武士道とはなのか

忠、恩、名、死


現代のサラリーマンがサムライという比喩で語られることがある。多くの日本人の祖先は百姓なのにおかしい、という指摘は違うと思う。確かに江戸時代に武士は一握りだった。明治になって、富国強兵にむけて日本国一丸となるためのナショナリズムとして、国家神道が活用されたが、そのときに、新たな権力者たちは下級武士であり、武士という身分がなくなった明治時代にこそ、武士道は語られ、そして武士の精神性が日本人に教育された。現代のサラリーマンがサムライ魂の一部を継承しているとすれば、明治以降、そして世界大戦を乗り越えて伝わっているからだ。武士道とはなんだろうか。

忠。武士道の一番はなんと言っても主君への忠。人間関係を規定するものに法、経済性(利得)、贈与交換(恩義)があるが、秩序が混沌とした例外(戦争)状態では、法や経済性(利得)は裏切りの心配から期待できない。このために対面の贈与交換(恩義)が重視される。たとえば現代でも国家警察治安の外にいるヤクザが仁義(恩義)を重視するのは同じ理由だ。

恩。忠はまず贈与交換関係の負債感から始まる。忠を結んでいただいた君主への恩。それが例外状態における絆である。しかし実際の戦国時代は恩賞という経済性は大きかったと言われる。より大きな組織になるほど、実際に組織運営の費用も必要になる。単なる恩だけでは難しいのだろう。

名。恩という負債へ返礼しなければ名誉を失い恥になる。名誉が重要である理由は、恩義が単に個人的な関係であるよりも共同体の一部であるからだ。周りの目にさらされている。日本の特徴である島国の閉鎖性から、武士が名誉を失えば、どの主君も救ってくれず排除される。それは武士としての死を意味する。

死。だから名への負債を解消するために死を選ぶ(死を返礼する)ことがあった。死により名誉は挽回される。特に日本においては、原単位は個人であるよりも「家」であったので、自らの死で汚名をはらすことで家は継続される。




武士の存在の喪失


歴史的には、法や経済性が広く保証されたのは近代以降であり、世界は絶えず例外状態にある。このために贈与交換(恩義)は共同体の基本であり、忠恩名死の物語は、武士に限らず世界的にある。ただ島国の閉鎖性と家を原単位とする日本人の特徴から、名誉の死がこれほど一般的であるのは珍しいかもしれないが、世界各地には名誉の死は美談として残っている。

だから武士道の特徴はこの先にある。江戸時代には、武士の本来の存在理由である戦闘が喪失した。このために武士は存在理由の喪失に陥る。戦争が終わったのに、武士が何故に、支配者であり、農民から年貢を略奪するのか。彼らの多くはもともと農民であり、家柄という系譜による保証も曖昧である。そこに世間に対する大きな負債感がうまれ、慢性的な武士の喪失感となる。




職分論と名分論


この解は大きく二つある。一つが、儒教的な解、名分論。儒教において、統治者は自らが徳を実践して、農民たちの手本となり教化し、徳治政治を目指す。士農工商という名分による縦関係において、武士は統治者であり、指導者である。

名分論は本来の儒教にはない。儒教は徳治政治のために縦関係を推奨はするが、科挙が有名なように実力主義である。能力があるものが高い地位につき下のものを教化する。そこに生まれによる固定はない。その一番が禅譲である。天は王が徳を失ったと判断すれば、新たに徳をもつ王に入れ替える。これに対して日本の儒教家たちは、日本では天皇は入れ替わることがなかった優秀な民族であることで、名分を正当化する。

もう一つは、仏教から来る職分論である。みながそれぞれ世の中にために職分を全うすることで世の中が栄える。そして武士もまた一つの職である。将軍も天皇に与えられた征夷大将軍という職である。武士は将軍から下りてきた家職を与えられて、全うする。これは士農工商を水平な関係として捉える。

特に江戸時代の平安は、人口増加、経済成長という新たな状況を生み出す。元禄期には特権的な商人達が豊かになり経済が成長し、さらに農民たちも生産効率が向上して豊かになり、農地に負荷される年貢とは別に商品経済に参入していく。享保以降の幕府の倹約を中心とした経済政策は、主導権を武士に取り戻る目的があった。しかし結局は経済成長の波は武士の統治を越えていく。石田梅岩の心学による勤勉、職分主義が広がるのは、武士の統治による名分という縦関係に対して、勤勉により豊かになれるという職分による横の関係が強まっていることを表す。

武士による統治としての士農工商は、縦の名分論と横の職分論のバランスで成立してきた。そして武士は、名分において(世間の)手本となるよう求められ、職分において(世間にために)職を全うするよう求められるという、世間の評価にさらされるというセンシティブな状況におかれた。武士という支配者が商人、農民によりも貧しかったという世界史的に珍しい存在であったことを考えると、世間からのプレッシャーがいかに強かったかわかるだろう。その中で武士道は洗練される。




贈与交換(恩義)の清浄化


武士道は儒教的と考えられがちであるが、その洗練された精神性を支えたのは仏教である。その極意は慈悲の基本である「三輪清浄」である。三輪清浄とは、贈与交換(恩義)の慈悲化、清浄化といえる。慈悲化、清浄化とは、見返りなく与える。さらに高度なことは、見返りなく与えるだけでは不十分で、与えられた相手が負債(引け目)を持たないように配慮すること。

後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕の精神が純粋清浄となるのである。P129

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

贈与交換(恩義)の清浄(慈悲)化


贈与に対して返礼を求める → 返礼を求めないず与える
贈与に対する返礼が期待できる身近な者に贈与する → 返礼を求めず自分からの距離に関係なく与える
贈与することで相手に返礼への負債感を与える → 負債感を与えないように配慮する




忠義の清浄化

忠の清浄化・・・見返りのない主君への忠。恩賞など働きに対する見返りを求めて主君のために働くことは汚れである。
恩の清浄化・・・主君から与えられた恩に対して返礼するのではなく、恩を越えて惜しみなく忠が行われる。
名の清浄化・・・名誉を期待することは返礼を求めることで汚い。家名さえもこだわらず、忠のために家も犠牲にする。
死の清浄化・・・恩義のためには自らの死も見返りなく与える。「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、名誉のためでもなくただ死を捧げること。
配慮による清浄化・・・これらの見返りのなく与えることは人知れず行うよう配慮すること。こちらが見返りを求めていなくても相手が負債を感じてしまう。

あまりにセンシティブな思想である。このように武士道は洗練されて、美学へ高められていく。このような洗練は合理的な儒教とは相容れない。むしろ幕府は、儒教によって殉死や見返りない贈与を禁止し、武士を合理的な職業人として教育した。

それでも明治以降も日本人の中にこれに近い場面があった。戦争時の国家への忠誠、戦後のサラリーマンの会社への忠誠など。外国人にはまさに不思議民族日本人の謎だろうが、日本人にはいまも美しい。

応仁の乱から戦国時代にかけて武士階級の裾野が広がる 。名もない雑兵は 、主君への忠義よりも利や命を惜しむ存在であった 。しかし 、依然として 、城主レベルの武士は 、厳しい自己規律を維持し 、敗北した時は兵卒の身代わりとなって切腹した 。彼らを支えていたのは 、武門の家に生まれた名を惜しむ意識であった 。豊臣政権期の兵農分離を経て江戸時代に入ると 、武士と農民や町人の境界にははっきりと線が引かれる 。いやしくも武士身分となった者は 、武士としての厳しい倫理を要求された 。もし武士にふさわしくないとみなされた場合は 、自己の属する藩社会から排除されることになる 。武士の狭い 「世間 」が成立したのである 。
これまで 「世間 」の研究は 、井原西鶴浮世草子などにより 、町人のものとしてなされることが一般的であった 。しかし 、町人は 「世間 」に背を向けて利欲や恋愛に生きることが許されたが 、武士にそういう自由はない 。本書で見てきたように 、武士たちこそ細心の注意をはらって 「世間の批判 」を受けないよう行動していたのである 。
言い換えれば武士が構成する 「世間 」の評判こそが 「武士道 」の規定となった 。その武士の 「世間 」は 、他の階級の 「世間 」に比べてはるかに厳しい倫理を要請したのである 。武士は 、武士道に背いたと思われた場合は 、もはや武士社会で生きていくことができない 。武士の 「世間 」が 、厳しい制裁を行うからである 。そういうなかで武士は 、他の階級の者とは比較にならないほど厳しい倫理観を身につけざるをえなかったのである 。
冒頭に掲げた 「サムライはなぜ 、これほど強い精神性がもてたのか ? 」という問いに対する解答は明らかであろう 。個々の武士は 、自らの内面的な倫理観だけでそういう精神性をもちえたのではない 。本書で述べてきたような厳しい 「武士の世間 」があったからである 。強固な意志で自らの行動を律していたと思われる武士こそが 、最も 「世間 」に左右されていたのである 。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか 山本博文 中公新書 ASIN:B00LMB0A5Q

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。つまり生死二つのうち、いずれをとるかといえば、早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといってめんどうなことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進するだけである。”事を貫徹しないうちに死ねば犬死にだ”などというのは、せいぜい上方ふうの思い上がった打算的武士道といえる。

葉隠」 山本常朝 ISBN:4101050333