なぜ「政治的なもの」が回帰するのか。

pikarrr2007-12-02


フラット化という「無法地帯」(フロンティア)


少し前はフリーター、ニート、オタク、2ちゃねらーと脱社会化による新たな流れみたいに言われていた。ある程度、景気が回復して雇用も回復すると彼らが不景気の産物単なる取り残されたマイノリティーということがはっきりしたわけだ。脱社会する可能性は、ポストモダン的に語られたわけだけど、ようは豊かさを背景に先進国に閉じた世界観だった。

しかし脱社会化の産出が一過性のものかというと、グローバルな大きな流れの現象として見えてきた。911に象徴されるけど、インターネットや世界市場化によって、先進国の思想としてのネオリベラル=資本主義が世界に拡散した結果、先進国が後進国を先導し搾取するということは解体されて、世界はフラットになった。

フラットとは平等とかではなく、フラットになることでその中で格差が生まれる、ということ。先進国/後進国の垣根が取り払われて、フラットの中でより市場主義的な大きな格差が生まれている。一部の投資家が巨大な富を得るマネーゲーム化。フラット化することで競争社会という「無法地帯」(フロンティア)が生まれている。

たとえば最近のバイオ燃料騒動にも現れている。ヘッジファンドなどの投資家がバイオ燃料企業に投資して、穀物が投機化して、値がつり上がる。それによって、世界の食糧、エネルギーが高騰する。




「政治的なもの」の回帰


このようなネオリベ化という「無法地帯」は、近いうちに国家の保守化によって規制されるだろう。かつての古典自由主義からケインズ主義へ移行したように。このフラット化した荒野(フロンティア)を以下に設計するか。いかに富を分配するか。環境負荷、資源を分配するか。

ポストモダンという飽和し多様化した先進国に閉じた閉塞感が、フラット化によって現れた荒野(フロンティア)によって、開かれた。人々は再びいかに生き抜くか、ということを問われる。そして人は一人では生きていけないという当たり前のことが、浮上することで、社会はいかにあるべきか=「政治的なもの」が問われる。

特に日本の転落は人々が気づかないほどに大きい。80年代のジャパンイズNO.1は遠い昔で、世界を主導する立場から転落しつつあり、経済的にもかつての技術的財産に依存しつつ、ポストモダンを生きている。経済的に近いうちに日本は中国の経済圏に取り込まれてしまうかもしれないが、国としては高齢化もあり、さらに保守化し、閉塞するだろう。