なぜ日本人の性はゆるゆるなのか


新潮45「そんなにおかしいか杉田水脈論文」の内容が凄まじい「性的嗜好について語るのは迷惑」「LGBTはふざけた概念」 http://lite.blogos.com/article/325875/?axis=&p=2


小川氏は「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」というタイトルで、「性的嗜好(編集部注:本文ママ)についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である」、「極端な希少種を除けば、性には、生物学的にXXの雌かXYの雄しかない」などと主張した。論の後半では、「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう」と、自身の造語であるSMAG(サドとマゾとお尻フェチと痴漢)を例に出し、

「ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである(中略)彼ら(編集部注:痴漢症候群)の触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」




日本人の性はゆるゆる


日本人はもともと性には寛容な民族だからね。乱交、夜這い、買春、男色、幼児性愛、子供の性欲。目くじら立てない。日本が性には不寛容になったのは、近代にキリスト教の性倫理が入ってきてから。現代の処女信仰や、純愛、童貞率の高さは、根はキリスト教倫理の屈折した影響にある。とは言え、いまだにオタクロリコンとか、グラビアをどこでも見られるとか、西洋に比べたら全然性に開放的なんだけど

というか、基本的に世界的にはキリスト教の性倫理の厳しさが異常で、世界的な性的禁欲はキリスト教に根があると言ってるいいでしょ。仏教でも、儒教に比べても、キリスト教の性への厳しさは異常さ。同性愛者の西洋での扱われ方はひどかったよね。基本は犯罪者で、逮捕されて薬付けで廃人にされて戦後、同性愛者も立ち上がって今では市民権を得たけど

たとえば日本人はアメリカ人の方が性に開放的でゆるくて日本人は真面目だと考えている。この間違いがどこから来るか。キリスト教もかつては童貞を推奨した時代もあったが、子孫繁栄を考えたら馬鹿げてる。だから彼らは性の正常、異常で考える。正常な性とは生殖のための性。すなわち大人と大人の純愛。それ以外は異常だから排除。逆に大人と大人の生殖、純愛を前提にときだけは開放的でも言い。この前提で日本より開放的に見える。でもそれ以外、浮気、同性愛、子供の性、そして一番は幼児性愛は病気で犯罪。R指定も大人だけが楽しむように規制される。

それに比べても、大人の性の開放だけは負けているが、日本は性全般に寛容。ゆるゆる。世界では西洋キリスト教がスタンダードだから、日本の性のゆるさにも圧力がかかってる。特に幼児性愛。児童ポルノ、援交などもっとしっかり取り締まれ。外圧でロリコン取締法もできた。まだほぼ機能していないけど。




豊かさと倫理の相関関係


日本では人権派は人気が無い。そもそも性には寛容だし、人権派は嫌いだし、LGBT運動は盛りあがらないでしょ。ミートゥーとかも。政治的リベラリスト人権派、政治的左派、平等主義。日本は公平の文化があるから、人気ない。

人権派、平等主義は、社会的な背景とかよりも、とにかく個人の平等。人権リベラルは、平等主義なんだけど、女子供やマイノリティは存在そのものが弱者で平等のためには、救済が必要という考えだけど。社会的な背景を無視して、平等が強制されることがある。平等主義は伝統的な文化を破壊する面がある。平等主義って行きつくと、個人主義、自己責任、さらにお金の分配論に行きつくのではないかな。

日本の公平の文化は、社会の中の個人としての公平を目指す。日本の公正文化は、世間的な納得が反映される。世間は時に冷たく、時に暖かい。社会的な背景の中で個人が犠牲になることがある。たとえば世間の空気が影響しやすい。公正文化ってどこでも作れるものではないし、日本は特殊かもしれない。

でも豊かになるほど、リベラルに傾くのは仕方がない。人一人を育てる費用は上がり、肥大した自我同士は干渉しないことが尊重される。豊かさはそれを許容する。貧しければ個人尊重どころではない。だから先進国では年々倫理繊細に、人権重視になっている。禁煙、ストーカー規制、セクハラ、パワハラモラハラ、LGBTQIA+、ミートゥー、過労死、スポーツ倫理、コンプライアンス。豊かさと人権、倫理の高さはある程度相関関係があるだろう。

倫理もスメハラまで来て、最近は視線ハラスメント。やらしい目で見るとダメ。何をもってやらしい目か。イケメンならよいけど、おじさんはやだとか。どんどん受け手の主観になる。人権リベラルも突き詰めると、神経痛の領域に入って生きにくい世の中になる。そこでアメリカでも、サンデルのようなコミュニタリアニズム共同体主義)が出てきている。日本人ももともとが共同体主義的というか、世間主義。世間が調整機構として働く。

江戸時代でも、武士はほんの一握りで今で言う芸能人みたいな注目の存在だから進んで道徳的であることが求められた。そこに働いたのが世間圧で、世間で叩かれると実際の人事に響くだけでなくて、対面を重んじる武士は自決するとこまでいく。今も世間は、有名人を社会的に抹殺する力を持つ。結局、自民党が長期政権の理由の一つは、世間に敏感であること。

少し前の民主党政権は世間を無視して、マニフェストの政治理念を重視した。それは世界的な標準として。世間よりも世界を重視した。最近は、野党はそれを逆手に取ってなんとか世間を味方につけるために、安倍ネガティブキャンペーンに走る。もはや政治理念はよくわからん。