進歩は不器用なハンターと無邪気はハンターによって生まれる?  

pikarrr2007-05-10


不器用なモンスターハンター

ドドブランコに最初に遭遇すると驚くのがその動きの速さである。どこから近づけばよいのか戸惑う。そのために初歩的な攻め方は、距離を十分取ることだ。そうすると、向こうから飛び込んでくる。距離をおいた場合の飛び込みには2種類ある。一つは手をあげてのダイブ。これが狙い時である。手を突き上げてこちらへ体ごとダイブしてくるタイミングで着地点に近づき、体を叩き切る。ドドブランコの特徴はその動きの速さに比べて、こちらの攻撃への対応が遅いことだ。2回切って回避すれば十分逃げ切れる。そしてまた距離を置く。これだけで、時間はかかるが倒すことができるだろう。飛び込みのもうひとつは両手走りでの突進である。両手走りは速度が速く、走って逃げるのは難しいが、突撃間際に横に回転回避することで回避できる。

もう少し動きが読めるようになれば、近接して側面をとり、ブレスや地面持ち上げのタイミングで側面から切ることが可能である。近接のときの注意は正面は当然回避するとしても、真後ろも危ない。後ろ飛びが猿系の一つの特徴だからだ。後ろに隙があるからと斬りかからないほうがよい。また怒り時も同じように攻撃できるが、動きが早くなるので、攻撃はなるべく避けた方がよいだろう。この方法ならば、鬼斬破を使い、20分程度で狩ることができるだろう。

あいかわらずモンスターハンター2nd(ASIN:B000GWKY9Y)にはまっている。この文は、モンスターの1種類「ドドブランコ」の攻略として書いてみた文章である。しかしあまり評判が良ろしくない。この攻略法がおかしいということではなく、多くのプレイヤーは、このような筋道たって対応していないし、わざわざ文章にする意味がわからない、というようなことを言われた。

もともとゲームをあまりする方ではないが、モンハンにはまりながらもこの手のアクションゲームにむいてないなあと実感する。繰り返し狩りにトライし、その攻略を思考し、納得しながらでない進められないところがある。だから攻略するまで時間がかかる。うまいプレイヤーはもっと反射的である。状況に柔軟で、いろいろ考える前に動いている。このようなゲームをうまくやるには、考えるよりも感じろ、とでも言うことだろうか。

考えると、これはボクの性格の一面であるようにおもう。生活の上でも、ものごとを考えて、納得しないと進めない、不器用さがある。そして先の攻略も理由はないが、このような文章にしてまとめることで、納得する嬉しさがある。




人が知ることができることは世界のほんの一部でしかない


たとえば人はなにも考えずに凸凹道を歩き、走ることができる。しかしこれをロボットで再現しようとすると、その制御はとても複雑で、とんでもないことになる。最近は、アシモなど二足歩行で階段を歩いたり、走ったりするロボットが出来ているが、少しの凸凹道でも対応できないだろう。かなり限定した歩行機能しかない。

人間は驚異的なことを意図も簡単に行っている驚異的な存在である。というか、人間だけでなく、生命すべてが、驚異的な精密機械である。ボクはこれを、ハイデガーでもフロイトでも天才たちにボクたちたちはとても及ばない存在であるかもしれないが、それでも彼らが理解しえることは人間についてのほんのわずかなことでしかない。なにも知らないに近い。むしろ子供の無垢な無邪気さのほうが、多くを知っていると言える、、ニーチェ的に表現する。そして人が知ることができることは、世界のほんの一部でしかない、というソクラテス無知の知は、重要な見識ではないだろうか。




還元→論理→伝達→蓄積


しかしだからといって、天才たちの試みに意味がないということではない。特に論理的な取り組みはコミュニケーションにおいて重要である。ある人が獲得した知見は、その人が死ねばそこで終わりである。しかしそれが不完全でも論理的に表現されれば、後世へと伝達(コミュニケーション)される。進歩とはこのような積み上げである。

特に近代以降の技術進歩は、このような論理と伝達(コミュニケーション)と蓄積によって行われてきた。そして科学が重視されているのが、これらの方法に長けているからだ。特に数字による表現は、多くの多様な情報を単位に還元し排除する反面、より客観性をもって正確に伝達され、再現され、人類知の蓄積を可能にした。

そしてこのような傾向は、現代の、全てが数字化されるデジタル化、高速で情報が伝達される情報化によって、さらに加速化している。最近では「帝国」「環境管理」と言われるようにアーキテクチャとして生活の中で透明化、浸透している。




無邪気なハンター


ボクがモンハンの攻略を考えるのは、単にゲームに埋没するだけでなく、そこで設計されている「思想」に触れたいという思いもあるのかもしれない。次々に出現するモンスターには一つの流れがあり、そこには設計「思想」がある。このモンスターを攻略したプレイヤーに対して、次はその攻略法では無理なモンスターを考えるというような考えが読みとれる。しかしゲームにはまりながら、このような攻略をうだうだ考えすぎるのは無粋というもので、あまり歓迎されないのかもしれないのだろう。

しかし還元→論理化→伝達→蓄積では、進歩サイクルは完成しない。そこに柔軟な発想が加わることで、還元→論理化→伝達→蓄積→発想→(還元)というサイクルが完成する。

モンハンの多くのつわものプレイヤーは、ゲーム制作者が考えもつかなかった攻略方法が発想している。そしてそれはフィードバックされ、新たなヴァージョンによって考慮されていくのだろう。そこには、頭で考えず体で感じろ、というまさに子供の無垢な無邪気さがある。
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