2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ人間は笑うのか

ぴかぁ〜 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。 考える名無しさん 恐怖と笑いは親和しいが、戦争は集団…

なぜ親密なコミュニケーションは多数化するのか?

薄氷のコミュニケーション 昨日、「キスだけじゃイヤッ」*1の最終回を見ていましたが、ここにはとても赤裸々な人間の姿があります。恋人という親密な関係、分かりあう二人が、まったくわかりあっていなかった。親密な恋人関係は、わかりあっている振りででき…

なぜ亀田兄弟は強いのか?

「なぜその薄氷を渡るのか」 人は脆い構造物である。人という構造物は「薄氷を歩く」ように維持されている。人は確かな土の上を歩いているように実感している。それが生きるということだからだ。しかしそこで隠されているのは、歩く方向を示す「誰か」のあと…

なぜお笑いブームは「狂気」化するのか

世界は「狂気」である。 たとえば電車の中でサラリーマンがすこし大きな声で仕事の話をしています。そんなことはよくあることで特に気になりません。しかしよく見ると、そのサラリーマンには話し相手がいなかった。独り言を会話しているようにしゃべり続けて…

「どうして人を殺してはいけないのですか?」

「死」の心身二元性 「死」とは、概念です。この概念は「人間」のみに可能です。動物は「殺す」ことはありません。「死」の概念がないので、「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」への目的性はありません。(「人間」の)「死」という概念は、…

精神病的ミクロ認識と神経症的マクロ認識

人はなぜ宝くじを買うのか たとえば、雲行きから天気を予測する場合、いままでの経験に照らし合わせて、「この雲行きだと、雨が降りそうだな。」と予測します。これは、ある意味、「統計的な認識」です。一日を単位として、それが反復されている。その毎日毎…

「自由に享楽させろ」  享楽自由主義の時代

①「社会的」欲望と「脱社会的」享楽 強烈な生物学的快感は享楽として、社会的に禁止(去勢)されている。しかしバーチャル技術はそれを可能にしつつある。享楽に溺れるものは社会活動に支障をきたすだろう。そして享楽の場は広がっている。ゲーム、容易なセ…

「安全な危険」の時代

情報化と「良心の声」の脱構築 現代のキーワードは「安全な危険」ではないだろうか。ゲームでの闘い、2ちゃんねるという匿名の発言、ロリコンという社会的なタブー、自己責任論、それらは全て「安全なところからの危険への近接」であり、これを、一頃で言え…

なぜ「この私」であって、他人ではなかったのか。

なぜ「この私」は「この私」か 柄谷は「この私」を固有名であると言いました。犬と「ポチ」の違いですね。100匹の犬がいて、どの犬である可能性はありえた。しかしそのうちの1匹を選び、「ポチ」と名付けた。固有名の過剰性とはなにか。これはラッセルか…