みそけん、大いに語る。その3

ここ数ヶ月、5ちゃんねるの哲学板で語った内容を掲載します。
第三弾は、「時間とはなにか」スレッドで語った内容からです。どうぞ♪

なぜディープラーニングAIブームは胡散臭いのか




■なぜディープラーニングAIブームは胡散臭いのか


最近のAIブームって胡散臭いよね。結局、囲碁、将棋に実績を上げただけでしょ。そもそもなにを持ってAI なのか?AI の名のもとにやりたい放題の気がする。

あとAI 化が人事関係で進んでいるのが気になるな。私は知らない。AI が決めたんだから、AI になぜかはない。ただ結果があるのみ。AI 責任転嫁時代。AI の自動運転で事故。私は知らないAI がやったことだ!法的にはこれから。


以前のAI は絶対解を追求していた。いわば神を作ろうとしていた。だからフレーム問題に陥るなどうまくいかなかった。彼女が「馬鹿!」といったとき、その意味、あるいは返答の正解などない。

新たにディープラーニングAIは、神ではなくいわば長老を作る試みだ。正確でなくても、長老なら豊富な人生経験から何らかの適切な解を得る。それが正解でなくても。実際、人間もそう行動している。

長老を作る方法がディープラーニング(深層学習)。たとえば将棋ならAI 同士でひたすら勝負をされる。疲れを知らないからずっと将棋をやり続ける。人が千年かかってできる対局数を一週間でこなす。1年やらせれば、人類が百万年かける対局ができる。すると、超将棋名人、長老が出来上がる。長老は負ける可能性もあるがとにかく超強いだろう。そしてそのデータはコピーできる。長老たちが多大の経験を交換し合う。スーパー長老が生まれる。

でも長老は考えているわけでなく、経験を選んでいるが、人は長老がどのような経路で解にたどり着いたかを知ることはできない。

ようするにAI と言っても、重要なのはプログラムより経験学習データなので、まだ新米のAI から長老AIまでいる。自動運転AI もいま運転を勉強中だ。問題は将棋ならいくらでも、繰り返せるが、現実は難しい。運転シミュレーションを使って学んでも、どこまで現実に対応できるか。


ディープラーニングが人の学習を真似て成功したとすれば、今度はそれ故に限界もある。人の経験は反復できないことの方が多い。将棋で成功したのは反復が容易だから。反復として与えないとディープラーニングできない。世界を反復として切り取ること。果たして、人の経験はそんなに簡単に、反復として切り取れる。LOT で、世界を監視するようになると、多くの環境データを手に入れて可能になる?

だからディープラーニングAI はうまく反復学習できないと馬鹿のままということです。世の中の多くは学習させることが難しい。だから多くのAI はバカです。


面白いことは、人間が考えているということは、実はディープラーニングと同じことをしているのではないかということ。なんか発想とか、創造とかえらそうに言いながら。

いかなる知も経験知であることは、哲学的にはウィトゲンシュタインが証明した。いまだに納得できない馬鹿がほとんどだか、歩くことも、見ることも、数学も、経験知。

以前のAIがフレーム問題に陥ってフリーズしたが、ディープラーニングはフレーム回避できる。人と同じように、とりあえずできることからやってみる。むしろ人の方がフレーム問題に陥る。思春期、片想い。人工知能に恋はできるか。


むしろどのAI が賢くて、バカか、わからないことが問題か。AI の判断だから仕方ないが、神のお告げになっている現状が怖い。

宗教までいくかどうか分からないが、AI 占いは当たり前になりそうだね。判断に困るとAI に聞く。それが正しいかは誰にも分からない。AI が言ったから殺したとか。

最もAI が普及しそうな分野は、人が判断したくない、責任を回避したい分野であることは確かだ。前のNHK特集では、囚人の仮出所判断に使っているのがあったが

絶対に、AI は信仰化する。将来、おそらく誰もがマイAI を持ち、何でも相談する時代が来る。

要するに、人のフレーム問題を回避する手助けにAI は活用される。人は日々フレーム問題を生きて、結構な負荷だから。特に日本人はフレーム問題に陥りやすい国民だからなあ。

AI はバカのままでも人が賢いと信じればいい。それが落としどころか。確かにAI 友達ほしいな。悩みを聞いてもらって、要所要所で判断してくれる。でもたまにはケンカしそうだけど。

結局、言語ゲームのごとく、コミュニケーションは錯覚で成立し、それが楽しいわけだから。AI 彼女はいいよね。


あと、ディープラーニングの限界として、人の学習は反復学習だけではない。もう一つ大きな要素が快感。一回の快感、あるいは不快で、学び、慣習は作られる。これは、AI には学習できない。

そもそもウィトゲンシュタインの慣習論以降、アメリカで慣習研究は伝統がある。ディープラーニングの根はその当たりから来てる。ウィトゲンシュタインも慣習は、反復訓練からつくられると考えていたから、それを継承してるが、フロント的に言えば、フェティシズムは一回の快感で作られる。ディープラーニングフェティシズムを学べない。

人が一回の体験から学習するとすれば、ディープラーニングはついてこれない。特に感情的なものはその傾向が大きい。

昨日まで赤色が好きだった人が、事件に会い血を見て、赤を見たくもなくなった、ピーマン嫌いの子がヒーローがピーマン好きなのをしって次の日からピーマン好きになる。ブルゾンチエミが一夜にしてスターになり、皆が熱狂する。このようなフェティシズムを反復としていかに追従できるか。ビックデータから反復として導き出せるか。

アマゾンにしろ、ナビゲートがいつも物足りないには反復からしか学習できないから。一瞬で気に入ったフェティズムは追従できない。車の自動運転は交通ルールを守っている範囲はいいが、フェティシズムな車好きの法を越えるような運転に対応できるのか。


ボクが興味があるのは、AI はおもてなしを再現できるか。日本人独特のこの難解な技術。フレーム問題すれすれで回避する絶妙の技。

ち相手へサービスするだけでなく、相手にサービスすることが相手に負担にならないかをサービスする。

そして相手にサービスすることが相手に負担にならないかをサービスすることで、逆に相手が気を使ってしまわないかをサービスする。

さらにそして相手にサービスすることが相手に負担にならないかをサービスすることで、逆に相手が気を使ってしまわないかをサービスすることで、相手が恐縮してしまわないかを、サービスする……

という、フレーム問題すれすれをいい感じで、場に合わせて調整する、日本人のみが可能な超高度な技術。

これがAI化ができれば、世界は日本のように幸福な国になるけど。パナソニックで開発できないか。おもてなしAI 、そして世界中のLOT に組み込む。日本企業にはおもてなしAI をぜひ開発して世界に広めてほしい。


ディープラーニングとは、現場主義のこと。全体を俯瞰するではなく、多く現場を経験させて、熟練されること。ビックデータを使うにしても、それを抽象化して法則を見出すのではなく、現場の経験として学ばせる。

昔から哲学には、抽象化、プラトン主義に代表される。客観主義と言われるものと、儒教や仏教など東洋思想に代表される行為主義があって、西洋哲学だと、行為主義はヒューム、ウィトゲンシュタインが代表的。ディープラーニングは行為主義をベースにしてる。あとはボランニーの暗黙知とか。暗黙知の例で言われるのが自転車乗り。どのように自転車乗りに乗ってるのか。抽象化して法則性を見いだすのが難しい。客観主義の臨界が、ゼノンのパラドクスとか、フレーム問題とか。以前のAIは客観主義だった。ディープラーニングは行為主義。


また近代以前は活版印刷もなく、デイープラーニングの世界だった。だれもが見よう見まねで技を盗む。知は身体伝承され、実働を伴わない言葉のみの知は、うさん臭いものとされた。孔子ブッダガヤそしてキリスト教でも。

実働的知より抽象的知が上だという転倒は、近代に起こった。なんと言ってもその功労は、ニュートン力学である。ニュートン力学の抽象的知の衝撃は世界を一返した。しかし最大の功労者は貨幣だろう。貨幣は抽象的知が世界に浸透し富として力を持つ、

ディープラーニングはこのような人類史上の知の再転倒と考えると面白いかもしれない。これからは実働知、現場主義が重視される。そのときのなにが起こるのか。ダウンサイジング?真の民主化