現代最強の倫理 マクロ思考 (2013)

 1 マクロ思考は現代最強の倫理
 2 マクロ思考としての国民の誕生
 3 なぜ社会科学の黎明期は語られないのか
 4 なぜアメリカはマッドサイエンスの国なのか

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1 マクロ思考は現代最強の倫理

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西洋近代が生み出した「十分なマクロ領域」

 ダーウィンの進化論の衝撃は進化そのものとともに、自然淘汰という考え方にある。自然淘汰という偶然の積み重ねがまるで神の意志のような結果を生む。ダーウィンはこの発想をマルサスの人口調整論から得たと言われる。ここには大きな前提として、「十分なマクロ領域において」という思考がある。「十分なマクロ領域において」全体は秩序を生み出す。「十分なマクロ領域において」というマクロ思考は西洋近代の発明である。
 このような現状を表した最初のものとして、アダム・スミスが「神のみえざる手」と呼ぶずっと以前、14世紀の欧州には、物価が連動する経済圏があった。すなわち「十分なマクロ領域」としての市場経済があった。貨幣という一元的な価値は「十分なマクロ領域」を生み出しやすい。
 そしてマクロ思考は、経済的な現象を表現することから、人間社会を表現する方法へ広がっていった。マルサス人口論にすでにその端緒はある。そして近代化の中で、人口調査や、様々な人の特徴(身長など)の計測が行われはじめる。ここにはすでに人々を「十分なマクロ領域」としてとらえる視点がある。

 人口論 Wikipedia
 マルサスは人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいと主張し、人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しない、という命題を示す。・・・動植物については本能に従って繁殖し、生活資源を超過する余分な個体は場所や養分の不足から死滅していく。人間の場合には動植物のような本能による動機づけに加えて、理性による行動の制御を考慮しなければならない。つまり経済状況に応じて人間はさまざまな種類の困難を予測していると考える。このような考慮は常に人口増を制限するが、それでも常に人口増の努力は継続されるために人口と生活資源の不均衡もまた継続されることになる。

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人は均質的な1単位で人の創造は偶然でしかない

 「十分なマクロ領域」では個体は集合の均質的な1単位となる。そしてただ偶然に晒されている。自然という「十分なマクロ領域」では人は均質的な1単位でしかなく、人の創造は偶然でしかない。ここに強烈な唯物論がある。
 ダーウィンは進化にこの唯物論的なマクロ思考を取り入れた。キリスト教の神による創造論に対して唯物論的なマクロ現象を対置させた。この時代、まだ人々は神を信じまた身分制は神に支えられていたが、この衝撃によって神はお払い箱になった。

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マクロ思考の経済合理性という倫理

 現代の科学はニュートン力学を基礎として数学を用いて合理主義的である。しかしそれを人に、あるいは社会に展開するときにマクロ思考が使われる。人を合理的に扱うことなどできない。しかし「十分なマクロ領域」としての人なら扱える。これが社会科学の基本的なスタンスである。
 このようなマクロ思考の正当性を強化するのは経済性である。マクロ思考は経済学からはじまったのは偶然ではなく、マクロ思考そのものに経済合理性という倫理が含まれている。人口論、進化論、神の見えざる手はただの現象ではなく、生物が生き残るための自然の自浄作用であり、経済的に合理的な現象である。この自然主義は現代もっとも世界的にみなが共有している倫理だろう。
 マクロ思考は現代最強の倫理である。社会制度、行動規範、そして法律もマクロ思考の倫理を基本に作られている。しかしあまりに最強すぎて疑われることもない。

 ・マクロ思想は西洋近代の市場経済という貨幣の一元的な価値の流通にあらわれた。
 ・マクロ思想は社会の流動性が上がる中で人間社会にも適応された。
 ・「十分なマクロ領域」では人は均質的な1単位でしかなく、人の創造は偶然でしかない。
 ・マクロ思考は人が生き残るための自然の自浄作用であり経済的に合理的な現象である。

 統治の技法の陥っていた閉鎖の打開は・・・十八世紀の人口拡大であり、この人口の拡大は通貨の過剰に結びつき、さらにはこの過剰がまた農業生産の増加にふたたび結びつく、歴史家におなじみの循環的プロセスにしたがって動きでした。・・・統治の技法の打開は人口問題の出現と結びついていたと言うことができます。
 人口というパースペクティブ、人口に固有の現象が持つ現実は、家族モデルを決定的に遠ざけ、経済というこの概念を中心に違うものの上に移動させることを可能にするでしょう。・・・統計学が少しずつ発見し明らかにしていくのは、人口には固有の規則性がある、ということなのです。・・・人口はその集合状態に固有な効果をもつものであって、・・・家族という現象に還元することができない、ということなのです。統計学が教えるのはまた、人口は、その移動や行動様式や活動によって、固有の経済的な効果を持っているということです。
 統治の知の成立は、広義の人口をめぐるあらゆるプロセスについての知、まさしく人々が「経済学」と呼ぶ知の成立と絶対に切り離しえない。・・・統治の技法から政治学への移行、主権の諸構造に支配された体制から統治=政府の諸技術に支配された体制への移行は、十八世紀に、人口をめぐって、したがって、政治経済学の誕生をめぐって行われるのです。P261-268
 「フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治」 (ISBN:4480089969) 

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2 マクロ思考としての国民の誕生

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世界中を巻き込んだパワーバランスの時代

 なぜルネサンスはイタリア都市で起こったのか? 大きな要因は豊かであったからだ。十字軍以降に開かれた欧州からインドへの奢侈品の交易を担ったのが航海技術に長けた彼らだった。そこで生まれた豊かさ、または伝わった文化を背景にルネサンスは起こった。
 大航海時代とは欧州各国がイタリア都市国家の地中海航路に変わるインドへの航路を探すことに始まる。マスコダガマもコロンブスも目指したのはインドである。これらが国家事業であったのは費用の支援ともに略奪が一般的であった航路には国家の軍事力による保護が必要であったためだ。
 やがて資本、軍事力にまさるスペイン、イギリスが交易路、さらに貿易先(植民地)を支配されていく。国は封建主義的な諸侯群による統治から巨大な富を集めた一者による絶対主義王政へと移行していく。このような統一された国家の治安のもとで安心して富は流通し、巨大な連動市場が生まれる。
 さらなる富を求める絶対主義王政国家同士は衝突を生む。富が増えるとともに新たな破壊兵器そして巨大化する軍隊が必要になり戦争の規模は大きくなる。交易、植民地政策を有利に進めて富を得るためにはより多くの富を戦争へ投入する必要があるというスパイラルが、世界中をパワーバランスの時代に巻き込んでいく。

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個人(理性)論から集団(人間群)論への転換

 科学革命とはニュートン力学を基本としておこった。科学化は政治の世界へ取り入れらえた。政治を科学化することで「正しい」政治を設計する。ここでの「正しい」とは国家の富国強兵である。その時代、政治は経済一体だったが、いかに富国強兵を進めるかが政治科学の中心な課題となる。
 ニュートン力学をモデルにする場合には、その基本単位として理性が用いられた。正しい精神=理性を基本単位として合理的な設計によって、正しい政治が行われる。しかし富国強兵を重視する中で、理性を基本とすることは限界を生む。代わりに導入されたのが理性も欲求もすべて引っくるめた「人間そのもの」である。人間そのものを単位にすることで質的なものが解除されて量的な単位へと還元される。
 それを進めたのがヒュームの「因果律の否定」である。原因−結果という因果律に論理的根拠がないというラディカルな経験主義は理性主義を解体する。ヒュームが理性の代わりに導入したのが生活様式(慣習)である。正しい生活様式(慣習)によって社会秩序は維持されている。そして生活様式(慣習)を改良することで社会は豊かになることができる。ヒュームの慣習主義では重要であるのは個人の理性ではなく、社会の生活様式(慣習)である。ここには個人(理性)論から集団論への転換がある。

 この黙約(コンベンション)は本質的に約束ではない。というのも、諸々の契約自体が、後述のように、人間の黙約から生じるからである。黙約とは共通利益の一般的感覚にすぎない。その感覚を社会の全成員がお互いに表明し合い、それが彼らをしてその行動を一定の規則によって規制しようという気にさせるのである。私は、他人が彼の財を所有するのが、彼が私に対して同じように行動することを前提として、私の利益になるだろうことを観察する。彼もまた、彼の行為を規制することに同様の利益を感じる。この共通の利益感が相互に表明され、両者に知られるとき、それが適切な決意と行動を生み出す。そして、これこそが、約束の介在なしに、私たちのあいだの黙約あるいは合意を呼ばれて然るべきである、なぜなら、私たちのぞれぞれの行為が他方の行為と関連をもつからであり、何が相手の側でもなされるという前提のうえで、なされるからである。一艘のボートのオールを漕ぐ二人は、お互いに約束したことなどまったくないのに、合意あるいは黙約によってそうするのである。
 人間本性論 デイヴィド・ヒューム

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富国強兵のために自由主義

 ヒュームはアダムスミスに先駆けた自由主義論者として、富国強兵のために生活様式(慣習)としての自由主義を奨励する。自由主義経済の父を言われるアダムスミスの「国富論」もその名のとおり、富国強兵のための自由主義である。国内産業を育成するためには、身分制度を基本とした様々な制度を解体し、新たな民主的な法を整備して、自由な経済活動を推進する必要がある。すなわち重商主義から自由主義産業革命)への移行にはより自由で平等な国民の活動が必要と考えられたからだ。
 たしかに理性を基本として合理的な社会設計は理念的な民主主義や、経済的な社会主義へと引き継がれていくが、実際には世界を先導したのは富国強兵のための自由主義である。現に早々と民主化を進め自由主義化を進めたイギリスが成功する。だから民主国家になっても戦争は終わらなかっただけでなくより激化していった。

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マクロ思考の単位として国民

 ここに生まれてくるのが国民である。国民は特別な存在としての理性的な主体である必要はない。国民は統一的な言語文化の学び労働力としてそして軍事力として教育、規律を学び愛国心を持つ人間群である。近代国家は競合する隣国との関係で国家であり得るために、国家群として欧州地域を各国民で満たす。
 国家のもとでの均質した国民という存在。これがマクロ思考の基本である。この時代、国家によって国民の管理として人口統計が多くとられていく。マクロ思考は国家によって国民単位として浸透していく。

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3 なぜ社会科学の黎明期は語られないのか

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マクロ思考の系譜

 西洋思想の基本は、個(主体)にある。これを理性主義の系譜に対して、近代化の中で、フランス啓蒙主義が挫折する中で、マクロな思考が登場する。思想というよりも近代の経済の発展により、生み出された思考である。そこに倫理が見いだされた。
 マクロ思考は社会科学として新たな潮流を生む。経済学、社会統計を基本とする社会科学、そして最近では政治もリードしている。社会主義亡き後、政治の中心は、自由主義かリベラル(富の分配)か重要になっている。もはや現代の倫理を引っぱるのはマクロ思考である。

  <理性主義>
プラトン−ストア主義−(キリスト教)−ニュートン力学−フランス啓蒙主義−民主主義−社会主義
  <マクロ思考>
統計学スコットランド啓蒙主義−経済学−自由主義功利主義−社会科学−公共哲学

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マクロ思考への分岐点

 フランス啓蒙主義は、ニュートン力学の合理性のように、理性を基本単位として社会を合理的、倫理的に設計することが目指される。しかしその構想は早々に暗礁に乗り上げる。そして理性的主体から集団としての倫理へシフトが起こる。一人一人ではなく集団を理想状態へ導く。
 このアプローチには様々なものがある。たとえばフランスでは、ルソーの全体意志など、全体として最適化はその後、社会主義思想へ繋がる。またコンドルセは全体の統計的な分析から理想を目指し、コントにより社会学へ繋がる。
 イギリスではスコットランド啓蒙主義としてヒュームが理性主義を批判し、共同体のコンベンション(慣習)論を提唱する。他者との関係、共同体の慣習が社会を作る。その考えの延長線上からアダム・スミス自由主義経済学を産み出す。
 このような主体論から全体論への展開はその時代を反映している。経済が発展し、大衆が登場する。大衆を管理するために統計学が活用される。さらに科学においてもニュートン力学では表せない熱力学や化学のような集合を対象とする第二次科学革命が起こる。そしても人間学はもはや哲学ではなく経済学、社会学など社会科学の時代になる。そんな分岐点の時代である。

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社会科学の黒歴史

 おもしろいことに、この社会科学の黎明期は語られることが少ない。哲学史なら、啓蒙主義がありヒュームの理性主義批判があり、それを乗り越えるカントが英雄として登場として、ヘーゲルへ繋がっている。そこからマルクスの登場である。
 かたや科学はそもそもあまり歴史を語らない。ニュートン力学は誰もが知っているが、ニュートン科学史最大のヒーローだがどのように思考し何者であるか知る人は少ない。社会科学の経済学もアダム・スミスについて、社会学もその出目は語られない。しかしこれは社会科学が科学であるからだけではない。その時代が一つの黒歴史であるためだ。
 本質的に人の集団を科学的に分析、管理することには、一人の人を一単位、いわばものとしてみなす倫理的な問題が潜んでいる。全体の最適化は抑圧される個体を生む。まだ身分制がのこり人権が曖昧な時代に多くの弊害を生む。
 コンドルセの統計的な最適化は「平均的な人間」という理想像を産み出し、平均から外れた人を不良品を見なす方向へ進む。そして民族差別を生んだ優生学へ繋がる。あるいはルソーの思想は集団の最適のために管理される個としての全体主義に繋がる。また社会主義の弊害は最近まで続いた。ヒュームはベンサムなどの功利主義に繋がる。最大多数の幸福はまさにいまも続く倫理的な問題だ。
 いわばこの潮流が世界大戦へ繋がるといってよい。そしていまは昔ほど無頓着ではなくなったが、社会科学の裏面として隠されている。だからその黎明期はいまも多くが語られないのだ。人々はしらーと科学技術を語り、哲学を語り、経済学を語り、社会学を語る。実はそこに昔と変わらず狂気が潜んでいることを見ないふりをしている。

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 wikiコンドルセ
 テュルゴーの改革は挫折に終わったが、政治と科学双方を射程に入れたコンドルセの思想はその後深化を遂げ、1780年代に「道徳政治科学の数学化」もしくは「社会数学」という学問プロジェクトに着手することとなる。道徳政治科学とは、当時まだ明確な学問的輪郭を与えられていなかった経済学の源流の一つであり、啓蒙の知識人達に共有されていた問題関心であるばかりか数学者達の関心をも集めていた。そこでコンドルセは、当時数学者ピエール=シモン・ラプラスらによって理論的な整備の進みつつあった確率論を社会現象に適用し、合理的な意思決定の指針を与えるような社会科学を目指したのである。
 しかし、フランス革命の混乱による中断等で社会数学の試みは未完成に終わり、20世紀初頭までその内容と射程が正確に見直されることは少なかったと言えるだろう。その一因には19世紀を通じて大きな影響をふるった実証主義の祖であるオーギュスト・コントコンドルセ評価が後世に与えた影響がある。「社会学」の創始者であるコントは、自らの「精神的父」としてコンドルセを挙げ、コンドルセの政治思想や歴史観を再解釈して評価した。だが、社会現象の記述に数学を適用することを全く認めなかったのである。

 wiki統計学
 ドイツでは17世紀からヨーロッパ各国の国状の比較研究が盛んになったが、1749年にアッヘンヴァルがこれにドイツ語でStatistik(「国家学」の意味)の名をつけている。19世紀初頭になるとこれに関して政治算術的なデータの収集と分析が重視されて、Statistikの語は特に「統計学」の意味に用いられ、さらにイギリスやフランスなどでも用いられるようになった。この頃アメリカ、イギリス、フランスなどで国勢調査も行われるようになる。
 この考えを本格的に広めたのが「近代統計学の父」と呼ばれるアドルフ・ケトレーであった。彼は『人間について』(1835年)、『社会物理学』(1869年)などを著し、自由意志によってばらばらに動くように見える人間の行動も社会全体で平均すれば法則に従っている(「平均人」を中心に正規分布に従う)と考えた。
ケトレーの仕事を契機として、19世紀半ば以降、社会統計学がドイツを中心に、特に経済学と密接な関係を持って発展する。
 同じく19世紀半ばにチャールズ・ダーウィンの進化論が発表され、彼の従弟に当たるフランシス・ゴルトンは数量的側面から進化の研究に着手した。これは当時Biometrics*(生物測定学)と呼ばれ、多数の生物(ヒトも含めて)を対象として扱う統計学的側面を含んでいる。

 wiki優生学
 1860年代から1870年代にかけて、フランシス・ゴルトンは従兄弟のチャールズ・ダーウィンの『種の起源』におけるヒトと動物の進化に関する新たな理論に影響を受けて、独自に解釈した。ゴルトンは“自然選択のメカニズムはいかにして人間の文明によって潜在的に妨げられているか”という文脈において、ダーウィンの研究を解釈し、「多くの人間社会は経済的に恵まれない人々と弱者を保護に努めてきた。それゆえにそれらの社会は、弱者をこの世から廃絶するはずの自然選択と齟齬を来してきた」と論じた。
 ゴルトンは、これらの社会政策を変えることによってのみ、社会は「月並みな状態への逆戻り(reversiontowardsmediocrity)」(統計学において彼が最初に作った造語である)から救出することが可能であると考えた。この語は、現在では一般に「平均への回帰(regressiontowardsthemean)」という用語に置き換わっている。ゴルトンは1865年の論文「遺伝・才能・性格」において始めて自説を開陳し、1869年の『遺伝的天才』において、「天才」と「才能」は人間において遺伝するとした。また、「人間は動物に対して様々な形質を際立たせるために人為選択の手段を用いることが可能であり、そのようなモデルを人間に対して応用するなら、同様の結果を期待することが出来る」として、次のように述べた。

 人間の本性の持つ才能はあらゆる有機体世界の形質と身体的特徴がそうであるのと全く同じ制約を受けて、遺伝によってもたらされる。こうした様々な制約にも拘らず、注意深い選択交配により、速く走ったり何か他の特別の才能を持つ犬や馬を永続的に繁殖させることが現実には簡単に行われている。従って、数世代に亘って賢明な結婚を重ねることで、人類についても高い才能を作り出しうることは疑いない。
 --ゴルトン『遺伝的天才』(1869)序文

 優生学は20世紀初頭に大きな支持を集めたが、その最たるものが生物学者オイゲン・フィッシャーらの理論に従って行われたナチス政権による人種政策である。他にナチス政権はオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー(OtmarFreiherrvonVerschuer)による双生児研究(双生児研究(ナチス))など数多くの優生学上の研究を行っている。
 ナチとの繋がりで研究や理論が具体化する一方、公での支持は次第に失われていった。ナチスの人種政策という蛮行が多くの倫理的問題を引き起こした事から、優生学は人権上の問題として取り上げられ次第にタブー化していった。
 しかし近年の遺伝子研究の進歩は優生学者が説いた「生物の遺伝改良」が現実化できるという可能性を結果として示す事になった。遺伝改良が社会上有益かどうか、また仮に有益だとしても倫理上許されるのかどうかなど、優生学的な研究の是非が問い直されつつある。

 wikiベンサム
 ベンサムは法や社会の改革を多く提案しただけでなく、改革の根底に据えられるべき道徳的原理を考案した。「快楽や幸福をもたらす行為が善である」というベンサムの哲学は功利主義と呼ばれる。ベンサムの基本的な考え方は、『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものだと言うもの。ベンサムは、正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」をもたらすものであると論じた。「最大多数個人の最大幸福」とは、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」という意味である。しかし彼は後に、「最大多数」という要件を落として「最大幸福原理」と彼が呼ぶものを採用した。ベンサムはまた、幸福計算と呼ばれる手続きを提案した。これは、ある行為がもたらす快楽の量を計算することによって、その行為の善悪の程度を決定するものである。

19世紀の確率論者たちは自分たちの理論を統計的頻度を用いて理解した。19世紀の社会科学者たちは規則性を探究したが、それは個人行動というミクロのレベルではなく、むしろ社会全体というマクロのレベルでの規則性であった。18世紀の思想家にとり、社会は法則に支配されたものであったが、それは社会が合理的個人の総計であったからである。19世紀の反対者たちにとっては、社会はその構成員が非合理的な個人であるにもかかわらず、法則に支配されていた。P200
「確率革命」 第6章 合理的個人と社会法則の対立 L.J.ダーストン (ISBN:4900071692

ケトレーはこれらの初期の著作において、何よりも次の事実に関心を向けた。すなわち身長的特徴の平均や非身長的特徴、たとえば犯罪や婚姻の比率は、長期をつうじてまた国のいかんを問わず、年齢その他の人口学的変数と驚くべき安定的関係を示すということである。彼が社会的世界の「法則」とよんだのはこれらの関係である。平均人という考え方は、1835年の彼の最初の本で最大の役割を果たしている。しかし彼は1840年以降になると、平均や比率の安定性だけではなく、それ以上にこれらの特性の分布に関心を示した。彼は人間の身長や体重の分布をグラフに描いてみると、今世紀初めから研究されていた観測誤差の分布と非常に似ていることに気づいた。そこで彼は、身長的属性の分布を正規分布であるかのごとくみなせるという固い信念を持つようになった。・・・彼の確信によると、十分な観察ができれば、身長的特性の分布のみならず、身体的でない特性の分布もつねに正規分布になる。P234-235
「確率革命」 第8章 生命・社会統計と確率 ベルナール=ピュール=レクイエ  (ISBN:4900071692

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4 なぜアメリカはマッドサイエンスの国なのか

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医療推理ドラマ「Dr.HOUSE」

 「Dr.HOUSE」(http://www.drhouse-tv.jp/)はアメリカの医療推理ドラマ。物語の始まりはいつも同じだ。ある場所で突然人が倒れる。そしてハウスのいる病院に担ぎ込まれる。ハウスは原因不明の症状を治療するチームのボス。ハウスのチームは時期刻々と症状が悪化していく患者に対して治療を試み原因を追及していく。ハウスは天才的な能力をもつが、口が悪く皮肉屋で、昔の事故で片足が不自由で杖をついて歩きいまもその後遺症から痛みを抑えるために、中毒性のある薬を服用している。
 このドラマの特徴は徹底的な唯物論的世界であることだ。原因究明のために試みられる治療という原因と、それ対する身体反応という因果関係が明確で、「ハウスたちの推理→治療(薬の投与)→身体反応」を繰り返してフィードバックをかけて病の原因に近づいていき、クイズが最終的に解かれる。
 ハウス自身が性格の悪い冷めた唯物論者というキャラクターとして描かれることで、生死を描く医療ドラマに不可欠なヒューマニズムな倫理は抑えられている。ここまで病をゲームのように因果律的に描くのはやはりアメリカ人の発想だろう。

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アメリカのマッドサイエンス文化

 アメリカの思想の基盤は、新大陸へ移住したときのキリスト教プロテスタント)と(社会)科学だ。キリスト教と科学はある種真逆だがこれらが混在するところがアメリカの面白いところだろう。キリスト教的に倫理にうるさいと思うと、かたや科学主義的にドライで合理的だ。
 新しい国ということもあって伝統的な価値観がなく、移住から独立時代に台頭していた科学主義思想が入り込み、いまもアメリカ文化の基盤の一つになっている。欧州は世界大戦で戦場になり、ナチスの悲劇もあり科学主義には懐疑的だ。しかしアメリカ本土は世界大戦で戦場にならずに、むしろ弱る欧州を横目に世界一の強国へ成長した。 だから啓蒙主義を経て世界大戦前に絶頂を迎えた科学主義思想へ熱狂をいまももっとも継承している。
 現代のアメリカが、心理学、認知科学脳科学遺伝子工学など人間科学の本場で、統計や経済学、経営学などの社会科学でも先端をいっているのはそのためだ。日本人のような慣習国家から見るとドライでかっこよく見えるだろうが、文化が浅く科学主義重視が過剰な面が多々あり、世界でもっともマッドサイエンスの国といえるだろう。かつての社会科学の暗部をいまも隠し持っている。

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