なぜいまのコロナ対応は贅沢品なのか

今日の感染者数という謎の指標


コロナはすっかり1日に発見された感染者数が最も重要な指標になった。世界各地で免疫検査されて統計的に住民の数十パーセント、百万人規模が感染していると公表されてる。日本だけが例外とは考えにくく発症していない人も合わせて少なくとも数十万人単位で感染していると考えられる。すると1日に発見される感染者数はたまたまそのときに検査で見つかった人の数でしかない。

しかしそういう話しを専門家も、政府も、マスコミもしない。今日の感染者数だけが語られる。すでに何十万人規模が感染して、死亡者が百人単位ということは致死率はインフルエンザと同等かそれより低い。インフルエンザは毎年何百万人単位で感染して数千人以上の死者がでる。

このようなことは当然知っているだろうが語らない。自粛だ、緊急事態宣言だ、ここまで国家レベルで盛り上げて、いまさら実はインフルより軽いウィルスでしたと、言うことはできないんだろう。じゃあ、この大騒ぎの責任は誰がとるんだと。ここまで来たら、国難であることで押し切るしかない。マスコミも、専門家も、政府も暗黙の合意ができてるんだろう。

さらには多くの国民も暗示にかかってる。このバニックになった状態で、いまさらインフルエンザよりも軽かったと言われても受け入れられないだろう。コロナはインフルより未知でなにが起こるかわからないと洗脳された心は安易に事実を受け入れられない。くしくも戦争前の日本に似ていると言った人がいた。現代では戦争は軍部が悪かったと言い訳をしているが一番後押しをしたのは国民だ。みんなやる気満々だった。


なにが守られてなにが犠牲になっているのか。


死者500人、8割が高齢者。これらの人たちを守るために、おそらく何十万人単位の雇用が危険にさらされている。つぶれた会社、失業は簡単に回復せず、特にその影響は今後も尾を引き、何百万人規模で影響を受けるだろう。

目先心配なのは中小企業だ。2カ月収入がない。でも従業員への給料、家賃、投資への返済と支出は変わらずある。政府の補助がどこまで機能してるのか。

正社員も安心してられない。いまだに日本ではサービス残業など過重労働が問題だと思っている人がいるが、実際は企業は従業員の残業を減らしたがっている。日本は一人当たりの生産性が低いことが有名だが、その一つの要因が企業が抱える過剰な労働力だ。日本は労働組合が強く風土的に正社員をやめさせにくい。さらに日本人は仕事に自らのアイデンティティを求めるために仕事好きで管理しないとどんどん残業する。このために生産物に対して労働コストが高く生産性が低くなる。

国難とされるコロナ対応での企業業績の悪化はこのような慣例を変える可能性がある。コロナ対応を口実に解雇しやすくなる?さらに社外活動の抑制、テレワークなどで仕事が制限され、従業員が仕事から切り離されている。それでも会社が回ることで、本当に必要な仕事は何か、必要な人数は何人か、選別が行われる。

いまのコロナ対策を続ける意味があるとすれば、死者の規模が日本と二桁違うとはいえ、欧米がコロナ対策をしてるのに日本だけしないのは格好がつかない、遅れた国と言われる、収まったときに日本はコロナ放置国家として観光客もこなくなる、オリンピックも開けなくなる。そしてなにより日本で経済活動を続けようにも経済はグローバルだから世界がこの状態じゃやりようがない。なら対外的に見栄え良くする方がよい。政府としてはこの当たりが一番の本音かもしれない。


コロナ対応という贅沢品


こんな前例が作られると今後はどうなるのか。インフルは毎年何千人規模で死者が出る。これから同じような恐怖となるのか。コロナはインフルと同じで絶滅されないだろう。ずっと一定数広がり続ける。コロナ後、人びとは恐怖を生きるのか。こんなことを続けていれば経済的危機がやってきて多くの人の生活が脅かされるだろうから、その時にはじめて、コロナの恐怖と実生活の貧困とのバランスを理解するんだろう。

いまのコロナ対応は簡単に言えば贅沢品だ。豊かさ、経済的な余裕の中で、安心して恐怖することができる。真に貧困が蔓延すればこんな贅沢なことを言ってられない。それより生きなければならない。マスクがないというのと良くわからない。30分もあれば自分で作れるだろう。ネールに何時間もかけてるんだから。

街はほんと穏やかだ。ニュースやネットでのヒステリックが嘘のようだ。こんなに穏やかな街の空気は初めてかもしれない。家族連れが多くてなんかみんな仲良く見える。他の人と会えないし家族で助け合うみたいになってるのか。家族という単位が復活してる感じ。心なしか父親が頼もしく見えるしすごく穏やかにみえる。歴史的な日本の休息と言う感じがする。