なぜ令和は激動の時代となるのか(テスト)

これから訪れる弥生時代以来2000年の激動の大移民時代を考えると、 1000年後、平成は最後の 日本の古き良き時代と言われるんだろう。 そして令和は象徴的だ。移民たちと令を持って和を勧める。

 

かつて「甘えの構造」がベストセラーになった。甘えという言葉は英語にはない。西洋人が自立を重視するのに対して、日本人は江戸時代から義理人情など甘えの文化であり、西洋人のように自立すべきだというようないう日本人批判の書。作者は心理学者だ。まさに心理学は西洋中心主義の学問だが、いかに公平が担保されているかわかっていない。

自立的主体は、自由と平等により公平のバランスが取られている社会における理想像だ。日本の場合は、贈与返礼により公平のバランスが取られる。困っている人がいれば助ける、自分が困っていると助けてもらう。贈与と返礼は通常、顔の知った範囲で強う働く公平だが、日本の場合は世間という広域で贈与返礼が働く特異は社会だ。これを可能にしているのが仏教から来ている慈悲だ。

仏教はインドの強い階級社会での階級間の対立、あるいは国同士の争いなどを乗り越えて公平を生み出す仕組みだ。仏教の基本の慈悲は本来、身近な人に働く贈与返礼を広域で働かすことを説く。身近に人に贈与すれば困ったときに返礼してもらえる可能性は高い。しかし見知らぬ人に贈与しても返礼は期待できない。しかし慈悲では見知らぬ人に贈与しようと説く。そこにあるのは無我である。我にこだわっていては見知らぬ人に贈与する発想は生まれない。無我により可能になる。そうすれば、小さな贈与返礼のバランスで維持された小さな共同体は広域に広がる。しかし実際、リスキーだし、かなり高い精神性が必要だ。それもあって現代では仏教は世界的に廃れている。

日本人は聖徳太子時代から、仏教により土着民族から高度な精神性を構築してきた。そして江戸時代には庶民レベルにも広がり、広域の贈与返礼、義理人情を公平を方法論として組み込んでいた。キリスト教にも慈愛という卑近な贈与返礼を広域へ広げる教えはある。そして現代もボランティアや日本よりも遥か高額な私的基金がある。そこには弱者救済の面が強い。慈悲は弱者強者さえも乗り越えて贈与返礼する。仏教では慈悲は手段の1つではなく、慈悲の宗教である。

人間の最高難度の精神性である慈悲が日本で成立した奇跡には、仕掛けがある。一つは島国に閉じ込められた疑似単一民族であること。原理的に慈悲は世界中の人間を公平とする、これはあまりに難しい。しかし日本の場合は、日本人のみと言う限られて中で試行された。さらに江戸時代に慈悲の方法として勤勉が発明された。ただただ見知らぬ人に贈与するのはさすがに難解すぎる。江戸時代に、職を通して慈悲を施すという発明を行われた。わざわざ慈悲をすると考えなくても、懸命に勤勉に働くことが慈悲行なのである。みんなが勤勉に働き少しでも世間の役に立つ、こうして世間という広域の公平は担保される。それを大きく推進したのが敬虔な仏教徒でもあった徳川家康である。

再度言えば、勤勉は西洋でもプロテスタンティズムの天職として、資本主義の立ち上げに貢献した。現代では自由と平等により公平を維持することを重視する。

柄谷は、3つの交換様式を定義し、現代でもこの3つが働いているとした。

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交換様式A:贈与返礼という互酬交換 共同体、ネーション
交換様式B:再分配 国家
交換様式C:商品交換(貨幣と商品) 資本
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さらに、資本主義を乗り越える社会主義において、交換様式Dを想定した。アソシエーションでは交換様式Aが広域化する交換様式D。これは仏教の慈悲であり、日本では日本内という限定的だがすでに実現されている。

江戸時代に成熟した世間という勤勉によるアソシエーション。明治に入り危機を迎える。西洋近代化により、西洋と同じように自由と平等により公平維持しよう社会変革が進められるが、西洋の近代化と同じく、資本家と労働者という格差が拡大する。そこから西洋では共産主義国家が生まれてきたが、日本は昭和維新以後、国家社会主義として、江戸時代からの勤勉によるアソシエーションへ回帰する。それは当初、軍事国家として活用されるが、戦後は経済発展の推進力となり、いまや世界有するの先進国と発展した。

日本で奇跡的に慈悲の公平を成功させたのは、島国であることが、大きかったが、現代ではどうだろう。相変わらず日本人は日本にこもりがちだ。慈悲の公平の快適さで育つと、その外に出ることは大変だ。

では日本人の慈悲はエセで、単に日本人だけのものだろうか。世界的に日本人は、礼儀正しく、真面目で、勤勉なことは誰もが認めることだ。そして実際に海外に多く侵出して、日本イズムとでも言うべき、勤勉さで地域貢献してる。しかし実際、それは他国に比べて多いとは言えない。そこが日本人の発明した勤勉による慈悲の素晴らしいところだ。日本人の勤勉は直接、相手に働く必要はない。日本にいても、勤勉に働けば広域に贈与することができる。たとえば日本人の勤勉により発明された家電製品は世界中に広がって人々を豊かにしている。確かに原理的な発明の多くはアメリカであるが、そこに日本人は慈悲を注入する。高い品質、効率、使いやすさ。

最近はITでジョブスなど多くのカリスマが生まれて、世界的に貢献している。しかし日本の無名の勤勉はそれに劣るだろうか。世界に広く売っているのは韓国、中国かも知れないが、そこに組み込まれているのは日本の慈悲である。それが世界の公平を担保するにはまだ遠いが、資本主義の自由と平等による公平だけでは維持できない公平のために、革命を起こそうとしている。

闘いはこれからである。大量の移民の受け入れで、日本の慈悲による公平は維持できるか。そして移民がそれを学びまた世界に広げていけるか。真の日本による世界革命が始まる!