日本人の横関係と縦関係  職分と名分



職分による横関係


現代の日本人の特徴に職分重視がある。日本人は人生の中で仕事が大きな比率を占める。それは単に生活費を稼ぐためではなく、アイデンティティの大きな部分を占めている。個人的な自己充実以上に、日本人として生きる上での社会への義務、さらに世間への体面である。日本で、正社員でも主婦でもないと、仮に金銭的に問題がなくても、 一人前と認められない部分がある。

このような庶民レベルの職分重視の起源は、江戸時代前当たりまで溯れるだろう。それ以前は、庶民レベルでは、自立し連続し安定した家業というものがなかった。江戸時代の平安の中で成熟した。

たとえば江戸時代初期に、元家康の家臣で僧侶になった鈴木正三の職分仏行論がある。みながそれぞれ職を全うすることが仏行である。仏行とは世間全体がともに救われるための慈悲行である。そして家康も同じようなことを言っている。これは士農工商制度を正当化する保守的な思想と考えられるとともにその時代の一つの仏教的な考えだった。職分はそれぞれの職に格差ない横の関係である。武士は武士の職分、農民は農民の職分、商人は商人の職分を全うする。江戸時代にこのような職分仏行が成熟することで「世間」となった。




名分論は日本人的


これに対して、武士が儒教を重視し名分論を展開する。名分論とは、身分制を含めてそれぞれの社会の中での役割を全うすることを重視する考えだ。特に武士の正当性が主張される。職分が横の関係であるのに対して、名分は縦の関係と言える。

「日本の国家主義――「国体」思想の形成」 尾藤正英(ISBN:4000259814)の面白い論点の一つが、日本では儒教的だと思われている名分論が、本来の中国の儒教とは異なり、日本の独特な考えであるということだ。儒教の基本は、親子の関係である「孝」である。子は親を尊び従う。これをもとに「忠」として社会の縦関係全般を重視する。しかしこのような儒教の縦関係から名分論には距離がある。儒教は与えられた役割を全うするよりも自らの修養を重視する。役割(名)は最初から固定されず結果でしかない。

この違いを考えるときに、中国の皇帝と日本の天皇の違いが参考になる。儒教では、国を治める王は、徳を持つことで天に選ばれた存在である。そして徳を失ったとき、新たに天に選ばれた徳のある存在と交替(禅譲)する。このように中国では皇帝の交替が正当化されてきた。それに対して、天皇は日本をつくった神の子孫であり、かわることがない。日本の儒家による名分論では、天皇を正当化することで、武士の名分も正当化される。




中国儒教的な普遍主義と神道重視


儒教は江戸時代から盛んになるが、日本の儒家で中国儒教を重視し、徳による普遍主義で有名な人は新井白石である。彼は、朝鮮への返書に将軍を日本王として記載して波紋を呼ぶ。しかしこれは例外的いえるだろう。

江戸時代の儒教の大きな流れは、天皇神道)を正当化する。山崎安斎は、天皇禅譲が起こらなかったことは徳を維持したことであるとして儒教的な普遍主義を維持した。その後の流れは、より天皇を絶対化する。山鹿素行は、日本の歴史を実証的に研究することで天皇を正当化し、 名分論によって、儒教的な補完をする。荻生徂徠は、儒教の古典にさかのぼり王の祭政一致を理想とするとともに、禅譲がなかった天皇の歴史を理想形とする。そしてその先に、国学本居宣長がいる。もはや儒教の合理性を否定して、歴史実証的に天皇の正当性と名分論を語る。

これらの流れにあるのは、天皇を正当化することで、武士の名分も正当化されることにあるだろう。仏教が檀家制度で国民全員に広がり、江戸時代の平安の中で職分の横の関係が世間として成熟する中で、儒教は武士に限定されてある種の選民的な思想の面が強かっただろう。そこに戦いを失った自らの存在意義を問う。




職分と名分の継続


その中で武士が再び息を吹き返すのが、西欧の到来による国難。これで一気に、水戸学など尊王攘夷論が盛り上がる。これらは、徂徠荻生や本居宣長の思想を受け継いで、天皇を頭に名分論は先鋭化される。そして結果的に倒幕という内破を含みながら、明治時代へ繋がる。明治維新の最初に目指されたのは天皇を中心とした古代の祭政一致の政治である。その流れが神仏分離令から廃仏毀釈へと繋がる。

しかし一方で、西洋に対抗するためには、近代化する必要がある。近代化とは、富国強兵、民主主義、法治国家として、西洋近代国家に一員として認めてもらうことだ。そのために信仰の自由が必要であるが、国家神道は宗教ではなく日本人の慣習として維持された。同じように身分制は解体したが、武士層が政治を推進し、名分は維持される。また資本主義化が進む中では、職分の横関係は西洋のプロテスタンティズムの天職概念のように重要な役割を果たす。

横の職分論と縦の名分論は、その後、現代の日本人まで継承していく。早急な産業化による経済発展を成し遂げて、また軍国主義化への抑制が利かなかった日本人。戦後、学校、会社に残る縦関係・・・