2005-01-01から1年間の記事一覧

精神分析はなぜ敗北したのか

■精神と生物 ぴかぁ〜 生物学などの科学は基本は経済原則的な思考になる。それは、生存至上主義だね。いかに生き残るかという結果に向けて、原因を考える。 この当たりと対抗するのが、精神分析になる。フロイトの快感原則であり、快感原則の彼岸である。精…

「クオリア」はなぜ語りえないのか。

クオリア・マニフェスト 茂木健一郎 http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html 私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、…

なぜアイコラは作られるのか まなざしのエロ、あぼーんするエロ

■コンテクストを破る快楽「まなざしの快楽」と「あぼーんする快楽」を考えるには、エロからはじめるのはいいかもしれません。エロは道徳的な「エロを禁止する」コンテクストを破るタブーの快楽です。たとえば美人に欲情するのは美しいからではありません。美…

まなざしの快楽とあぼーんする快楽

■コンテクストという社会性 まなざしとはコンテクストです。ボクたちはコンテクストに拘束され、行為します。なぜならコンテクストが共有されないとコミュニケーションできないからです。場(コンテクスト)違いな行為は他者から、外部として排除されます。…

続 なぜジェットコースターに乗るのか

*1 ■ジェットコースターの快楽たとえば、ジェットコースターの楽しさはなにか。あえて危険を味わうのである。ここに「あえて」、すなわち「安全は確保されている」というコンテクストがなければ、それは本当の恐怖であり、楽しむことはできない。「安全は確…

続々 デジタル製品を買うとなぜわくわくするのか その2

■「サイボーグ技術が人類を変える」 NHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」*1を見た。現時点での「身体の拡張」の可能性について立花隆によるレポートであった。そこでは、すでに身体から脳までサイボーグ化の研究が進み、使い込むことで、まるで身…

生(エロス)への回帰

■個体性と集団性生命においてはある種のバランスが存在する。環境圧/生命秩序維持である。環境圧とは静へ向かう力(エントロピーの増加)であり、それに逆らい、動へ向かう力(エンタルピーの減少)がエロスである。エロスとは動物的な生の本能であり、生き…

なぜブログを書くということは「愛」を語ることなのか? チンコ太郎への手紙

あれはボクが小学生の頃だった。友達のうちで誕生会があり呼ばれていった。会の途中に誕生日の友達が外出した。そのときに彼が定期購読している雑誌が届いた。ある友達が、その本を読んでもよいかと、そのうちのおばちゃんに確認し、読み始めた。そして彼が…

なぜレイザーラモンHGは憂鬱なのか  「愛」が健全な無垢への欲望を導く

レイザーラモンHGの憂鬱 たとえば、レイザーラモンHGは「無垢」として登場した。その「汚物」は、人々を欲望させたのである。そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復によって差異が消費されていく…

続々 デジタル製品を買うとなぜわくわくするのか 電子機器とアイロニーの消失

*1 *2「動物」的コミュニケーション 動物の個体間は(遺伝子によって規定された)先天的なシグナルの確実なコミュニケーションが行われ、それが群れの集団性を保つ。「動物」は個体間の秩序を集団性によって保っているといえる。ここではいわば集団そのもの…

無垢への欲望

1 「無垢」はなぜ「汚物」なのか 2 なぜ芸術は人々の魂を揺さぶるのか

ヘタレ化するポストモダン その2

1 なぜ「ヘタレ化するポストモダンなのか?」 2 動物化とヘタレ化のメビウスの輪 3 ヘタレマップ 4 ヘタレサイクル 5 「もはや事件に会議室も、現場もないんだ!」 6 無垢欠乏の時代 7 ヘタレたち 8 ヘタレたち2 9 ヘタレはネットで覚醒する 10 …

ヘタレ化するポストモダン その1

1 なぜ「ヘタレ化するポストモダンなのか?」 2 動物化とヘタレ化のメビウスの輪 3 ヘタレマップ 4 ヘタレサイクル 5 「もはや事件に会議室も、現場もないんだ!」 6 無垢欠乏の時代 7 ヘタレたち 8 ヘタレたち2 9 ヘタレはネットで覚醒する 10 …

なぜ「倫理的な開かれ」は困難なのか? <無垢への欲望 その6>

■「倫理的な開かれ」 内部とはまず内部とはなにか。大きくは社会(象徴界)です。社会とはなにか?デイビットソンの「信頼」、ラカンの象徴界について、次のように言いました。「言語コミュニケーションが成り立つのは、シニフィアンに対する確実なシニフィ…

なぜ「カオスの辺縁」なのか? <無垢への欲望 その5>

「続なぜ「ネオ自然主義」なのか <無垢への欲望 その4> http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051126」を受けての議論です。 ■理想主義的 長谷部悠作 相変わらず見事な考察に舌を巻きました。ここまでくると僕のような頭の悪い人間に正確な理解と応答は出来な…

続なぜ「ネオ自然主義」なのか <無垢への欲望 その4>

ネオ自然主義 ①形而上学的思考・・・「真の」、「本当の」など超越的な起源と受け入れる思考②ポストモダン的思考・・・形而上学的思考(「真の」、「本当の」など超越的な起源)を疑い、差異を思考する。 ③ネオ形而上学的思考・・・これがボクが思考しようと…

なぜ「ネオ形而上学的思考」なのか? <無垢への欲望 その3>

形而上学/ポストモダン/ネオ形而上学 コメントと「芸術の本懐とは何か」を読ませていただきました。 要は芸術というのは「真の」とか「本当の」とかそういう幻想を諦めねばならないということになる。「大衆性」というのは、その向こう側へやすやすと越え…

なぜ芸術は人々の魂を揺さぶるのか <無垢への欲望 その2>

「孤独な箱」の中の私 ボクは「コミュニケーションは必ず失敗する」といいました。ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」として示されるように、言語は不完全なコミュニケーション手段であり、またある人がいった言葉の(本当の)意味を、完全に人に伝える…

「無垢」はなぜ「汚物」なのか <無垢への欲望 その1>

なぜ「無垢」を求めるのか まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めているということです。そのために「無垢」を欲望します。なぜ「無垢」を求めるのかというと、それが処女地(フロンティア)だからです。そこに一番に乗り込む、征服す…

サルでもできるヘタレ化 <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その12>

ヘタレは遊ぶ 祭りの楽しさは非日常性であり、反復からの逸脱である。そこに現れる差異(無垢)を消費するのである。しかしこの無垢は管理されたものでなければならない。自らに降りかかる偶然の災害などのように本当の無垢では祭りにならない。だから2ちゃ…

「女たちはなぜパンツを見せるのか」  「ゲーム脳」の影響

「ゲーム脳」の影響はここまで来た! 女たちはなぜパンツを見せるのか男性にとってはうれしいような、目のやり場に困るような女性の過剰露出ファッションが流行りだして久しい。「見せブラ」などは当たり前。最近、目に付くようになったのは、たとえばかがみ…

ヘタレイズムについて

ヘタレ化にはまっている今日この頃です。それはいままでの思考が「ヘタレ化」に集約するからです。今までの主なテーマ「神話なき神話の時代」、「2ちゃんねるはポストモダンを越えていく」、「まなざしの快楽」、「溢るる汚物」、「無垢への欲望」などなど*…

ヘタレはネットで覚醒する <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その11>

「マトリックス」と「電車男」の相似 映画「マトリックス」は、ヘタレの悲哀を描きました。動物化し、豊かさの中で日々楽しく生きるマトリックス世界で、本当の意味を求めて(ヘタレて)落ちた「現実の砂漠」。この構図が、世の隠れヘタレに共感を呼びました…

ヘタレたち 2 <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その10>

「遊び」という「小さな不自由」 欲望とは、不自由への欲望である。その不自由がテクノロジーにより消失している。あるいはデーターベースによって、利便化されている。僕たちが直面しているのは、不自由が消失する不自由である。満足を享受しながら、不自由…

ヘタレたち <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その9>

繋がり系ヘタレ 2ちゃんねらー かつてのような反体制運動へ向かう「大きな物語」もなく、「小さな物語」の世界で「動物」としてまたーり暮らしていくはずだった。しかしめまぐるしい価値の転倒は、「安心という反復」へ引きこもらせ、小さな檻の中で無垢が…

無垢欠乏の時代 <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その8>

無垢(フロンティア)欠乏の時代 簡単にいえば、現代は「無垢(フロンティア)欠乏の時代」といえるだろう。「大きなこと」はやり尽くされ整備され、泥にまみれず歩けてしまう。無垢の欠乏は僕らに耐久的な強度を強いる。簡単にいえば、動物園の動物的な「強…

「もはや事件に会議室も、現場もないんだ!」 <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その7>

「もはや事件に会議室とか、現場とかないんだ!」 「踊る大捜査線」で、「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」というとき、それはプロフェッショナルな宣言である。そしてここには会議室(エリート)/現場(プロフェッショナル)…

ヘタレサイクル <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その6>

「プロフェッショナル」という倫理 ボクは倫理のテーゼとして「「健全」な無垢の欲望に「健全」な精神は宿る」と示しました。 彼らに無垢が欠乏しているのは、わかる。しかし無垢は「健全に」消費しなければならない。そして無垢の健全な消費は無垢を消費す…

続 なぜ「健全」な無垢への欲望に健全な精神は宿るのか? <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その5>

■無垢飽和の時代=無垢飢餓の時代 考える名無しさん 無垢とはぴかぁ〜の大好きな単語である。 ぴかぁ〜 欲望とは無垢への欲望である。人々は動物的快感だけでは、生きてはいけない。無垢を食べないと、狂ってしまうのだ。社会は無垢が動かしているのだ。現代…

なぜ「コピラ族」なのか?

コピラ族 ブロガーで、対象をカデゴライズし、名付け、流行らそうとするの人たちがいる。これは、2ちゃんの「祭り」と同じで反響を楽しみ、繋がりを確認する行為だろう。こういう人たちを「ブログコピーライター族」、略して「コピラ族」と名付けた。そうで…