2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その2

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その2 マジ的コミュニケーションの消極的な姿勢ネットコミュニケーションの他者とは、実社会でたまたま隣り合わせた受動的な他者でなく、コミュニケーションをするという能動的な目的をもって現前化し…

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その1

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その1 ポストモダンを笑うネタ的コミュニケーション「暴走するインターネット 鈴木謙介」 (参照 id:pikarrr:20040329#p1)に示されているポストモダン的現象である「アンソニー・ギデンズの近代的な再…

暴走するインターネット 鈴木謙介 (2002)

PART3 COMMUNITY 誕生するコミュニティ 010 インターネットは私たちを幸せにするのか? 「ネタ的コミュニケーション」 ネタ的コミュニケーションとは、コミュニケーションそのもののテンプレートへの言及を重ねて行われる、すべてがネタで…

(2ちゃんねる哲学板)野蛮復活の時代?

95 :考える名無しさん :04/03/25 00:3770万人の学生が加入する大学生協連共済センターによると、自殺による共済金給付件数は、1990年代前半は50件前後だったが、97年度に80件台に乗った後、99年度、2000年度は99件と急増。今年度も2…

メディア時代の文化社会学 吉見俊哉 (1994) その2

Ⅰ メディアの変容と電子の文化 6 メディア変容と電子の文化 口承から電子に至るメディアの螺旋状的発展が、一方で文字による線形的なディスクールをまず突出させ、ついで偏在化させ、再び全身的な感覚性の次元に包摂していく過程であったのと同時に、他方で…

メディア時代の文化社会学 吉見俊哉 (1994) その1

Ⅰ メディアの変容と電子の文化 1 マクルーハンと電気の文化 ●ヴォルター・ベンヤミン (1936) 複写技術の拡大により芸術作品のアウラの消失、すなわちしかないという作品の一回性が、複写技術の拡大で失われていく。 ●マーシャル・マクルーハン (1960代) 活…

エクリチュールの時代 その4 加速する記号組織化

エクリチュールの時代 その4 加速する記号組織化 「大きな物語」 記号表現に対する記号意味が自己組織化的に成長する構造を記号組織化(sign-organization)と呼んだ。たとえば「東京」という記号意味(イメージ)を考えてみると。 マスメディア(主体)が…

デリダってだりだ?・・・いやぜんぜん寒くないっすよ。

なぜデリダなのか? 私は前々から「言語記号の魔力」について考えていたわけです。そこでデリダの思想をしって、これだ!と思ったわけです。デリダ曰く、ある人を名前で呼ぶことは、すでにして、その人の「唯一性、独自性、固有性」を抹消する社会的暴力であ…

エクリチュールの時代 その3 絵本化する世界

絵本化する世界 その3 なぜ人は記号を信仰するのか? デリダは「あらゆる主体はその「名」によって純粋な「自己の現前」を奪われる。固有名の本質的な反復可能性は、名で呼ばれるすべての主体の純粋な固有性を不可能にしてしまう原暴力である。」そして「反…

エクリチュールの時代 その2 加速するデリダ的対象a

加速するデリダ的対象a その2 ラカン的対象aラカン思想について。人は言語を獲得した。そして言語により、世界を認識する。しかし言語には、私とはなにか?という問いに論理的に答えられない根元的な自己言及の不完全性構造がある。これは東浩紀氏的表現で…

エクリチュールの時代 その1 欲望するハニカムハーツ

欲望するハニカムハーツ(蜂の巣状化する心たち) その1 デリダは言語記号の反復可能性によって、パロール/エクリチュールの形而上学的二項対立を脱構築した。反復可能性は、パロール/エクリチュールを含む言語一般の可能性の条件であり、パロールでさえ…

デリダもパロールにより欲望する

デリダもパロールにより欲望する 原エクリチュールの力この世界には反復可能など存在しない。すべては絶えず変化し続けている。すべては唯一性の連続である。しかしデリダはすべては反復可能性であるという。それは認識という行為に置いてである。我々は言語…

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・ その2

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・その2 形而上学とは プラトンのテクスト自身のなかで、形而上学の構築の欲望とそれを脱構築する契機とがせめぎ合っていること、(プラトン主義)形而上学とはじつは、この「決定不可能」なせめぎ合いを一定の仕方で「決定」…

現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 その2

第二章 形而上学とはなにか 1 テクストとしてのプラトン デリダの脱構築は「プラトン以来」の存在論の歴史の「解体」というハイデガーのモチーフを継ぐものであり、両者の哲学観に大きな影響を与えたニーチェにとって、哲学とは「プラトン主義」形而上学の…

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・ その1

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・その1 「意味のイデア的同一性」とは? 言語記号の主体や指示対象からの断絶は、オリジナル・コンテクストからの断絶と一緒に、意味のイデア的同一性という理念を切り崩す。所与のコンテクストからから引き抜かれ、他のコン…

現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 その1

第三章 言語・暴力・反復 2 反復と散種 <プラトン> ●パロール 生の充実 外的・現実的コンテクスト(周囲の状況)、内的・意味的コンテクスト(言語文脈)もすべてオリジナルな状態で現前し、言語の理解の直接的地平として役立っている。 ●エクリチュール …

野蛮の復活

野蛮の復活 ●野蛮なコミュニケーション他者とは自己を写す鏡である。私が誰かは他者との差異によって現れる。かつて私は「誰でもない私」だった。村一番ののっぽであり、村一番の力持ちであり、村一番の愚か者、村一番のお金持ちであった。ここでの価値観は…

あの〜だれかいますか?・・・・・・

あの〜だれかいますか?2/21から始めてなんとか続いている。というか、結構楽しい。2ちゃんねるの喧騒から離れて自己構築する。しかしこのようなブログなるものははじめてなのでよくわからない。だれか来ているのか?読んでる人などいるのか。というか、自…

自然主義的パースペクティブ(草稿) その2

3 生命理性 個体性と集団性の秩序性生命の一次元的方向性は、生きることと増殖することだといった。ここにはある種のバラドクスが存在する。それは、だれにとっての方向性なのかということである。種全体か、集団か、血族か、個体か?これらの視点により個…

自然主義的パースペクティブ(草稿) その1

1 心の進化 意識力意識を集中する、集中力と言う言葉があります。意識とは強弱ではないかと考えています。実際、人は「意識を集中する」ようなことができます。目の前にあるおいている何気ないりんご、これに意識を集中することができます。そうすると、単…

コミュニケーションツール形態

コミュニケーションツール●電話とメール(電話・・・対個、空間的に離れたパロール、即時応答、メール・・・対個(or多)、空間的に離れた相手とのパロ-リチュール、時差応答)携帯の爆発的な普及。国民総携帯保持化。これは日本だけの傾向ではない。中国や…

記号コミュニケーション史(構想)

本内容は「存在論的、郵便的」東浩紀のデリダ解釈に多くをおっている。 記号コミュニケーション史 だから私が私であるためには、世界とコミュニケーションしつづけ、「私」という「言語認識上の破れ」を埋めつづけるしか道はないのであろう。そして現にそう…

記号コミュニケーション用語

記号コミュニケーション用語以下に思考の中で使った独自の用語意味を示す。 言語の無限循環システム 言語はその表現(シニフィアン)に対する意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で表すというパラドクス構造をもっている。たとえば「りんご」という表…

コミュニケーション自己構築論

「私とはなにか?」 「私とはなにか?」それは人はどのように「私」を「発見」したかという事につながる。言語獲得前、認識とは現前する存在を内的に心象に現すことであり、曖昧であったのではないだろうか。そして言語獲得することによって、存在をより構造…

はじめに

これは日記ではない。だからそう長くも続かない(と思う)。ここに書いていることは、2ちゃんねるの哲学板で思考したことをまとめてアップしたものである。ではなぜここにアップしたのか。2ちゃんねるは限りなく発散的であり、そこにある構造物はことごと…

ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム

ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム現前の相手とのパロールでは、相手についての情報は大量にあり、経験的に記号内容(心象)を推測することは容易になる。このために相手への適切なコミュニケーションが可能となると考えられる。しかし…

時代とコミュニケーション自己化

時代とコミュニケーション自己化 コミュニケーションとは世界を自己化する行為である。そしてコミュニケーションの継続により私は自己同一性を維持する。これは生命の自己複写し自己維持機能の延長線上と考えることができる。すなわち私が世界とコミュニケー…

(2ちゃんねる哲学板)形而上学批判とポピュラリティー

964 :パレルゴン :04/02/28 23:46「反復可能性」とは形而上学的な現前性を意味しているのではないと考えるのがデリダなんだと思う。一般的には同じ言葉(エクリチュール)は場面が変わっても、同じ意味を現すことで言葉としの役目を果たすのだが、デリダは…

哲学とはなにか。「ポピュラリティー」という選択圧

哲学における創造性と知のアナーキズム 哲学と科学における創造性について考えてみよう。科学において創造的なある考えを提案したとする。そのとき求められるのはその考えに対する科学的事実、検証である。そして科学的事実が提示されると、それは他者により…