに人口増加はさらに富を生み出す。その富を生み出す仕組みが分業による効率的な大量生産社会である。産業革命が各国に広がるとともに、プロレタリアートという新たな労働者層が生まれる。民主革命もまた世界に拡散し、決定的なマスの力で自由民主主義世界を構築していった。

そこで起こった大きな問題が新たに生まれた巨大な富の分配、すなわち格差の問題である。民主化の問題は人権から富の分配に移る。そこで重要となるのが国家である。。富の分配装置であるともに、原資を増やすために、グローバルな国家間競争に勝たなければならない。自由主義経済で勝つとは時に協力し、時に競合する難しい舵取りが求められる。近代国家は国民が国家に参加するナショナリズムの時代に入る。

そして、世界中を巻き込んだ世界大戦へ突入する。二度の世界大戦のキーはドイツである。イギリス、フランスに遅れてきた国、小国家の連邦群からドイツ帝国となったのは19世紀、植民地政策にも遅れ、ドイツが先行のイギリス、フランスに挑んだのが世界大戦だ。ヒトラー国家社会主義党の党首であり、この大きな流れから逸脱していない。国民の支持の元、リベンジに挑む。そしてまた日本も遅れてきた国として参戦する。

しかし勝利したのはアメリカだった。アメリカは独立後、他国との干渉を避けて、国内の開拓を進める。大陸横断鉄道による国家産業網を構築して、その富とフロンティア精神により、新たな文化を生み出していた。世界大戦前にはすでに世界一の産業国となり、分業化された企業組織体、販売セール網、映画などエンターテイメントなどを発明して、世界大戦後の世界をひっぱることになる。