2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(前編)「戦闘美少女」は享楽する

映画「デスノート」の虚構としてのリアリティ 映画「デスノート」を見た。マンガはコミックで読んでいたが、映画化はむずかしいのではと思っていた。名前を書くことで人を殺せる死のノートを手に入れるとどう使うかという「正義とはなにか」という大きなテー…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか(全体) 

1 環境問題という闘争 2 環境コントロールという下部構造 3 グレイゾーンという闘争の場 4 自然主義的闘争 5 大きな内部と小さな内部の共犯関係 内部(社会)・・・倫理 心、形而上学(人類学機械)、互酬(贈与と返礼)、 規律訓練権力、神話的暴力、…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その5 大きな内部と小さな内部の共犯関係

現代分析現代の傾向をポストモダン/環境問題/ネット社会に分け、内部(想像的、象徴的)、グレイゾーン、外部(現実的)として示す。 グレイゾーンの全面化 実社会の社会的な規範は希薄化する。さらに広がるネット社会は法さえも働きにくい領域として、内…

なぜ世界は数学で記述できるのか

数量化の限界 「アキレスと亀パラドクス」*1が示すのは距離を分割することの限界です。たとえば椅子に座る私がベッドに向かうときに、その空間を無限に分割可能ならば、同様に私はベッドへ到着できません。距離が量的に分割可能なら、無限回分割することも可…

続々 デジタル製品を買うとなぜわくわくするのか

テクノロジーの「確実性」と「高速化」 ある日ボクは昼下がりの小さな公園にいた。親たちが公園の隅で立ち話しを続けるなかで数人の子供たちがやっと補助車輪がとれたのだろう。やや危なっかしい操作で小さな自転車で小さな広場のまわりを懸命にぐるぐると走…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その4 自然主義的闘争

現代の自然主義的闘争 現代の自然主義的闘争の構図 内部(社会)・・・倫理 心、形而上学(人類学機械)、互酬(贈与と返礼)、 規律訓練権力、神話的暴力、固有名 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− グレイゾーン(内部環境)・・・予測可能性、環境コ…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その3 グレイゾーンという闘争の場

内部環境(グレイゾーン)の円滑なコントロール 「歴史の終焉」論、そして「動物化」、「生権力」、「帝国」などの現代論で示されるのは、外部の消失、外部の内部化である。外部は本当に消失したのか。内部化したのか。環境問題とは、近代の科学技術は外部(…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その2 環境コントロールという下部構造

環境との調和など存在しない 環境との調和など存在しない。自然は偶然性という名の無限の怪物である。だから食われないように闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたの…

続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その1 環境問題という闘争

環境への漠然とした恐怖 環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか、ということ。これはまだ証明されていない。地球上の二酸化炭素の多くの動きはいまだ不明である。また温暖化した場合になにが問題なのか、た…

なぜ数字で呼ばれると不快なのか

固有名という「強い名付け」と普通名という「弱い名付け」 住記ネットなど行政の管理がデジタルする中で国民総番号制へは強い反発があった。このような番号制の不快はなんだろうか。これは固有名の議論に繋がるだろう。たとえば1万匹の「犬」がいて、そのう…

なぜ人類は「断絶」を求めてきたのか?

「断絶(ファルス)」はどこにあるのか? 人は享楽を求める。享楽とは「外部」へ向けての負債感を持たない略奪(純粋略奪の快楽)である。人は享楽することによってこの世界に対して「リアリティ」を持ち続けることができるのだ。だから人類の歴史を語るとき…

戦闘美少女の精神分析 斎藤環 (2000)

(ISBN:4480422161)第六章 ファリック・ガールが生成する 戦闘美少女はいかにして「生成」したか 漫画・アニメの無時間性 養老猛氏よれば、脳の機能には「視覚系」と「聴覚−運動系」の二つがある。これはリアリティ認識の二つの系として理解できる。視覚系…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか(全体) 

1 「ボロメオの結び目」としての社会 2 愛と憎しみのネット社会 3 純粋略奪関係というバランス 4 透きとおった「帝国」 5 純粋略奪の快楽 6 終わりなき「断絶」 7 YouTubeの事例

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その7 YouTubeの事例

「スプー」祭り 「スプー」削除の舞台裏 「YouTube」にテレビ局苦慮 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060607-00000075-zdn_n-sci 米YouTubeが運営する動画共有サイト「YouTube」からこのほど、NHKの動画「スプーの絵描き歌」が削除された。NHKは「当協…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その6 終わりなき「断絶」

東浩紀「ポストモダンの二重構造」 「大きな内部(帝国)」の秩序維持としての権力は「規律訓練型」から「生権力型」へとむかう。「規律権力型」は内部の人々を教育し、内部秩序のための正しい人とする。しかし「生権力」は人々にどこで作動しているかわから…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その5 純粋略奪の快楽

セカイ系という「断絶」と「純粋略奪の快楽」 東浩紀は「セカイ系」を「象徴界の喪失」と呼んだ。 哲学者の東浩紀は、ほぼ同じ状況を指して「象徴界の喪失」と表現する。・・・東氏は、たとえばアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」、「ほしのこえ」などに…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その4 透きとおった「帝国」

「生権力」と疑似純粋略奪 成熟した資本社会の新たな権力として、フーコ-の「生権力」、そして「環境管理権力」が指摘されている。アガンベンはアウシュビッツで殺されたユダヤ人たちを「ホモ・サケル(剥き出しの生)」と呼んだが、「生権力」は人を「剥き…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その3 純粋略奪関係というバランス

「Google」という立ち位置 しかしまたこのときに逆も発生するだろう。資本社会はネット住人を「ホモ・サケル(剥き出しの生(=主権権力の外に位置する者))」の位置におき、疑似純粋略奪を行う。「環境管理権力」的にネット住人が気がつかないうちに管理さ…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その2 愛と憎しみのネット社会

愛と憎しみのネット社会ラカンの三界、「象徴的なもの」、「想像的なもの」、「現実的なもの」をネット社会に展開すると、ネット社会の特徴は、疑似的であるが、対面的な「想像的な」関係が容易になったが特徴である。未開社会のように顕名ではなく、多くに…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その1 「ボロメオの結び目」としての社会

資本社会/ネット社会への二重帰属性 ネット住人は資本社会からみると「外部」にいる山賊、異教徒に近いのかもしれない。そう考えると様々な資本社会に対する反抗、略奪、悪態、排他がわかりやすい。しかし基本的に「彼ら」が資本社会内部の人間でもあること…

なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか 

「VIPPERvsVIPブログ連合」という聖戦 流行りは、「VIPPERvsVIPブログ連合」*1らしい。簡単にいえば、2ちゃんねるVIPネタを自分のブログでまとめて人を呼び、アフィリエイトなどで小銭を稼ぐのはけしからん、ということだ。(詳細はこのあたり*2、*3)「の…

なぜエビちゃんはかわいいのか 「セレブ」の滑稽さ

「セレブ」の滑稽さ 最近、エビちゃんがブームである。ボクもかわいいと思うが、その「リアリティ」はなんなのだろう。はっきりいえばエビちゃんはパチモノくさい。着せ替え人形のようで、「カラッポ」で、どこか過剰でつくりものめいている。そしてこの微妙…