2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ「ブランド」を求めるのか コンベンションと統治技術 その2

「ブランド」というコンベンショナルな信頼関係 資本主義は経済学的な理念として完全競争をめざすことが求められるが、実際に企業が利益をえるためにはいかに完全競争を回避するか、いかに他社と差別化するかが重要になる。そのためには様々な方法が駆使され…

なぜ人々を集めるところにコンベンション(黙契)は生まれるのか コンベンションと統治技術 その1

1)コンベンション 贈与交換と「シニフィアンの規則性」 人々を集めるところに集団的秩序、コンベンション(黙契)が生まれる。それは環境圧が高いほど助け合いが必要であるからだ。助け合いは贈与交換として生まれる。困った人を助けること。そこに助けて…

なぜガリガリガリクソンは死ぬほど面白いのか

狂気の笑いは鳥居みゆきで終わった 笑いには、「ボケる→観客笑う」の間に「ボケる→小さな間→観客笑う」というように、「間」がある。笑いとは緊張と緩和だと言われる。ボケは非日常であり、場に小さな緊張を生み出す。それが「間」である。そして一瞬でそれ…

なぜ新自由主義は破綻したのか その2

−−−−規律訓練と言っているような個人レベルの消費者教育というか家計のやりくりの教育は悪くないとは思う。ただ、自由と無法地帯をどう捉えているかにもよるだろうけど…。それに下記のようなちょっとした点も疑問に思う。確かに強者は強者と助け合うという面…

なぜ新自由主義は破綻したのか

自由は無法地帯ではない 当然なことですが、自由主義的な自由は無法地帯ではありません。何でもあり=無法地帯ではなく、「秩序ある自由」です。では秩序とはなにかといえば、自由主義は経済活動(資本主義)と深く関係していますすなわち経済活動の自由であ…

なぜ国家はなくならないのか 耕作技術としての国家論2

世界の均衡としての国家 ネオリベラルの小さな政府論、経済主義者は国家は必要のないものと考える。そしてその先にマルクスがいる。なぜ国家はなくならないのか、の説明で説得力があるのは柄谷だろう。国家があり、世界市場があらわれたのではなく、その始め…

なぜ高度資本主義では人はナイーブで孤独なのか 耕作技術としての国家論1

規律訓練権力=畑を耕す、生権力=作物を育てる フーコーが指摘した近代に全面化した権力、規律訓練権力と生権力の関係をわかりやすくたとえてみよう。規律訓練権力とは荒れ地を耕すことである。近代初期に国家により大改革が行われたのである。学校、病院、…