2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧

アウラな世界

その1 偶有性と単独性 その2 「上から二冊目の本」 その3 小さなアウラの消費 その4 神の発明

ブログ題変えました!  ( ´∀`;)

結局、2ちゃんねるはポストモダン越えなかったんだろう!という声が聞こえそうですが・・・ 聞こえない、聞こえない・・・これからはアウラの時代ですよ、ははははははは・・・・ってか、ここ読んでる人いんのかな・・・はははははは・・・・

アウラな世界 その9 正義論5 能動的なデリダと受動的なル

アウラな世界 その9 正義論5 能動的なデリダと受動的なルーマン アウラな場正義論に再びもどると、デリダの脱構築、ルーマンのオートポイエーシス、アウラ論に共通するのは、「正義」というときにコンテクストと主観によって、そこに複雑性の縮減が行われ…

アウラな世界 その8 正義論4 アウラの脱構築

アウラな世界 その8 正義論3 アウラの脱構築 アウラの脱構築クリプキの固有名議論をベンヤミンの芸術作品のアウラに展開すると。たとえば「モナリザ」という固有名は、フレーゲ/ラッセルの記述理論によると、確定記述の束であるとなります。これに対して…

アウラな世界 その7 正義論3 ラカン+デリダ≒アウラ論?

アウラな世界 その7 正義論3 ラカン+デリダ≒アウラ論? アウラ論≒ラカン 「対象aは他人の中に埋め込まれ、私にとって非人間的で疎遠で、鏡に映りそうで映らず、それでいて確実に私の一部で、私が私を人間だと規定するに際して、私が根拠としてそこにしが…

アウラな世界 その6 正義論2 デリダとルーマンの正義論

アウラな世界 その6 正義論2 デリダとルーマンの正義論 わたしたちは偶有的状況から単独性をみいだとそうとしています。そしてこのとき神によって承認されたという形をとります。運命、奇跡、ついてる、祈る、信じるなどのように小さな神が捏造され、対象…

アウラな世界 その5 正義論1 正義という狂気

アウラな世界 その5 正義論1 正義という狂気 恋は盲目たとえば恋することとストーカー行為の違いはなんでしょうか。恋愛とは「偶有性から単独性への転倒」が起こりやすい場です。運命の人、奇跡の出会い、僕の女神・・・恋するということは、無数のごとく…

アウラな世界 その4 神の発明

転倒される神 なぜ人は誰かに演出された相手よりも、運命の相手と出会い恋することを夢見るのでしょうか。 なぜわれわれは「神」を信仰していなくても、日々物事がうまくいうように祈るのでしょうか。 現代において「オーラ」ということばがもっとも使われる…

アウラな世界 その3 小さなアウラの消費

生命とコミュニティ 生命は個体としての単独性を維持する傾向があり、生命コミュニティはコミュニティとして単独性を維持しようとする傾向があります。このコミュニティとして単独性を見いだそうとする傾向とは、個体がコミュニティの一部、すなわち偶有的な…

溢るる余剰  2ちゃんねる論

その1 生命力という力 その2 社会的コミュニティから記号コミュニティへ その3 オタクの自己制作性 その4 ネットコミュニティの差異化運動 その5 2ちゃんねるスタイル その6 2ちゃんねる/大衆 その7 2ちゃんねるの二重構造 その8 2ちゃんねるを…

アウラな世界 その2 「上から二冊目の本」

「上から二冊目の本」 たとえばなぜ本を買うとき上から二冊目を買うのでしょうか。上から一冊目の本は多くの人の開かれているために、破れていたり、汚れていたりして、本の本来の価値、ソフトを読むということに支障をきたす確率がたかくなる。だから人はよ…

溢れる余剰 その9 つながりへの欲望

おしゃべり好き 2ちゃんねるはネットユーザーの「出会いの場」をうまく演出し、集客力を勝ち得た。そして大衆の野蛮性が露出し、いまや2ちゃんねるの反「大衆」性は、大衆の一面を担うまでになってきている。このような2ちゃんねるの原動力は、「コミュニ…

アウラな世界 その1 偶有性と単独性

有機構成 生命とはなにか?生物学において生命を示す概念として「有機構成」があります。有機構成とは「物質的要素が複合体をなすさい、要素の特定の配置が維持されているような、同一性を保つ構成化の水準」*1を示します。これは要素が配置をなし、その配置…

自由を考える 9・11以降の現在思想 東浩紀・大澤真幸(2003)

Ⅰ権力はどこへ向かうのか 第三者の審級の退去 現代社会、第三者の審級が、その超越(論)的な座から、今にも退去しようとしている。世界や人生を全体として意味づけるイデオロギーや理念の喪失。このとき、同時に、第三者の審級の撤退の反するように見えるこ…

溢れる余剰 その8 2ちゃんねるを遊星するプログ群

発散する2ちゃんねる 肥大しつづける2ちゃんねるにおいて、「2ちゃんねる」は2ちゃんねるスタイルを様式化させ、反「大衆」を目的化している傾向が増している。さらにマスメディアに取り上げられることにより、よりいっしょうそのような役割を担うことが…

溢れる余剰 その7 2ちゃんねるの二重構造

単一記号コミュニティ「2ちゃんねる」 ネットワーク上には大きく分けてデーターベース場とコミュニケーション場がある。データベース場は情報を収集するために訪れる場所であり、ニュースサイトや興味を同じくするパーソナルなHPなどである。そしてコミュニ…

Winny開発者逮捕と自己責任論

Winny開発者逮捕と自己責任論 タイーホ!キター(゜A゜;) 「現行のデジタルコンテンツのビジネススタイルに疑問を感じていた。警察に著作権法違反を取り締まらせて現体制を維持させているのはおかしい。体制を崩壊させるには、著作権侵害を蔓延(まん…

溢れる余剰 その6 2ちゃんねる/大衆

2ちゃんねる/大衆 2ちゃんねるが成功したもう一つの理由として考えなければならないのが、マスメディアとの関係ではないだろうか。2ちゃんねる住人の増加は、バスジャック事件など、マスメディアで取り上げられることによって膨らんできたのではないだろ…

溢れる余剰 その5 2ちゃんねるスタイル

「2ちゃんねる」という出会いの場 ネット上で、主体は回覧サイトの選択、パーソナルなHPの作成、記号コミュニティ「メンバー」との直接的なコミュニケーションにより、記号コミュニティ内への差異化運動を加速させ、自己価値を見いだしていく。しかしネット…

溢れる余剰 その4 ネットコミュニティの差異化運動

ネット上の記号コミュニティ 現代社会では大量の複写物によって過剰な情報と価値が供給される。このために自己の同一性は散乱する傾向がある。そのためにわたしたちは記号コミュニティに帰属し、自己価値を見いだそうとしている。大衆がマスメディアから大量…

溢れる余剰 その3 オタクの自己制作性

記号コミュニティ 記号コミュニティは、様々な付加価値商品から、女子高生、「浜崎あゆみ」、「エヴァンゲリオン」などなど社会に中に溢れている。わたしたちは虚像的にこのような複数の記号コミュニティに参加することにより、自己価値を見いだそうとしてい…

溢れる余剰 その2 社会的コミュニティから記号コミュニティへ

記号コミュニティ 情報化社会では、複写技術による大量の複写物により、大衆は自己処理可能な以上の過剰な情報、価値にさらされる。そしてこのような社会の中で主体自己同一性は混乱する。このために主体内部には、世界を簡略化し認識しようとする力が働く。…