2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧
コンベンション(社会の暗黙の協約)はいかに可能か。 コンベンション(社会の暗黙の協約)はいかに可能か。その説明には超越論的なものと経験論的なものがあるだろう。 超越論的(合理論)・・・共時的 ↑ ・構造主義(レヴィ=ストロース、ラカン) ・贈与…
お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ ボクはお風呂に入ると行為への意識が飛ぶことがある。お風呂は暖かくて血の巡りが良い、密室で集中できるなどあるからだろう。頭がよくまわる。いろいろ考えごとをしていて気がつくとお風呂から出ている。体を洗ったことは…
10)数学という真理 数学の成功は徹底的に意味が排除されていることにある。数学において、「1」の意味は質的なものは排除されて、量にしかない。これによって逆に言語のもつ自由度は排除され、道具へ回帰させた。数学はシニフィアンそのものを道具として…
5)同一性と言語 たとえば棒は棒という「同一性」もつ。ある棒もその他の棒も同一の棒である。この同一性はどのように使うかという行為との関係性において保たれている。たとえば切れ端は「叩く」という行為との関係において「棒」となる。 先に言ったよう…
1)環境と「単位としての行為」 どのような行為にもうまいへたはある。山道の歩き方、字の書き方、ボタンのとめ方・・・。うまい行為とは環境との良好な関係だろう。良好とは経済性である。環境との関係においていかに労力少なく結果にいたるか。反復した環…
富士山は誰が作った 美しさを分析するほど野暮なことはない。美しさは感じるものであって語るものではない。語れば語るほど道化師のごとく滑稽なるだけだ。しかしそれでもあえて語ってみたい。一つの理由はイチローの偉大な功績があるだろう。メディアを通し…
コンスタティブというパフォーマティブ コンスタティブ(事実確認的)な発話とは「コンスタティブ」という一つのパフォーマティブ(行為遂行的)な発話である。すなわちいかなる発話もコンテクストと切り離せない。たとえば「犬」という言葉はコンスタティブ…
マクロ秩序と「環境」 経済学に対する批判の一つに人を功利的な主体へと還元するというものがある。実際に調べても人の行動は経済学的ではない。しかし経済学の有用性はそれでも経済学はある有用な知見をもたらすことにある。それは「マクロ秩序」である。た…
ネタ的コミュニケーションからレス物量化へ 2ちゃんねるの限界が見えてきているんじゃないでしょうか。常接、ケータイから大量にレス可能になり、もはや削除などの管理が追い付かない。かつてネタ的コミュニケーションと言われていましたが、もはやそれもど…
面白いから笑うのではなく、笑うから面白い フロイトが笑い(機知)の分析にこだわったのは偶然ではない。笑いは一見、動物的な生理反応のようだが、言語と深く関係するのだ。笑いは例外状態に関係するのである。例外状態とはまさにシュミットが言った意味で…
1 統治技術とコンベンション(なぜ人々を集めるところにコンベンション(黙契)は生まれるのか) 2 民主主義とコンベンション(なぜ自由と平等は病なのか) 3 資本主義経済とコンベンション(なぜ「ブランド」を求めるのか) 4 情報社会とコンベンション…
コンベンション(慣習)から言語世界へ 近代化とはなにか。歴史学の大きな謎の一つであるが、教科書的には人文主義という人間への自覚に始まると言われる。これを説明するのに社会の都市化がある。都市は様々なコンベンションが交差する地点である。そこに村…
ネット・コンベンション 近代以降の社会統治は、法権力、生権力(市場)を規律・訓練というコンベンショナルな通路を通して行使された。すなわち規範、貨幣交換を通して社会秩序は形成されてきた。いま、それに対して新たなコンベンションが生まれている。情…