なぜ「コイズミ・オブ・ジョイトイ」なのか?

pikarrr2005-08-17

小泉に賛成しないわけにはいかない?


暑中お見舞い申し上げます。すっかり夏バテで、頭も回らず、本も読む気もせずに、なんとかお盆休みにたどり着き、とにかく海とか、なんたら行楽地とか、だらだら〜と日々を過ごしてます。当然、ブログなど書く気は失せてます。

そんな中で面白いのは、選挙ですね。これほど政治ネタを楽しくみるのはそうそうないのかもしれませんね。毎日毎日、刺客とか、新党とか、そしてとうとうホリエモン登場ですか?ボクは、小泉支持ですね。とにかく郵政の参議院否決から、衆議院解散へと、小泉首相「おもしろいすぎ」ですね。こういうの個人的に大好きです。

ボクも郵政民営化が一番の問題とは思わないし、その郵政民営化に関しても、いろいろ問題があると思います。さらにこのわかりやすい郵政民営化の賛成派、反対派の2項対立が、そのまま改革反対ではない、そんな単純なことではないとは思います。そんなことは国民はわかっているでしょう。そのメタメッセージを受け取っているところの、小泉支持率上昇ですね。

今回の選挙は、「郵便民営化が争点」と演出されながら、「郵便民営化そのものを争点にしていない」ように演出されている。細かいところは色々あるが、それはひとまずおいて、「おれは構造改革一生懸命やってるだろう。でも見てのとおりなにかと回りの妨害で進まないんだよ。とにかくそれが、うざいと思うなら、国民投票でしめしてくれ。そしたらそのあとやりやすくなるからさ。」ということに賛成するか、反対するか、を問うという形に持ち込んだということでしょう。こういわれるとひとまず賛成しないわけにはいかない、ですね。

国民もよくみえない国会内の孤立化する郵政民営化議論で、小泉ももうダメかなとというところから、一気に国民を改革を問う形に持ち込み復活した展開のすばらしさに、感心します。細かいところは色々あるが、がんばって改革進めるだろうと思わせてくれます。




インリン・オブ・ジョイトイの日記−愛のエロテロリズム−」


インリンがブログをはじめたらしいです。

私は、こんな平和的で中立的で進歩的な憲法のある日本を尊敬してます☆8・15の今日こそ、私が皆さんにお願いしたいのは、9・11には、こういうすばらしい憲法を守ってくれる人だけに投票しましょ!ってことです☆だって残念な事に、外国人の私には選挙権ありませんから・・・・。私は、10歳から日本に住んでます。平和を愛する文化的な日本が大好きです。私は台湾人<中国人として、台湾にも中国にもいろんなイヤな問題があるのはよ〜くわかってます。

去年は中華系の世界的芸術家18組の一人の選ばれ、台湾と中国大陸の間にある金門島で個展をやりました。その時は、しっかりと台湾と中国政府を批判して、平和の為のエロテロパフォーマンスをして来たんですよ〜☆そして今年10周年を迎えたユニットジョイトイの作品ではいつも、セクシー&パロディを武器に、人間の平等と平和をテーマに表現を続けてます。天安門紫禁城、在上海ロシヤ領事館、嘉手納基地等でのゲリラ撮りを皆さん楽しんでくれたと思います!私に出来ることは小さいことかもしれません。けど、これからも、国とか政府とか民族の勝手じゃなくて、世界中の普通の人々の生活が少しでも平和であることを願って、M字開脚を続けます(笑)

インリン・オブ・ジョイトイの日記−愛のエロテロリズム−」 http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/

ボクは以前にも書きましたが、このインリンの立ち位置が結構好きですね。

インリン・オブ・ジョイトイは、「ほんと馬鹿ですねぇ〜」。その存在からつっこみどころ満載ですね。「エロテロリストって!、エロで革命かよ!」はてなキーワードによると、インリン・オブ・ジョイトイジョイトイとは、「JOYTOY人民革命。テーマはrelaxed sensuality=「常識や形式、習慣に囚われない官能性愛優先生活」。パロディと様式美としての<共産趣味アメリカン下品&謎の東洋美意識>に満ちたワイルドな宇宙の果てで、インリンは自らの多重人格的天地創造に、女王のように君臨し、奴隷のように貪り食われる。」らしいです。(爆

インリンやプロレスの面白さは、「ベタ」なところです。・・・ある対象を「ベタ」と名付け、呼ぶときに、・・・メタレベルに立って発言しています。本質的にはこのようなメタレベルの発言(まなざし)は権力構造の上になりたっているために、ボクたちは優越感を感じ、楽しいのです。

そしてインリン「あえてベタ」インリンであり続けようとするときに、そこにあえてみじめであろうとする自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に徹底するインリン「あえてベタ」に走り続ける加藤浩次を前に、ボクたちはメタレベルのまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性という裂け目をもつ対象a、欲望の対象であり原因である対象aとして作動します。そして、ボクたちは加藤浩次を、インリンを欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、インリンへのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれているのです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それはインリンにとっての「おいしい」ツッコミです。

続 なぜ加藤浩次は走らなければならなかったのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050201

はたして、インリン自身はどの位置に立っているのか。インリン「エロテロリスト」というときに、明らかにそれは演出である。しかしインリン自身はそれを演じながら、そこにマジがあるのではないだろうか。(ほんとのことはわからないが、そう思わせる。)そこに僕たちは哀れみを感じて、いとおしくなる。そしてそのときにはすでに僕たちはインリンに巻き込まれているのである。




コイズミ・オブ・ジョイトイ


もしかすると、今回の小泉首相にも同様な「いとおしさ」「巻き込み」の原理が働いているのではないだろうか。

コイズミが「あえてベタ」「コイズミ」であり続けようとするときに、そこにあえてみじめであろうとする自虐性が潜んでいます。・・・「あえてベタ」に走り続けるコイズミを前に、ボクたちはメタレベルのまなざしによって、笑っていればいいはずが、その自虐性からコイズミを欲望せずにはおれないのです。

さらにいえば、「コイズミ」へのアイロニカルにまなざしは、知らず知らずに共犯関係に巻き込まれているのです。なんだ「ベタ」か、と処理するつもりが、見つめずにはおれない、欲望せずにおれない、それはコイズミにとっての「おいしい」ツッコミです。

言葉遊びですが、あながちおかしくもないでしょう。今回の郵政民営化議論において、参議院否決から、衆議院解散、選挙への流れは、すでにドラマティックであり、解散後の演説含めて、小泉首相のマジな悲壮感を感じました。そしていじめられた小泉が、僕たち国民に泣きついてきたのです。そこに僕たちは哀れみを感じ、いとおしく感じているのです。

郵政民営化」を問うんだ!、わかりやすい改革派と改革反対派という単純な2項対立、あるいは刺客?というような「ベタ」な展開さえも、みな「あえてベタ」であることはわかっているという、メタレベルのメッセージ=コンテクストに共有を見いだしています。僕たちはまんまとはまっているというアイロニカルなまなざしも持っているでしょう。しかしインリンは応援しないわけにはいかないのと同様に、小泉首相を賛成しないわけにはいかない」のである。そこにあるのは、小泉首相のマジな悲壮感への共鳴であり、すでに巻揉まれているのです。


今ひとつ頭が回ってない?・・・ということで、みなさまもお暑い中、がんばってくださいませ。