日本の左派リベラルは終わってしまうのか 保守とリベラル3

日本人には左派リベラルを目指すインセンティブがない


左派リベラルは、世界標準に重きを置く立場。右派保守は、日本人の価値に重きを置く立場。当然そこにはズレがある。リベラルが重要であるのは、多民族国家では、どこかの民族の価値に重きを置くことは偏向となる。普遍的な価値を目指すため、未来的、改革的、設計主義的、理想主義的になる。だからそれまでの伝統的、現状秩序と対立する。このリベラルと対立して、伝統的、現状秩序を守るのが、保守である。改革も伝統からの連続性を重視する。

このように考えると日本で右派保守が強く、左派リベラルが弱いのは当然と言える。島国の疑似単一民族では、現状の日本人の価値に対立して、普遍的な価値を目指すインセンティブがない。日本人の価値を重視しながら、世界の価値と調整することになる。




日本の左派リベラルのモチベーションは憲法死守


では日本の左派リベラルのモチベーションはどこにあるのか?西洋の左派リベラルが重視するのは社会保障だ。民族や宗教、家柄などに関係なく普遍の人権を守るために、最低限の社会保障を確保する。逆にはそれ以上は各人の自由で立ち入らない。

これも日本では説得力がない。右派保守には戦前からの国家社会主義的な社会保障がある。それは生活費を与えて他はご自由にという左派リベラル的なものではなく、国家主導の産業推進とそれに伴う雇用の安定確保、それにも落ちこぼれたものには生活費の補助。

残るは右派保守の失敗である過去の敗戦だ。右派保守はいつまた暴走し戦争を始めるかもしれない。それを抑制する。それは安保闘争などを経て、現在、平和憲法維持に集約されている。逆にここにしか、日本人の支持を得る左派リベラルの活動はない。彼らが、議論さえ受け付けず、憲法死守を叫ぶ理由はここにある。自分たちの最後の砦。

そして左派リベラルが自分たちの存在意義を確保するために、憲法が教典化している。だからまずは、句読点でもいいから改訂して、教典から法に戻す。安倍政権が改正内容に妥協しても進めるのはそのためだ。法に戻せばまともな議論が可能になり、あとはどーとでもなる。




なぜ左派リベラルは森友加計問題に執着するのか


左派リベラルが、モリカケ問題に執着する理由もここにある。すなわち左派リベラルの立ち位置は、主流の右派保守の監視にしかない。右派保守の失敗は戦争、そして戦後は贈収賄だ。収賄は世界的にも今ほど禁止されていなかった比較的新しい倫理だ。

戦前から連続して権力を維持する右派保守は、厳しい規制がなされなかった面があり、贈収賄は右派保守の体質となり、昭和電工ロッキードリクルート等々、定期的に問題を起こしてきた。モリカケは、ロッキードリクルートとは全く異なるし、忖度というアクロバティックな技法でいきなり強引に、安倍首相に繋げられている。

これは彼らの最後の砦、憲法死守が危機的状況にあることからの、決死の抵抗の意味もあるだろう。安倍首相を追い込んでいるようで、自分たちが追い込まれていく。前原クーデター、小池による排除、そして右派保守の勝利により、憲法改正が確定したいま、日本の左派リベラルは終わってしまうのか。