2004-02-01から1ヶ月間の記事一覧

記号論的、噂話的 さよならジャック・デリダ

記号論的、噂話的 さよならジャック・デリダ しかし現代の記号はさらに複雑化しているのである。かつて幽霊(反復可能性)を作り出すことは権威の特権であった。だからデリダの脱構築は形而上学や法に向かう。しかし現代において幽霊(引用可能性)は、複写…

(2ちゃんねる哲学板)2ちゃんねるの負の要素 

223 :ぴかぁー :04/02/25 11:38デリタ思想の重要性は引用可能性であり、デリダ流脱構築ではない。引用可能性は言語意味の拡散により相対主義へ向かいます。それを慎重に扱うために考えられたのがデリタ流脱構築ですが、サイードやジジェクなどに指摘されて…

2ちゃんねるという怪獣バスターズ

「名無しさん」という幽霊 2ちゃんねるの「名無しさん」は匿名であるが、「名無しさん」という一人ではなく、複数人いると考えている。これはなぜだろう?「名無しさん」という言葉は、反復可能性があり、コンテクストにより様々な発言(散種)を生む。ここ…

2ちゃんねるとその周辺という脱構築

パロリチュール(書き言葉による会話)というコンスタティブとパフォーマティブわたしは2ちゃんねるの「どうよ?」は二つの「未理解」を生むといった。 そして「どうよ?」というコミュニケ−ションは、二つの「未理解」を生む。記号的「未理解」と心象的「…

コミュニケーションとしての「署名」の同じもの性について

エクリチュール的「署名」の同じもの性について コミュニケーションとは 主体「表現、意味(意識された意味(デノテーション)、非意識意味(コノテーション))」→表現→客体「表現、意味(意識された意味(デノテーション)、非意識意味(コノテーション)…

ポストモダンというエクリチュール的虚像世界

パロール(会話)的コミュニケーション コミュニケーションとは、自分の抽象的な心象を、交換し合う行為であり、コミュニケーションしたい欲求が先にあり、うまく伝えるとは、相手の内面(心象構造)をよく理解して、相手に会わせて言語という道具をうまく活…

2ちゃんねるの記号消費と人格消費

「どうよ?」ってどうよ? 2ちゃんねるにおいて、「なんのために生きているのだろう?」というスレッドを立てたとする。そこには記号の裏に、必ず意味としての個人的な心象が含まれている。たとえば、「おれいま生きてくのが、つらいんだ。おまえらどうよ?…